数学の作り方 How to make Mathematics

第1章 圏とは

中身を見ずに、関係だけで語る

集合と位相では、数学の対象を「点を集めたもの(集合)」から組み立てました。圏論は、 ほとんど正反対の発想から出発します。対象の中身(要素)は一切見ない。代わりに、対象どうしを結ぶ“矢印”と、 その矢印のつなぎ方(合成)だけで語る。

なぜそんな禁欲的な見方をするのか。理由は、そうするとまったく別の分野に現れる構成が「実は同じ形」だと 見抜けるからです。群の準同型、連続写像、線形写像——分野ごとにバラバラに見える「構造を保つ写像」が、 「対象と射」という一つの枠に収まる。個々の中身を忘れることで、分野を貫くパターンが浮かび上がるのです。

たとえるなら、地下鉄の路線図。駅の正確な位置(中身)を捨て、「どの駅とどの駅が線でつながるか(関係)」 だけを描くと、乗り換えの構造がかえって見やすくなる。圏論は数学の路線図です。

圏論=対象の中身を捨て、対象を結ぶ射(矢印)と合成だけで数学を語る言語。分野を貫く「同じ形」を見抜く。

圏の定義

定義

C\mathcal C とは、次のデータからなる。

  • 対象の集まり Ob(C)\mathrm{Ob}(\mathcal C)
  • 各対象の対 A,BA,B に対し、AA から BB への矢印)の集まり Hom(A,B)\mathrm{Hom}(A,B)fHom(A,B)f\in\mathrm{Hom}(A,B)f:ABf:A\to B と書く。
  • 各対象 AA恒等射 idA:AA\mathrm{id}_A:A\to A
  • 射の合成f:ABf:A\to Bg:BCg:B\to C から gf:ACg\circ f:A\to C

これらが次をみたす。

  1. 結合律h(gf)=(hg)fh\circ(g\circ f)=(h\circ g)\circ f
  2. 単位律fidA=f=idBff\circ\mathrm{id}_A=f=\mathrm{id}_B\circ f

驚くほど少ない約束です。「矢印がつながり(合成)、つなぎ方は結合的で、各対象に“何もしない矢印”(恒等射)が ある」。これだけ。対象が何であるか、射が具体的に何をするかは、一切問いません。この空っぽさこそが、あらゆる 分野を同じ土俵に載せる力になります。

注意 射は「関数」とは限らない

射を「集合の間の写像」とイメージすると入りやすいが、それは一例にすぎない。射は単なる矢印——合成のルールを みたす抽象的な対応。下の順序集合の例では、射は「\le という関係」そのもの。関数とは限らない“矢印”に慣れるのが、 圏論の第一歩。

例——あらゆる数学が圏になる

定義が抽象的なので、具体例で肉付けします。易しい(身近な)ものから、少し意外なものへ。

圏の例(易→難)

  • Set\mathbf{Set}:対象=集合、射=写像。もっとも基本の圏。
  • Grp\mathbf{Grp}:対象=、射=群準同型。Ring\mathbf{Ring}(環)、Vectk\mathbf{Vect}_k(ベクトル空間・線形写像)も同様。
  • Top\mathbf{Top}:対象=位相空間、射=連続写像。
  • 順序集合:一つの半順序集合を圏とみなす。対象=要素、射=「aba\le b が成り立つとき、ただ一本の矢印 aba\to b」。合成は \le の推移律、恒等射は aaa\le a
  • モノイド:対象が一つだけの圏。射=モノイドの元、合成=モノイドの積、恒等射=単位元。

最後の二つが効きます。順序集合では射が「関係 \le」、モノイドでは射が「元」——射は関数でなくてよい。 「対象・射・合成」という枠が、群や空間だけでなく、順序やモノイドのような一見別種の構造まで飲み込む。 これが圏の普遍性の最初の現れです。

同型——「中身を見ない」立場での“同じ”

中身を見ないなら、「二つの対象が同じ」とは何か。答えは逆向きの矢印で行き来できること。射だけで 「同じ」を定義します。

定義 同型射・同型

f:ABf:A\to B同型射であるとは、gf=idAg\circ f=\mathrm{id}_A かつ fg=idBf\circ g=\mathrm{id}_B をみたす g:BAg:B\to A が存在すること。このとき ABA\cong B同型)という。ggff の逆射という。

Set\mathbf{Set} での同型は全単射、Grp\mathbf{Grp} では群同型、Top\mathbf{Top} では同相——各分野の「同じ」が、 すべて「逆射をもつ射」という一つの定義に統一されます。中身に触れずに「同じ」が言える。「行って戻れば元に戻る 矢印がある」——それが圏論の“同じ”です。

注意 双対性——矢印を全部逆にする

C\mathcal C のすべての射の向きを逆にした反対圏 Cop\mathcal C^{\mathrm{op}} を考えられる (f:ABf:A\to Bf:BAf:B\to A とみなす)。すると、圏論のどんな定義・定理にも「矢印を逆にした双子」がある。 一方を証明すれば、他方はタダで手に入る(第5章の積と余積がその実例)。双対性は圏論を通じて働く強力な “無料の定理製造機”。射だけで語るからこそ、向きの反転という対称性が生まれる。

つまずきポイント

注意 よくある誤解

  • 射は関数とは限らない。 順序集合では \le、モノイドでは元が射。「矢印」を関数と決めつけない。合成則を みたす抽象的な対応。
  • 対象の中身は使わない。 Set\mathbf{Set} でも、証明では「要素」でなく「射」で語るのが圏論の作法。要素に頼ると 圏論の御利益(分野横断)が消える。
  • 同型は「逆射をもつ射」。 全単射・同相・群同型はすべてこの特別な場合。中身でなく矢印で「同じ」を定義する。
  • Hom(A,B)\mathrm{Hom}(A,B) は集合とは限らない。 大きすぎる圏では射の“集まり”が集合にならないこともある(局所小圏 という但し書きがつく)。今は気にしなくてよいが、頭の隅に。

この章のまとめ

  • =対象・射(矢印)・合成からなり、結合律と単位律(恒等射)をみたす。対象の中身を見ず、射と合成だけで語る。
  • Set,Grp,Top,Vect\mathbf{Set},\mathbf{Grp},\mathbf{Top},\mathbf{Vect} から順序集合・モノイドまで、あらゆる構造が圏になる。射は関数とは限らない(順序では \le、モノイドでは元)。
  • 同型=逆射をもつ射。各分野の「同じ」(全単射・同相・群同型)を一つに統一。反対圏による双対性が圏論を貫く。
  • 次章では、圏から圏への「構造を保つ写像」——関手を導入し、分野をまたぐ対応(基本群・ホモロジーなど)を圏論の言葉にします。

次章では、圏の間の写像である関手(共変・反変)を定義し、忘却関手・自由関手・基本群などを例に見ます。