第2章 関手
圏そのものを写す
前章で、群も空間も順序も「圏」という同じ枠に収まると見ました。すると次に問いたくなります——**圏から圏への
“よい写像”**はあるか。ある圏の対象・射を、別の圏の対象・射へ、構造を壊さずに移す対応。それが関手です。
なぜ欲しいのか。数学のいたるところに「ある分野の問題を、別の分野へ翻訳して解く」構図があるからです。
位相幾何では、空間(Top)に群(Grp)を対応させ、図形の問題を
代数の問題に翻訳しました(基本群・ホモロジー)。この「分野をまたぐ翻訳」の正体が、関手なのです。
関手=圏から圏への構造を保つ写像。対象を対象へ、射を射へ、合成と恒等射を保つ。分野をまたぐ翻訳の正体。
共変関手
定義 関手(共変)
圏 C から圏 D への関手 F:C→D とは、
- 各対象 A に対象 F(A) を、
- 各射 f:A→B に射 F(f):F(A)→F(B) を対応させ、次をみたすもの:
- (合成の保存)F(g∘f)=F(g)∘F(f)。
- (恒等射の保存)F(idA)=idF(A)。
要は「矢印の付き方(合成の構造)ごと移す」。対象だけでなく、対象を結ぶ関係のネットワーク全体を、
向きを保ったまま別の圏へ写す。だから条件は「合成を合成へ、恒等を恒等へ」の二つだけです。
例 関手の例
- 忘却関手 U:Grp→Set:群を「台集合」に、準同型を「ただの写像」に写す。構造を忘れる。Ring→Set などいたるところにある。
- 自由関手 F:Set→Grp:集合 S を S が生成する自由群に写す。忘却の“逆向き”(第8章の随伴)。
- 基本群 π1:Top∗→Grp:点付き空間に基本群を、連続写像に誘導準同型を対応させる。図形→代数の翻訳。
- べき集合 P:Set→Set:集合 S を P(S) に、写像 f を「像をとる」P(f) に。
- 恒等関手 idC、対象を一点に潰す定数関手。
反変関手——向きを逆に写す
関手には、射の向きを逆にして写すタイプもあります。「双対をとる」「関数を引き戻す」といった操作は、
自然に向きが反転します。
定義 反変関手
F:C→D が反変関手とは、射 f:A→B に対し F(f):F(B)→F(A)(向きが逆)を
対応させ、F(g∘f)=F(f)∘F(g)(合成の順序も逆)をみたすもの。Cop→D の
共変関手と同じ。
例 反変関手の例
- 双対ベクトル空間 V↦V∗=Hom(V,k):線形写像 f:V→W は f∗:W∗→V∗(引き戻し、向き逆)。線形代数の双対。
- 関数環 X↦C(X)(X 上の連続関数):連続写像 f:X→Y は f∗:C(Y)→C(X)(g↦g∘f、引き戻し)。空間と関数環は反変に対応(代数幾何の芽)。
- 反変 Hom Hom(−,C):後の第6章で主役。
「引き戻し(前に合成する)」は必ず向きが逆になる——g↦g∘f は、f:X→Y に対し Y 側の関数を
X 側へ引き戻すから。共変(押し出し)と反変(引き戻し)の区別は、圏論を読むときの基本の目印です。
関手は「構造」を運ぶ
関手が合成を保つことの、地味だが決定的な帰結。同型を同型へ写す——だから「翻訳先で違えば、翻訳元でも違う」
という論法が使えます。これが位相幾何の証明を支えました。
定理 関手は同型を保つ
F:C→D を関手、f:A→B を同型射とすると、F(f):F(A)→F(B) も同型射で
F(f)−1=F(f−1)。
証明
f−1∘f=idA に F を当てると、合成と恒等の保存より F(f−1)∘F(f)=F(idA)=idF(A)。
反対側も同様。ゆえに F(f) は同型で逆射は F(f−1)。∎
∎
この単純な事実が強力です。A≅B なら F(A)≅F(B)。対偶で、F(A)≅F(B) なら A≅B。
位相幾何で「π1(S1)=Z=0=π1(点) だから円と点は同相でない」と
論じたのは、まさにこれ——関手が不変量を運び、翻訳先の違いで翻訳元の違いを証明する。関手は「分野をまたいで
情報を保存して運ぶ」道具なのです。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- 関手は対象だけでなく射も写す。 「F(A) をどう定めるか」だけでなく「F(f) をどう定めるか」まで込みで関手。
射への作用(関手性)が本体。
- 共変(向き保存)と反変(向き反転)を区別する。 引き戻し g↦g∘f は反変。双対・関数環は反変。
向きを取り違えると誤り。
- 関手は同型を保つが、非同型を非同型に写すとは限らない。 F(A)≅F(B) でも A≅B とは限らない
(情報を潰す関手もある)。使えるのは対偶(翻訳先で違えば元も違う)。
- 合成の保存が命。 これがあるから同型・可換図式が保たれる。単なる「対象の対応」は関手でない。
この章のまとめ
- 関手 F:C→D=対象を対象・射を射へ写し、合成と恒等射を保つ。分野をまたぐ翻訳の正体。忘却・自由・基本群・べき集合などが例。
- 反変関手は射の向きを逆に写す(引き戻し・双対・関数環)。共変(押し出し)と反変(引き戻し)を区別する。
- 関手は同型を保つ。対偶で「翻訳先が違えば翻訳元も違う」——位相幾何の不変量による証明の仕組み。
- 次章では、関手どうしを結ぶ射——自然変換を導入し、「自然な対応」とは何か、圏の同値とは何かを定めます。
次章では、関手の間の射である自然変換・自然同型を定義し、圏の同値という「圏レベルの同じ」を導入します。