数学の作り方 How to make Mathematics

第11章 小平の消滅・埋め込み定理

いよいよ複素幾何の到達点です。第10章で「正の直線束」(c1(L)>0c_1(L)>0)を用意しました。この正値性から、二つの 深い定理が流れ出ます。一つは小平の消滅定理——正の直線束の高次コホモロジーが消える、という解析的な結果。 もう一つは、その帰結である小平の埋め込み定理——正の直線束を持つコンパクトケーラー多様体は、実は CPN\mathbb{CP}^N の中の射影代数多様体である。抽象的な複素多様体が、多項式で定義される代数多様体だと判明する。 複素解析(ケーラー・ホッジ)と代数幾何を結ぶ、小平邦彦の金字塔です。

正の直線束

まず「正」の意味を定めます。第一チャーン類が、計量として正定値であることです。

定義 正の直線束

正則直線束 LL豊富に近い意味)とは、第一チャーン類 c1(L)c_1(L) が正の (1,1)(1,1) 形式 (ケーラー形式)で代表されること:ある計量の曲率 Θ\Thetai2πΘ>0\frac{i}{2\pi}\Theta>0。すなわち LLケーラー計量を生むねじれを持つこと。

CPn\mathbb{CP}^nO(1)\mathcal O(1) は正の直線束の典型で、その c1c_1 がフビニ–スタディ計量(第6章)を与えました。 「正の直線束を持つ」ことは、「CPn\mathbb{CP}^n から遺伝したような、良いケーラー計量を持つ」ことに近い。この 正値性が、コホモロジーの消滅を引き起こします。

小平の消滅定理

正の直線束は、高次のコホモロジーを消し去ります。これが切断を「たくさん」作るための鍵です。

定理 小平の消滅定理

コンパクトケーラー多様体 XX(複素次元 nn)上の正の直線束 LL と標準束 KX=ΩXnK_X=\Omega^n_X について、 Hq(X,KXL)=0(q1).H^q\big(X,\,K_X\otimes L\big)=0\qquad(q\ge1). 高次コホモロジーがすべて消える。

証明

(骨子)KXLK_X\otimes L 値の (0,q)(0,q) 形式に対するボホナー–小平–中野の公式で、ラプラシアン Δˉ\Delta_{\bar\partial} が「曲率項+非負項」に分解される。LL が正なら曲率項が正定値になり、調和形式 (Δˉα=0\Delta_{\bar\partial}\alpha=0)は q1q\ge1α=0\alpha=0 しかありえない。ホッジ理論(第8章、調和形式= コホモロジー)より Hq=0H^q=0。正の曲率が調和形式を消す、という微分幾何的な議論。

消滅定理の意味は「邪魔者が消える」ことです。LL の高い冪 LmL^{\otimes m} の切断を数えたいとき、高次コホモロジー Hq1H^{q\ge1} が障害になります。それが消えると、リーマン–ロッホ(オイラー標数)から 切断の次元 dimH0(X,Lm)\dim H^0(X,L^{\otimes m}) が正確に計算でき、mm が大きいと切断が十分たくさんあると分かる。 この「切断が豊富」が、次の埋め込みを可能にします。

小平の埋め込み定理:抽象複素多様体が代数的になる

消滅定理で切断が豊富に作れると、それらを座標として射影空間へ写せます。

定理 小平の埋め込み定理

コンパクト複素多様体 XX正の直線束(=ケーラー類が整数類であるケーラー計量、ホッジ計量)を 持つならば、XXCPN\mathbb{CP}^N の中に正則に埋め込める。すなわち XX射影代数多様体(斉次多項式の共通 零点)である。

証明

(骨子)正の直線束 LL の高い冪 LmL^{\otimes m}m0m\gg0)の大域切断 s0,,sNs_0,\dots,s_N を取り、 Φ ⁣:XCPN,x[s0(x)::sN(x)]\Phi\colon X\to\mathbb{CP}^N,\qquad x\mapsto[s_0(x):\cdots:s_N(x)] を作る。消滅定理から切断が十分多いので、Φ\Phi が(1)どの点でも定義され(切断が同時に消えない)、(2)相異なる 点を分離し、(3)接ベクトルを分離する——ことが示せる。ゆえに Φ\Phi は埋め込み。XX の像は CPN\mathbb{CP}^N の 閉部分多様体=チャウの定理より代数的(多項式の零点)。

これは驚くべき定理です。出発点は「正の直線束を持つ抽象的なコンパクト複素多様体」——多項式など一切登場しない、 解析的に定義された空間。それが、実は射影空間の中で多項式方程式で書ける代数多様体だったと結論する。 第6章で「射影多様体はケーラー」と見ましたが、小平の埋め込み定理はそのを与えます。

注意 ケーラーと射影の橋

  • 射影 ⇒ ケーラー(第6章):CPn\mathbb{CP}^n の部分多様体はフビニ–スタディ計量でケーラー。
  • ケーラー+正の整数類 ⇒ 射影(本章):ホッジ計量([ω]H2(X,Z)[\omega]\in H^2(X,\mathbb Z) な正のケーラー類)を持てば 射影代数多様体。 両者を合わせると:コンパクト複素多様体が射影代数多様体 ⟺ ホッジ計量(正の整数ケーラー類)を持つ。 「代数的であること」が、計量の言葉(微分幾何)で完全に特徴づけられた。解析と代数の究極の橋。

注意 つまずきポイント

  • 正 = ケーラー計量を生むねじれc1(L)>0c_1(L)>0(正定値の (1,1)(1,1) 形式で代表)。CPn\mathbb{CP}^nO(1)\mathcal O(1) が典型。
  • 消滅定理は「障害が消える」Hq1=0H^{q\ge1}=0 で切断の次元が計算でき、切断が豊富に。正の曲率が調和形式を 殺すのが仕組み。
  • 埋め込みは切断を座標に。豊富な切断 s0,,sNs_0,\dots,s_NCPN\mathbb{CP}^N へ写す。分離・非退化が埋め込みの 条件。抽象複素多様体が多項式で書ける代数多様体になる。

この章のまとめ

  • 正の直線束 c1(L)>0c_1(L)>0=ケーラー計量を生むねじれ(CPn\mathbb{CP}^nO(1)\mathcal O(1) が典型)。
  • 小平の消滅定理:正の LLHq(X,KXL)=0H^q(X,K_X\otimes L)=0q1q\ge1)。正の曲率がボホナー公式で調和形式を殺す。 障害が消え、切断の次元が計算できて切断が豊富に。
  • 小平の埋め込み定理:正の直線束(ホッジ計量)を持つコンパクト複素多様体は CPN\mathbb{CP}^N に埋め込める =射影代数多様体。豊富な切断を座標にして射影空間へ写す。
  • 第6章と合わせ:コンパクト複素多様体が射影代数的 ⟺ ホッジ計量を持つ。代数的であることが微分幾何の 言葉で特徴づけられる、解析と代数の究極の橋。

最終章は、この解析=代数の一致(小平・GAGA)を総括し、カラビ–ヤウ多様体・ミラー対称性・モジュライという 現代複素幾何の広がりを展望して、旅を締めくくります。