第10章 正則直線束とチャーン類
第1章で「コンパクト複素多様体には正則関数が定数しかない」と見ました。関数が足りない。ではどうやって幾何を 記述するのか。答えが正則直線束——各点に複素直線( 次元空間)を貼り付けた束——の切断です。切断は 「ねじれた関数」で、束のねじれ具合しだいでたくさん存在できる。そのねじれを測る位相不変量が第一チャーン類 です。直線束は、複素幾何と代数幾何を結ぶ主役——射影空間への埋め込み(第11章)も、 消滅定理も、すべて直線束の言葉で語られます。
正則直線束:ねじれた ℂ
各点に複素直線を貼り、貼り合わせを正則関数で行ったものが正則直線束です。
定義 正則直線束と切断
複素多様体 の正則直線束 とは、各点 に複素 次元空間 を貼り付けた束で、局所的には に見え、重なりでの貼り合わせ (変換関数)が正則かつ非零なもの。 の切断 とは、各点 に を 正則に対応させるもの(局所的には正則関数だが、貼り合わせで 倍される「ねじれた関数」)。
自明束 (ねじれなし)の切断は普通の正則関数——コンパクトだと定数だけ。ところが ねじれた直線束 の切断は、 のねじれを打ち消すように振る舞えるので、非自明に存在できる。 たとえば 上の直線束 の大域切断は、ちょうど次数 の斉次多項式 (代数幾何)。関数が足りない複素多様体で、直線束の切断が「使える関数の代わり」を 供給するのです。
因子との対応:零点でねじれを記述する
直線束は、切断の零点——複素余次元 の部分多様体(因子)——と表裏一体です。
定義 因子と直線束
複素余次元 の部分多様体の形式的な整数結合 を因子という。切断 の零点集合が 因子 を定め、逆に因子 から直線束 が作れる。「直線束 = 因子(切断の零点で 記述)」という辞書が成り立つ。
これは強力な辞書です。抽象的な「ねじれた束」が、具体的な「部分多様体(超曲面)」で捉えられる。リーマン面 (複素1次元)なら因子は点の整数結合で、「どの点に何位の零点・極を持つか」を指定するデータ。直線束の 切断を数える問題が、「指定した零点・極を持つ有理型関数を数える」問題になり、これがリーマン–ロッホの定理 (切断の次元を位相データで数える)へつながります。関数論・幾何・代数が、直線束を介して一つの言葉になります。
第一チャーン類:ねじれを測る不変量
直線束が「どれだけねじれているか」を測る位相不変量が、第一チャーン類です。
定義 第一チャーン類
正則直線束 にエルミート計量を入れ、その曲率 形式 (接続の曲率、 形式)から を第一チャーン類という。計量の選び方によらず だけで決まる位相不変量で、実際には に値を持つ(整数類)。
第一チャーン類は、直線束のねじれを「 のコホモロジー類」として記録します。曲率から作るので微分幾何的 ですが、計量によらず位相的(整数類)——ここにガウス–ボンネや ポアンカレ–ホップと同じ「局所的な曲率の積分が大域的な整数を与える」構図があります。 因子との対応では、(因子のポアンカレ双対類)。リーマン面上では (次数)——切断の零点の個数(符号込み)に等しく、直線束を分類する 基本的な整数になります。
注意 ケーラー類もチャーン類
第9章のケーラー類 は、しばしば直線束の第一チャーン類として現れる。 のフビニ–スタディ 形式 は (の定数倍)——正のチャーン類を持つ直線束から来る。この 「(正の直線束)」という条件が、次章の小平の定理の主役になる。ケーラー幾何()と直線束 ()が、チャーン類で結ばれる。
注意 つまずきポイント
- 切断は「ねじれた関数」。自明束なら普通の関数(定数のみ)、ねじれた束なら非自明に存在。関数が足りない 複素幾何で、束の切断が代わりを務める。
- 直線束 ⟷ 因子 ⟷ の三つ組。束のねじれを、切断の零点(因子)で幾何的に、 の類(チャーン類)で 位相的に捉える。同じ情報の三つの顔。
- は計量によらない。曲率(計量依存)から作るのに、結果は位相不変量(整数類)。ガウス–ボンネ型の 「曲率の積分=整数」。
この章のまとめ
- 正則直線束 =各点に複素直線を貼り、正則な変換関数 で貼り合わせた束。その切断は 「ねじれた関数」で、自明束(定数のみ)と違い非自明に存在できる( の の切断 =次数 の斉次多項式)。
- 因子との辞書:切断の零点が因子 、因子から束 。リーマン面では点の整数結合で、 リーマン–ロッホへ。
- 第一チャーン類 =束のねじれの位相不変量(曲率の積分、計量によらず)。 リーマン面では次数 。
- 直線束・因子・チャーン類は同じ情報の三つの顔。ケーラー類も として現れ()、 次章の主役に。
次章は、この直線束の言葉で複素幾何の到達点——小平の消滅定理と埋め込み定理——を述べます。「正の直線束」を 持つコンパクトケーラー多様体が、実は の中の射影代数多様体である、という深い定理です。