第7章 位相空間 — 距離を捨てる
「近さ」の本質だけを、距離ぬきで取り出す
距離空間で、収束も連続も扱えました。でも第3章の最後で不思議なことに気づいたはずです。 連続は「開集合の逆像が開集合」と、距離を一切使わずに言い換えられた。 閉包も内部もコンパクトも連結も——よく見ると、最終的に効いていたのは「どれが開集合か」だけ。 距離 そのものは、開集合を決めるための足場にすぎなかったのです。
だったら足場を外してしまおう。「どの部分集合を開集合と呼ぶか」だけを最初から指定すれば、 距離が無くても・距離が入らない空間でも、連続や収束が語れる。これが位相空間という抽象化です。 商空間や無限次元空間など「自然な距離が無い」対象を扱う扉が、ここで開きます。
距離は捨てる。残すのは「開集合の族」だけ。近さの本質は、実はそこに全部入っていた。
位相の定義
開集合が満たしていた性質を思い出して、それを公理に格上げします。距離空間で成り立っていた 「開集合の和はいくつでも開、有限個の共通部分は開、全体と空集合は開」——これだけを要求します。
定義 位相空間
集合 の部分集合の族 が次を満たすとき、 を の位相といい、 の要素を開集合、 を位相空間という:
- かつ 。
- 任意個の開集合の和はまた開集合。
- 有限個の開集合の共通部分はまた開集合。
「どれを開集合とするか」を人が指定する、というのが発想の転換です。同じ集合 でも位相の入れ方は 何通りもあります。極端な例:すべての部分集合を開とする離散位相、 と だけを開とする 密着位相。距離空間から来る開集合の族も、もちろん位相の一例(距離位相)です。
注意 なぜ共通部分は「有限個」だけか
無限個の開集合の共通部分は開とは限らない。 で を全部交わらせると で、 これは開でない。「和は無制限・交わりは有限」という非対称は、この現象を避けるための本質的な約束。
近傍・基・準基
位相を毎回「全開集合のリスト」で与えるのは大変です。もっと少ない情報から位相を生成します。
定義 近傍系・基・準基
点 を内部に含む開集合を の近傍という。 開集合の族 が基(開基)とは、任意の開集合が の要素の和で書けること (例: では開球全体が基)。 族 の有限個の共通部分全体が基になるとき、 を準基という。
基は「開集合の“部品”」。開球さえ知っていれば の開集合が全部作れるように、 基を指定すれば位相が決まります。準基はさらに少ない部品(それらを有限個交わらせて基を作る)で、 積位相(第9章)を定義するときに活躍します。「少ない情報で位相を生成する」この階層が、 実際に位相を扱うときの手軽さを支えます。
閉包・内部・触点
距離ぬきでも、第3章の「かたち」の言葉はそのまま定義できます。距離ではなく近傍で言い換えるのがコツです。
定義 内部・閉包・触点
の内部 : に含まれる最大の開集合。 が の触点とは、 のどの近傍も と交わること。触点全体が閉包 (= を含む最小の閉集合)。閉集合は補集合が開のもの。
第3章では「 の点でいくらでも近づける点」が閉包でした。距離が無い今は「どの近傍も に触れる点」と 言い換える。中身は同じで、 の代わりに近傍を使うだけです。以降、位相空間でも 「」「連続は開集合の逆像が開」など、距離空間の言葉がほぼそのまま生き続けます。
注意 点列では足りないことがある
距離空間では「閉包=点列の極限を足す」で済んだが、一般の位相空間では点列だけでは閉包を捉えきれない (近傍が“多すぎる”空間がある)。厳密には点列の代わりに有向点族(ネット)やフィルターを使う。 まずは「近傍で言い換える」感覚を持てば十分。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- 位相は「与えるもの」。 同じ に離散・密着・距離位相など複数の位相が入る。「開集合」は絶対的でなく、選んだ位相に相対的。
- 共通部分が開なのは有限個だけ。 無限個の交わりは開とは限らない( の例)。
- 密着位相 のように、距離から来ない位相もある( 点以上の密着空間は距離化できない)。位相は距離より広い概念。
この章のまとめ
- 距離を捨て、「開集合の族(位相)」だけを公理(和は無制限・交わりは有限・全体と空集合)で指定するのが位相空間。距離が無い対象も扱える。
- 位相は基・準基という少ない部品から生成できる。近傍は「点を含む開集合」。
- 閉包・内部・触点は距離を近傍に置き換えてそのまま定義でき、距離空間の言葉が引き継がれる。
次章は、この舞台での「同じ形」——連続写像と同相、そして位相不変量を扱います。