第3章 ノルム・トレース・判別式
整数環 OK が格子だと分かったので、その元を数値で測る道具を用意します。中心になるのがノルムと
トレース——一つの元を、そのすべての「分身(共役)」を通して測る量です。ノルムは元の“大きさ”をイデアルの
理論へ橋渡しし、トレースは判別式を生みます。そして判別式は、整基底かどうかの判定や、後の分岐現象
(第7章)を支配する、この分野で最も基本的な不変量です。まずは「共役」から始めましょう。
共役と埋め込み:数の分身たち
α=2 を考えると、x2−2=0 の根は 2 と −2 の二つ。代数の目には、この二つは
見分けがつかない双子です(ガロア理論の精神)。一般に、次数 n の数体 K=Q(α) に
対し、α の最小多項式は n 個の根 α=α1,…,αn(複素数)を持ち、これらが α の
共役です。対応して、K から C への体の埋め込み σ1,…,σn(σi(α)=αi)が
ちょうど n 個あります。K の元 β を測るとき、β そのものだけでなく、その n 個の分身
σ1(β),…,σn(β) を一斉に見るのがコツです。
定義 ノルムとトレース
β∈K のノルムとトレースを、n 個の共役の総積・総和で定める:
NK/Q(β)=∏i=1nσi(β),TrK/Q(β)=∑i=1nσi(β).
分身の対称的な組み合わせなので、個々の共役を選ぶ曖昧さが消え、結果は有理数になります(β が
代数的整数なら整数)。ノルムは乗法的(N(βγ)=N(β)N(γ))、トレースは加法的
(Tr(β+γ)=Tr(β)+Tr(γ))——大きさと足し算の情報を、それぞれ
一つの数に凝縮します。
行列式・跡としてのノルムとトレース
共役を持ち出さなくても、ノルムとトレースは線形代数で計算できます。β による掛け算
mβ:K→K(x↦βx)は Q 線形写像なので、基底を選べば n×n 行列で表せます。
命題 掛け算行列の行列式・跡
β の掛け算写像 mβ の行列を Mβ とすると
NK/Q(β)=detMβ,TrK/Q(β)=trMβ.
Mβ の固有値がちょうど共役 σi(β) だから、行列式=固有値の積=ノルム、跡=固有値の和=トレース。
たとえば K=Q(d) で β=a+bd。基底 {1,d} での掛け算行列は
(abdba) なので、N(β)=a2−db2、Tr(β)=2a。
Z[−5] なら N(a+b−5)=a2+5b2——第4章で 6 の分解を調べるのに使う、あのノルムです。
ノルムを取ると、OK の割り算の問題が普通の整数 Z の割り算に落ちる(α∣β なら
N(α)∣N(β))。これがノルムの最大の効用です。
判別式:整基底のねじれ具合
トレースを使って、整基底の“質”を測る量を作ります。整基底 ω1,…,ωn に対し、
トレースを成分に並べた行列の行列式が判別式です。
定義 判別式
整基底 {ω1,…,ωn} の判別式を
dK=det(TrK/Q(ωiωj))i,j=det(σi(ωj))2
で定める。二つ目の等号は、埋め込み行列 (σi(ωj)) の行列式の二乗に等しいこと(グラム行列の関係)。
dK は整基底の選び方によらず K だけで決まる整数で、K の基本不変量。
判別式は「格子 OK がどれだけ“歪んで/詰まって”いるか」を測ります。埋め込みで OK を
Rn の格子とみたとき(第9章)、∣dK∣ がその基本領域の体積にあたる——つまり判別式は格子の
体積の二乗の役を果たします。二次体 Q(d) なら
dK={d4d(d≡1(mod4))(d≡2,3(mod4)),
で、d≡1 のとき整数環が大きくなった(第2章)ぶん、判別式が小さくなっているのが読み取れます。
判別式の二つの仕事
判別式は、この後の議論で二つの決定的な役割を果たします。先取りして意識しておきましょう。
注意 判別式が支配するもの
- 整基底の判定:候補の基底 {ηi} の判別式が OK の判別式 dK に一致すれば整基底。
一般に disc(η)=[OK:⨁Zηi]2⋅dK(指数の二乗ぶんずれる)。判別式が
平方因子を持たなければ、その基底は自動的に整基底。
- 分岐の判定:素数 p が OK で「分岐する」(重複を持って分解する)⇔ p∣dK
(第7章)。判別式を割る有限個の素数だけが分岐する。判別式は分岐の在り処を教える地図。
「元を測るノルム・トレース」と「格子を測る判別式」——この三つの不変量が、代数的整数論の計算の土台です。
とくに判別式は、体 K の“難しさ”を一つの整数に凝縮した指標で、この後あらゆる場面に顔を出します。
注意 つまずきポイント
- ノルムは乗法的、トレースは加法的。N(αβ)=N(α)N(β) が「割り算を Z に落とす」
効用の源。トレースは Q 双線形形式 Tr(xy) を通じて判別式を生む。
- 判別式は基底に依らない不変量。整基底同士は GLn(Z)(行列式 ±1)で移り合うので、
行列式の二乗である判別式は不変。一般の基底では指数の二乗ぶんずれる。
- 符号にも意味がある(数体の判別式)。実埋め込みと複素埋め込みの個数(第9章の r1,r2)で dK の符号が
決まる。ここでは絶対値 ∣dK∣=格子体積の二乗として捉えれば十分。
この章のまとめ
- K=Q(α) の元は n 個の共役(埋め込み σi)を持つ。ノルム=共役の総積(乗法的)、
トレース=共役の総和(加法的)。
- ノルム・トレースは掛け算写像 mβ の行列式・跡として計算できる。Q(d) では
N(a+bd)=a2−db2。ノルムは OK の割り算を Z の割り算に落とす。
- 判別式 dK=det(Tr(ωiωj))=格子 OK の体積の二乗。整基底の判定と、
素数の分岐(p∣dK)を支配する基本不変量。
道具が揃いました。次章はいよいよ本題——整数環で素因数分解の一意性が壊れる現象を、Z[−5] の
6=2⋅3=(1+−5)(1−−5) で目の当たりにします。ノルムが、その破れを見抜く道具になります。