第4章 最速降下線と懸垂線
道具が揃いました。この章では、変分法が歴史的に生まれるきっかけとなった二つの名高い問題を、実際に解きます。 最速降下線(ブラキストクロン)——重力の下でビーズが最も速く滑り降りる曲線と、懸垂線(カテナリー)—— 鎖が両端を持たれて自重で垂れる形。どちらもベルトラミの公式(前章)で一階に落として解けます。まずは 「最短の道は最速ではない」という、直感を裏切る事実をレースで見てみましょう。
最速降下線:最短の道は最速ではない
1696 年、ヨハン・ベルヌーイが挑戦状として出した問題です。「2点 A, B を、重力だけで滑り降りるビーズが最短 時間で到達する曲線は?」多くの人は「まっすぐ(直線)が最短だから最速だろう」と思います。下の装置で、 本当にそうか競走させてみましょう。
直線は最短経路なのに、いちばん遅い。勝つのは、最初に急降下して速度を稼ぎ、なめらかに到達する サイクロイド。なぜでしょう。速さは深さで決まる()ので、早く深く潜れば早く速くなる。でも 潜りすぎれば道が長くなる。この綱引きの最適点を、変分法が正確に射止めます。では導きましょう。
サイクロイドを導く
降下時間の汎関数は、速さ ( は下向きの深さ、A を原点)を使って ラグランジアン は をあらわに含みません。ベルトラミの公式 定数 の 出番です。計算すると()、 整理すると (定数)という一階の関係が得られます。ここで角度 を媒介変数に導入して と置くと、 となり、 を積分して
定理 最速降下線はサイクロイド
重力の下での最速降下線はサイクロイド(円が直線上を転がるとき、円周上の一点が描く曲線) である(、 は媒介変数)。定数 と終端角は、到達点 B を通る条件で決まる。
「最も速い滑り台は、円が転がって描く曲線」——予想もしない答えです。装置のサイクロイドは、この式を B に 合わせて描いたもの。直線(最短)に勝つ理由は、A の直後で接線が垂直になり、真っ先に落ちて速度を稼ぐから。 「急がば深く潜れ」を数学が精密化した形です。
懸垂線:鎖はどんな形に垂れるか
もう一つの古典。両端を固定して垂らした鎖(あるいはネックレス)は、どんな曲線を描くか。ガリレオは放物線だと 考えましたが、正解は違います。原理は「鎖は位置エネルギーを最小にする形で静止する」。線密度一定の鎖の 位置エネルギーは、高さ を重みにした に比例するので、 を、長さ一定の拘束のもとで最小化します(拘束の扱いは第6章で厳密化しますが、ここでは有効ラグランジアンが 同じ型 になるとだけ述べます)。これも を含まないのでベルトラミ。 を について解くと 、変数分離で積分して
定理 懸垂線はカテナリー(双曲線余弦)
自重で垂れる鎖の形は懸垂線 である。放物線ではなく双曲線余弦。定数 は鎖の長さと支点位置で決まる。
放物線に似ていますが別物。 は指数関数の和で、両端に近いほど急に立ち上がります。アーチ橋を上下反転 させた形(逆さ懸垂線)が最も安定なアーチになるのも、この最小エネルギー性の帰結です。
二つの問題に共通する型
最速降下線も懸垂線も、 を含まないラグランジアンをベルトラミで一階に落とし、媒介変数か変数分離で積分する、 という同じ型で解けました。これが古典的変分問題の標準的な解き筋です。
注意 解き筋のテンプレート
- 最小化したい量を汎関数 に翻訳(幾何・物理から を書く)。
- が を含まない → ベルトラミ で一階に落とす。
- について解き、変数分離または媒介変数で積分。
- 端点条件(と拘束)で定数を決定。
注意 つまずきポイント
- 最速 ≠ 最短。最速降下線の教訓は「最適化の目的が変われば答えの形も変わる」。長さを最小化すれば直線、 時間を最小化すればサイクロイド。目的関数(ラグランジアン)が形を決める。
- サイクロイドの向き。ここでは を下向きにとった。上向き座標では符号が反転するので、式の見た目が 変わる。深さで速さが決まる、という物理を押さえておけば迷わない。
- 懸垂線は拘束つき問題。鎖の「長さ一定」という条件のもとでの最小化。厳密にはラグランジュ乗数が要る (第6章)。ここでは結果の形だけ先取りした。
この章のまとめ
- 最速降下線:降下時間 をベルトラミで解くとサイクロイド。 最短の直線ではなく、急降下して速度を稼ぐ転がり円の曲線が最速。
- 懸垂線:位置エネルギー を(長さ一定で)最小化するとカテナリー 。 放物線ではなく双曲線余弦。
- 両者とも「 を含まない → ベルトラミで一階に落とす → 積分 → 端点で定数決定」という共通の型で解ける。
次章は、未知関数が一つでない場合・高階微分がある場合へE–L を拡張し、測地線(曲面上の最短経路)を導きます。 変分法が幾何と本格的に出会う章です。