数学の作り方 How to make Mathematics

第9章 偏微分と全微分

「傾き」は一つではなくなる

一変数の微分は「その点での傾き」でした。数直線上では、進める方向は左右だけ。 ところが z=f(x,y)z=f(x,y) のような多変数になると、点の上に立ったとき進める方向は無数にあります。 東へ歩けば上り坂、北へ歩けば下り坂——方向ごとに傾きが違う

だから「多変数の微分」は、一変数のように一つの数では済みません。 まず素直に「軸方向だけ見る」ところから始め、それでは足りないと気づいて、 「全方向をまとめて捉える」正しい定義へ進みます。この順で、つまずきどころが見えてきます。

偏微分:とりあえず一方向だけ

定義 偏微分

fx(a,b)=limh0f(a+h,b)f(a,b)h.\frac{\partial f}{\partial x}(a,b)=\lim_{h\to0}\frac{f(a+h,b)-f(a,b)}{h}. 他の変数を定数とみなし、xx についてだけ微分する。fx, xff_x,\ \partial_x f とも書く。

やっていることは「yy を固定して、xx 方向の断面だけで一変数の微分」。計算は簡単です。 でも、これだけでは関数の全体像を捉えられない。恐ろしい例があります。

偏微分が存在しても連続ですらない

f(x,y)=xyx2+y2f(x,y)=\dfrac{xy}{x^2+y^2}f(0,0)=0f(0,0)=0)は、原点で fx(0,0)=fy(0,0)=0f_x(0,0)=f_y(0,0)=0 と 両方の偏微分が存在する。にもかかわらず、直線 y=xy=x に沿って原点に近づくと f=12f=\frac12 で、ff は原点で連続でない

一変数では「微分可能 ⇒ 連続」でした。多変数で偏微分だけを頼りにすると、それすら壊れる。 軸方向(東西・南北)しか見ていないので、斜め方向の異常を見逃すのです。 偏微分の存在は、良い微分可能性の代わりにならない——これが多変数最大の落とし穴です。

全微分:全方向をまとめて線形近似する

正しい「微分可能」は、一変数の本質——接線(線形関数)で近似できること——に立ち返って定義します。

定義 全微分可能

ff が点 a\mathbf{a}全微分可能とは、ある線形写像 LL(=ベクトル)があって f(a+h)=f(a)+Lh+o(h)(h0).f(\mathbf{a}+\mathbf{h})=f(\mathbf{a})+L\cdot\mathbf{h}+o(\|\mathbf{h}\|)\quad(\mathbf{h}\to\mathbf 0). このとき接平面が引け、L=(fx(a),fy(a))L=\big(f_x(\mathbf a),f_y(\mathbf a)\big)(これを勾配 f\nabla f という)。

要点は、h\mathbf hどの方向から 0\mathbf 0 に近づいても、誤差が h\|\mathbf h\| より速く消えること。 接「平面」でぴったり近似できる、が全微分の意味です。偏微分は「たまたま軸方向だけ合っていた」に すぎず、全方向で近似が成立して初めて本物、というわけです。

定理 全微分の基本性質と十分条件

  1. 全微分可能 \Rightarrow 連続、かつ全方向で偏微分・方向微分が存在する。
  2. C1C^1 級(偏導関数が存在して連続)\Rightarrow 全微分可能。

2が実務の要。偏微分の存在だけでは全微分は言えないが、偏導関数が連続でさえあれば全微分できる。 たいていの初等関数は C1C^1 なので安心して微分できますが、「連続性」という一手間が 偏微分と全微分の橋渡しをしている、と意識しておくと病的な例で事故りません。

勾配・方向微分・連鎖律

全微分できれば、任意方向の傾きが勾配一つから読めます。

定義 方向微分と勾配

単位ベクトル u\mathbf u 方向の方向微分Duf(a)=f(a)uD_{\mathbf u}f(\mathbf a)=\nabla f(\mathbf a)\cdot\mathbf u。 これは u\mathbf uf\nabla f と同じ向きのとき最大。すなわち勾配 f\nabla f関数が最も急に増える方向を指し、大きさはその傾き。

「山のどっちが一番の上り坂か」を教えるのが勾配。等高線と直交する、という図が頭に入ると強い。 最急降下法など最適化の基礎もここです。

定理 連鎖律(多変数)

z=f(x,y)z=f(x,y)x=x(t),y=y(t)x=x(t),y=y(t) が微分可能なら dzdt=fxdxdt+fydydt=fdrdt.\frac{dz}{dt}=\frac{\partial f}{\partial x}\frac{dx}{dt}+\frac{\partial f}{\partial y}\frac{dy}{dt}=\nabla f\cdot\frac{d\mathbf r}{dt}.

一変数の連鎖律の自然な拡張。「tt を動かすと各変数が動き、その効果を全部足す」。 全微分(線形近似)が成り立つからこそ、この足し算の形が正当化されます。 行列で書けば D(fg)=DfDgD(f\circ g)=Df\cdot Dg——ヤコビ行列の積で、線形代数と直結します。

高階偏微分:順序を入れ替えてよいか

fxyf_{xy}xx で微分してから yy)と fyxf_{yx}(逆順)は一致するか? 一般にはしない。 でも自然な条件下では一致します。

定理 シュワルツの定理(偏微分の順序交換)

fxyf_{xy}fyxf_{yx} がともに存在して連続なら、fxy=fyxf_{xy}=f_{yx}

「2階偏導関数が連続」なら順序を気にせず微分できる。これは第8章の「極限操作の交換」の一例で、 連続性(一様性)が交換を許す、という同じ精神です。この対称性のおかげで、次章以降の ヘッセ行列(2階偏微分を並べた行列)が対称行列になり、線形代数の対角化が使えます。

つまずきポイント

注意 よくある誤解

  • 偏微分が全部あっても「微分可能(全微分)」とは限らない。 連続すら保証されない。全微分は線形近似で定義する。
  • 勾配は「増加が最急な向き」。 等高線に沿う向きではない(そこは方向微分 00)。
  • シュワルツの定理は連続性が条件。連続でないと fxyfyxf_{xy}\ne f_{yx} となる病的な例が実在する。

この章のまとめ

  • 多変数の「傾き」は方向ごとに違う。偏微分は軸方向だけの断片で、存在しても連続すら保証しない。
  • 本物の微分は全微分=接平面による線形近似。実用上は C1C^1 級なら全微分可能が効く。勾配は最急増加方向。
  • 高階ではシュワルツの定理(連続なら順序交換可)でヘッセ行列が対称になり、次章の極値判定に直結する。

次章は、この道具で**方程式が定める曲線(陰関数定理)多変数の最大最小(極値問題)**を扱います。