⟐ 数学の作り方 How to make Mathematics

↑ ↓ 移動 Enter 開く Esc 閉じる

第11章 完全系列と完全関手

完全系列——ちょうど噛み合う連鎖

アーベル圏の主役が完全系列です。射の連鎖 ⋯→A→B→C→⋯\cdots\to A\to B\to C\to\cdots で、各点において「入ってくる射の 像」と「出ていく射の核」がぴったり一致するもの。加群論・ホモロジー代数で 出会った概念を、いまはアーベル圏(第10章)の言葉で扱います。

完全系列=各点で「像=核」。ずれ(ホモロジー)がゼロで、ちょうど噛み合う連鎖。

定義 完全系列

アーベル圏の射の列 A→fB→gCA\xrightarrow{f}B\xrightarrow{g}C が BB で完全とは、imf=ker⁡g\mathrm{im}f=\ker g (部分対象として一致)。すべての点で完全な列を完全系列という。とくに

0→A→fB→gC→00\to A\xrightarrow{f}B\xrightarrow{g}C\to 0

が完全(短完全系列)とは、ff が単射・gg が全射・imf=ker⁡g\mathrm{im}f=\ker g、すなわち AA が BB の 部分対象で C≅B/AC\cong B/A。

短完全系列 0→A→B→C→00\to A\to B\to C\to 0 は「BB が AA を部分にもち、商が CC」という状況の圏論的表現です。 「AA と CC から BB がどう組み上がるか」を測るのがホモロジー代数の中心問題でした。ここで、関手を通したとき 完全性がどうなるかを問います。

完全関手・左完全・右完全

アーベル圏の間の加法関手が、短完全系列をどこまで完全に保つか。これが関手の“質”を測る物差しになります。

定義 完全性の階層

加法関手 F:A→BF:\mathcal A\to\mathcal B(共変)について、短完全系列 0→A→B→C→00\to A\to B\to C\to 0 を移したとき、

  • 左完全:0→F(A)→F(B)→F(C)0\to F(A)\to F(B)\to F(C) が完全(左端まで保つ)。
  • 右完全:F(A)→F(B)→F(C)→0F(A)\to F(B)\to F(C)\to 0 が完全(右端まで保つ)。
  • 完全:0→F(A)→F(B)→F(C)→00\to F(A)\to F(B)\to F(C)\to 0 が完全(両端とも保つ)。

多くの自然な関手は、片側しか保ちません。どちら側を保つかは、第9章の随伴で決まる——左随伴は右完全、 右随伴は左完全。第9章の「保存則」がここに直結します。

定理 Hom とテンソルの完全性

A=ModR\mathcal A=\mathbf{Mod}_R で、

  • Hom(M,−)\mathrm{Hom}(M,-) は左完全(右随伴)、Hom(−,N)\mathrm{Hom}(-,N)(反変)も左完全。
  • −⊗RM-\otimes_R M は右完全(左随伴、第9章)。 どちらも一般には完全でない——保たれない“端”がある。

例 完全性が破れる——ずれが見える

0→Z→×2Z→Z/2→00\to\mathbb Z\xrightarrow{\times2}\mathbb Z\to\mathbb Z/2\to0(Ab\mathbf{Ab} の短完全系列)に −⊗Z/2-\otimes\mathbb Z/2 を 当てる:Z/2→×2=0Z/2→Z/2→0\mathbb Z/2\xrightarrow{\times2=0}\mathbb Z/2\to\mathbb Z/2\to0。右端は完全(右完全)だが、左端で ×2=0\times2=0 が単射でない——完全性が破れる。この「破れ」の大きさ ker⁡(×2)=Z/2\ker(\times2)=\mathbb Z/2 こそ、次章の Tor1(Z/2,Z/2)=Z/2\mathrm{Tor}_1(\mathbb Z/2,\mathbb Z/2)=\mathbb Z/2。関手が壊した完全性の“傷”が、新しい不変量を生む。

蛇の補題——完全性を操る基本技

完全系列を扱う最も基本的な道具が蛇の補題です。二つの短完全系列を縦の射でつないだ図式から、核と余核を つなぐ長い完全系列(“蛇”)を引き出します。次章の長完全系列の芽です。

定理 蛇の補題

アーベル圏で、行が完全な可換図式

0→A→B→C→0 a↓b↓c↓ 0→A′→B′→C′→0\begin{CD} 0 @>>> A @>>> B @>>> C @>>> 0\\ @. @VaVV @VbVV @VcVV @.\\ 0 @>>> A' @>>> B' @>>> C' @>>> 0 \end{CD}

から、核と余核をつなぐ完全系列

0→ker⁡a→ker⁡b→ker⁡c→ δ coker a→coker b→coker c→00\to\ker a\to\ker b\to\ker c\xrightarrow{\ \delta\ }\mathrm{coker}\,a\to\mathrm{coker}\,b\to\mathrm{coker}\,c\to0

が得られる(δ\delta は連結準同型)。

連結準同型 δ:ker⁡c→coker a\delta:\ker c\to\mathrm{coker}\,a が“蛇”の胴体——上段の ker⁡c\ker c から、図式を対角にたどって下段の coker a\mathrm{coker}\,a へ渡る。この δ\delta が、完全性の破れを次の段へ「繰り越す」役割を果たします。証明は 「元を追う」ダイアグラム・チェイシング(アーベル圏でもフレイド–ミッチェルで正当化、第10章)。蛇の補題は、 次章の導来関手が生む長完全系列の、最小の原型です。

つまずきポイント

注意 よくある誤解

  • 完全系列は「像=核」。 「像 ⊆ 核」(合成が 00)だけでは複体にすぎない。一致して初めて完全。ずれ= ホモロジー。
  • 左完全・右完全は保つ“端”が違う。 左完全は 0→F(A)→⋯0\to F(A)\to\cdots、右完全は ⋯→F(C)→0\cdots\to F(C)\to0。Hom\mathrm{Hom} は 左、⊗\otimes は右。随伴の左右と対応。
  • 関手は完全性を壊しうる。 その破れ(傷)が Ext,Tor\mathrm{Ext},\mathrm{Tor}(次章)。「壊れる」は欠陥でなく、新しい 情報の源。
  • 連結準同型 δ\delta が本質。 蛇の補題も長完全系列も、δ\delta が完全性の破れを繰り越すことで成立する。

この章のまとめ

  • 完全系列=各点で像=核。短完全系列 0→A→B→C→00\to A\to B\to C\to0 は「部分対象と商」を表す。
  • 加法関手は完全性を片側しか保たないことが多い:Hom\mathrm{Hom} は左完全(右随伴)、⊗\otimes は右完全(左随伴)。第9章の随伴と直結。
  • 完全性の破れが新しい不変量を生む(⊗Z/2\otimes\mathbb Z/2 の左端の傷=Tor\mathrm{Tor})。蛇の補題は核・余核をつなぐ完全系列を作る基本技で、連結準同型 δ\delta が破れを繰り越す。
  • 次章(最終章)では、この「関手が壊した完全性」を測る導来関手(Ext・Tor)を圏論的に定義し、圏論全体を総括します。

次章では、導来関手を導入し、Ext・Tor を「関手が壊した完全性を測る量」として圏論的に定義して、分野全体をまとめます。