第3章 円周の基本群と応用
円周のループは、巻き数で数えられる
前章で基本群という機械を作りました。いよいよ最初の非自明な計算です——円周 S1 の基本群は、整数の加法群
Z に同型。π1(S1)≅Z。
直感的には明らかです。円周のループは「何周するか」で本質的に決まる。時計回りに 1 周、反時計回りに 2 周、
一周もしない(縮む)…。この巻き数(何周したか)が整数で、ループをつなぐ(積)と巻き数が足される——だから群 Z。
これを厳密にするのが普遍被覆への持ち上げ:円周の上に無限に伸びる螺旋(実直線 R)を用意し、ループを
その螺旋上の道に持ち上げると、終点の高さがちょうど巻き数になる。
この一つの計算 π1(S1)=Z から、驚くほど深い結果が流れ出します——ブラウワーの不動点定理、そして
代数学の基本定理の位相的な証明。「円周のループは整数で数えられる」という素朴な事実が、
数学の大定理を生むのです。
π1(S1)≅Z(巻き数)。証明は普遍被覆 R→S1 への持ち上げ。ここから不動点定理・代数学の基本定理が出る。
巻き数を体感する
下で、原点(穴)のまわりのループを選び、スライダーで点を動かしてください。右のバーが持ち上げ θ(t)/2π——
ループを実直線 R(普遍被覆)へ持ち上げた高さ——を示します。一周し終えたときの高さが巻き数(整数)で、
これがループのホモトピー類= π1(S1) の元です。「巻いて戻る」ループは巻き数 0(縮められる=可縮)になる一方、
「2 周」は持ち上げが 2 段上がる。穴の外へどう変形しても整数の巻き数は変わらない——これが Z です。
π₁(S¹) ≅ ℤ の証明
証明の道具は被覆写像(第5章で一般論)です。円周を無限に巻きつく螺旋の“影”とみなします。
定義 円周の普遍被覆
写像 p:R→S1, p(t)=(cos2πt,sin2πt) を考える(実直線を円周に無限回巻きつける)。p は被覆写像:
各点の近傍の逆像が、R 上の“ばらばらの区間の列”になる。R は可縮(単連結)ゆえ普遍被覆という。
証明の心臓は、円周上の道を螺旋 R 上の道へ一意に持ち上げることです。
補題 道の持ち上げ
S1 の道 γ:[0,1]→S1 と、γ(0) の逆像の一点 x~0∈R に対し、γ~(0)=x~0 かつ
p∘γ~=γ となる道 γ~:[0,1]→R が一意に存在する(持ち上げ)。ホモトピーも同様に一意に持ち上がる。
定理 円周の基本群
π1(S1,1)≅Z,[γ]⟼γ~(1)−γ~(0) (巻き数).
証明
基点 1=(1,0)、x~0=0 とする。ループ γ を持ち上げた γ~ は、p(γ~(1))=γ(1)=1 ゆえ
γ~(1)∈Z(p−1(1)=Z)。この整数 degγ=γ~(1) が巻き数。
- well-defined:ホモトピックなループは、ホモトピーを持ち上げると同じ終点(Z は離散なので終点は動けない)。
- 準同型:γ⋅δ の持ち上げは、γ~ の後に δ の持ち上げを γ~(1) ずらして繋いだもの。終点は degγ+degδ。
- 全射:γn(s)=(cos2πns,sin2πns) は巻き数 n。
- 単射:degγ=0 なら γ~ は R 内の 0 から 0 へのループ。R は可縮ゆえ γ~≃ 定値、p で降ろすと γ≃ 定値。
ゆえ同型。∎
∎
証明の要は「R(可縮)に持ち上げると、巻き数 0 のループが縮む」こと。穴のある S1 の複雑さを、穴のない
R の単純さに持ち上げて解く——被覆空間の威力です。この π1(S1)=Z が、以下の応用を生みます。
応用1:レトラクトの不在とブラウワーの不動点定理
定理 レトラクトの不在
円板 D2 を境界円周 S1 へ押し込むレトラクション(r:D2→S1 で r∣S1=id)は存在しない。
証明
あると仮定する。包含 i:S1↪D2 と r の合成 r∘i=idS1。π1 を施すと(関手性、第2章)
r∗∘i∗=id:π1(S1)→π1(S1)、すなわち Zi∗π1(D2)r∗Z が恒等写像。だが D2 は可縮ゆえ
π1(D2)={e}(第2章)。Z→{e}→Z が恒等になるのは不可能(Z={e})。矛盾。∎
∎
「境界を縮めて内部だけにできない」——穴のない円板から、穴(Z)のある円周へは、恒等を保って写せない。
π1 の Z と {e} の違いが、これを証明します。そしてこのレトラクト不在から、有名な不動点定理が出ます。
定理 ブラウワーの不動点定理(2 次元)
連続写像 f:D2→D2 は必ず不動点をもつ(f(x)=x となる x がある)。
証明
不動点が無いと仮定する。各 x で f(x)=x なので、f(x) から x へ向かう半直線が境界 S1 と交わる点を r(x) とすると、
r:D2→S1 は連続で r∣S1=id(境界点はそのまま)——レトラクション。これは上の定理に反する。ゆえ不動点をもつ。∎
∎
「コーヒーをかき混ぜても、どこか一点は元の位置に戻る」という不動点定理が、π1(S1)=Z から出る。
微分方程式のピカールがバナッハの不動点だったのに対し、これは位相的な不動点定理です。
応用2:代数学の基本定理
定理 代数学の基本定理(位相的証明)
次数 n≥1 の複素係数多項式 p(z) は C に根をもつ。
証明
p(z)=zn+⋯ が根をもたないと仮定する。半径 R の円 ∣z∣=R 上のループ z=Re2πis を p で写した
s↦p(Re2πis)/∣p(Re2πis)∣(S1 値、根が無いので定義できる)を考える。R 大では p≈zn ゆえ巻き数 n、
R=0 では定値(巻き数 0)。R を 0 から大へ連続に動かすと、このループは連続変形されるので巻き数は不変——だが
n=0 と 0 が両立せず矛盾。ゆえ根をもつ。∎
∎
複素解析ではリウヴィルの定理から証明した代数学の基本定理が、ここでは巻き数から出ます。
「大円では zn が原点を n 周、小円では 0 周、連続変形で巻き数は変わらないから矛盾」——複素解析の偏角の原理と
同じ回転数の議論の、位相的な姿です。一つの定理が、解析・代数・位相の3つの視点で証明される好例です。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- π1(S1)=Z は巻き数。 ループの積で巻き数が足される=加法群 Z。可縮な R への持ち上げが証明の鍵。
- 持ち上げは一意。 始点を決めれば、道もホモトピーも普遍被覆へ一意に持ち上がる。Z が離散だから終点が動けない。
- ブラウワーは連続写像の不動点。 縮小写像を要するバナッハと違い、連続だけでよい(位相的)。証明はレトラクト不在= π1 の違い。
- Sn(n≥2)は単連結。 π1(Sn)={e}。S1 だけが Z。高次元球面のループは縮む(次章)。
この章のまとめ
- π1(S1)≅Z(巻き数)。証明は普遍被覆 p:R→S1 への道の持ち上げ——穴のある S1 を穴のない R に持ち上げ、巻き数 0 が縮むことを使う。
- 応用1:レトラクト D2→S1 の不在(π1 が Z と {e})→ ブラウワーの不動点定理(連続写像 D2→D2 は不動点をもつ)。
- 応用2:代数学の基本定理の位相的証明(大円で巻き数 n、連続変形で不変)。複素解析・偏角の原理と同根。
次章は、複雑な空間の基本群を計算する道具——ファン・カンペンの定理を扱います。