数学の作り方 How to make Mathematics

第2章 ネーター環と連鎖条件

前章の局所化は「環を小さく絞る」道具でした。本章は逆に、「環がどれだけ複雑になりうるか」に歯止めを かけます。一般の環は、イデアルが際限なく増殖してしまい手に負えません。そこで「有限性」という条件を課し、 扱える環に限定する。それがネーター環——現代の可換環論・代数幾何が実際に住んでいる世界です。

「無限に増え続けない」という条件

何を有限にすればよいか。素朴には「イデアルが有限個の元で生成される」ことを望みます。でも、これと同値で 遥かに使いやすい言い換えがあります。「イデアルの増大列が、いつか止まる」——増え続けられない、という条件です。

定義 ネーター環(三つの同値な定義)

可換環 RRネーター環であるとは、次の同値な三条件のいずれか(したがって全部)を満たすこと。

  1. 昇鎖条件(ACC):イデアルの任意の増大列 I1I2I3I_1\subset I_2\subset I_3\subset\cdots はいつか止まる (ある NN 以降 IN=IN+1=I_N=I_{N+1}=\cdots)。
  2. 極大条件:イデアルの空でない任意の集まりに、包含について極大な元がある。
  3. 有限生成RR のすべてのイデアルが有限個の元で生成される。

証明 (同値性の要点)

121\Rightarrow2:極大元が無ければ、真に増える列を無限に作れて ACC に反する。 232\Rightarrow3:イデアル II の「有限生成な部分イデアル」の集まりに極大元 JJ をとると、J=IJ=I (さもなくば II の元を一つ足してより大きい有限生成部分が作れ、極大性に反する)。 313\Rightarrow1:増大列の和 In\bigcup I_n もイデアルで、有限生成。その有限個の生成元はどこかの INI_N に すべて入るから、In=IN\bigcup I_n=I_N で列は止まる。

三つの顔のうち、証明で最も使うのは昇鎖条件です。「増大列は止まる」——この一言で、 「極小反例をとる」「際限なく手続きが続かない」といった有限性の議論が回り出します。 加群論のネーター加群(部分加群の ACC)とも同じ精神で、RRRR-加群として ネーターということに他なりません。

代表的なネーター環:体(イデアルは 00 と全体だけ)、Z\mathbb{Z}PID はネーター)、 そして次の定理により、多項式環と、そこからの剰余環すべて。逆に「無限変数の多項式環 k[x1,x2,]k[x_1,x_2,\dots]」は ネーターでない((x1)(x1,x2)(x_1)\subset(x_1,x_2)\subset\cdots が止まらない)。

ヒルベルトの基底定理

「なぜネーター環がそこら中にあるのか」の答えがこれです。ネーター性は変数を足しても壊れない

定理 ヒルベルトの基底定理

RR がネーター環なら、多項式環 R[x]R[x] もネーター環である。 したがって R[x1,,xn]R[x_1,\dots,x_n] も、その剰余環もネーター環。特に体上の有限生成代数はすべてネーター。

証明

R[x]R[x] のイデアル II が有限生成であることを示す。II の各元の最高次係数(先頭係数)に注目する。 「II に属する次数 dd の多項式の先頭係数」を集めると、RR のイデアル LdL_d ができ、L0L1L_0\subset L_1\subset\cdots と増大する(xx を掛ければ次数が上がるため)。RR がネーターだからこの列は LNL_N で止まり、各 LdL_ddNd\le N)も有限生成。 各 LdL_d の生成元を先頭係数に持つ II の多項式を有限個ずつ選び、それら全部を集めた有限集合を GG とする。 任意の fIf\in I は、GG の元に適当な単項式を掛けて先頭項を消す操作を繰り返せば次数を下げられ、有限回で 00 になる(LdL_d の有限生成性が先頭係数の相殺を保証する)。ゆえに ffGGR[x]R[x]-線形結合、I=(G)I=(G) は有限生成。

証明の心は「先頭係数のイデアルを次数ごとに追いかけ、ACC で止める」。この定理のおかげで、 代数幾何が扱う環——体上有限個の変数の多項式環とその商——は、例外なくネーターの世界に収まります。 「零点集合は有限個の方程式で定義できる」という代数幾何の基本(イデアルは有限生成)は、 まさにこの定理の言い換えです。

準素分解 — イデアルの素因数分解

整数は素数のべきの積 60=223560=2^2\cdot3\cdot5 に一意分解できました。イデアルでも似たことがしたい。ただし 「イデアルの積」ではなく**「共通部分」**で分解します((60)=(4)(3)(5)(60)=(4)\cap(3)\cap(5) のように)。素数べき (pk)(p^k) に あたるのが準素イデアルです。

定義 準素イデアル

イデアル qR\mathfrak{q}\ne R準素とは、abqab\in\mathfrak{q} ならば aqa\in\mathfrak{q} または あるべき bnqb^n\in\mathfrak{q}。このとき根基 q={x:xnq (n)}\sqrt{\mathfrak{q}}=\{x : x^n\in\mathfrak{q}\ (\exists n)\} は素イデアル p\mathfrak{p} になり、q\mathfrak{q} を「p\mathfrak{p}-準素」という。

素イデアルの定義「abpaab\in\mathfrak p\Rightarrow abb が入る」を、bb についてべきを許して緩めた条件です。 Z\mathbb{Z} では準素イデアルはちょうど (pk)(p^k)(素数べき)と (0)(0)。「素数べき」の一般化になっています。

定理 ラスカー–ネーターの準素分解定理

ネーター環 RR の任意のイデアル II は、有限個の準素イデアルの共通部分に書ける:

I=q1q2qr.I=\mathfrak{q}_1\cap\mathfrak{q}_2\cap\cdots\cap\mathfrak{q}_r.

冗長な項を除き根基を相異ならせた既約な分解では、現れる素イデアル pi=qi\mathfrak p_i=\sqrt{\mathfrak q_i} の集合は II から一意に定まる(付随素イデアル)。

存在証明の骨格は、またも ACC です。「準素イデアルの共通部分に書けないイデアルの集まり」に極大条件で 極大な反例 II をとると、II は既約でなく I=J1J2I=J_1\cap J_2(真に大きい二つ)と分かれ、各 JiJ_i は 仮定よりちゃんと分解でき、合わせて II も分解できて矛盾——という背理です。ネーター性がなければ この分解は保証されません(ラスカー–ネーターの名は、これを一般化したエミー・ネーターに由来)。

分解の一意性は完全ではないのが面白いところ。付随素イデアル {pi}\{\mathfrak p_i\} は一意ですが、準素成分 qi\mathfrak q_i そのものは(埋め込まれた素イデアルに対応する成分では)一意でない。それでも、極小な素イデアルに 対応する成分=「幾何的な既約成分」は一意に定まります。代数幾何では、 付随素イデアルの極小なものが零点集合 V(I)V(I)既約成分に、埋め込まれたものが「余分にくっついた低次元の 情報」に対応します。イデアルは、集合としての零点だけでなく「重複度つきの構造」まで覚えているのです。

注意 つまずきポイント

  • ネーターの本質は ACC(増大列が止まる)。 有限生成と同値だが、証明では「止まる」ことを使う方が圧倒的に多い。 「極小反例をとる」議論はすべてここから来る。
  • 準素分解は「積」でなく「共通部分」。 (paqb)=(pa)(qb)(p^aq^b)=(p^a)\cap(q^b)。素イデアルの「べき」と「準素」は一般に別物 (準素だが素イデアルのべきでない例がある)。準素の定義は「abab が入れば aabbべきが入る」。
  • 一意なのは付随素イデアルの集合。 準素成分そのものは一般に一意でない。埋め込まれた素イデアルの存在が、 幾何で「見えない低次元成分」に対応する。

この章のまとめ

  • ネーター環=イデアルの昇鎖条件(=有限生成=極大条件)。「増え続けられない」という有限性が、 可換環論のあらゆる有限性議論の土台になる。
  • ヒルベルトの基底定理RR ネーター R[x]\Rightarrow R[x] ネーター。ゆえに体上有限生成な環はすべてネーター—— 代数幾何が住む世界。証明は「先頭係数のイデアルを ACC で止める」。
  • 準素分解(ラスカー–ネーター):ネーター環のイデアルは準素イデアルの共通部分に分解でき、付随素イデアルは一意。 整数の素因数分解の環版で、幾何の既約成分に対応する。

局所化(絞る)とネーター性(有限性)で足場が固まりました。次章は環を上へ拡張します——整数の  \sqrt{\ } 的な 拡大「整拡大」を通じて、ネーターの正規化と、代数幾何の礎ヒルベルトの零点定理を証明します。