第4章 ドルボーコホモロジー
前章で ∂ˉ2=0 を得ました。多様体論で d2=0 からド・ラームコホモロジーを作ったのと
まったく同じ仕組みで、∂ˉ からドルボーコホモロジー H∂ˉp,q が定義できます。しかも
これは単なる形式的な構成ではありません。ドルボーの定理により、H∂ˉp,q は正則な対象
(正則 p 形式の層コホモロジー)と一致する——解析的に作った不変量が、代数幾何的な不変量と同じものになる。
代数幾何と複素解析が握手する、この分野の基本不変量が姿を現します。
ドルボーコホモロジーの定義
∂ˉ:Ap,q→Ap,q+1 が ∂ˉ2=0 を満たすので、q を動かすと複体
Ap,0 ∂ˉ Ap,1 ∂ˉ Ap,2 ∂ˉ ⋯
ができます。そのコホモロジーを取ります。
定義 ドルボーコホモロジー
H∂ˉp,q(X)=im(∂ˉ:Ap,q−1→Ap,q)ker(∂ˉ:Ap,q→Ap,q+1)
をドルボーコホモロジーという。分子は「∂ˉ で閉じた (p,q) 形式」(∂ˉ-閉)、分母は
「∂ˉ で完全なもの」。その次元 hp,q=dimCH∂ˉp,q(X) をホッジ数という。
構造はド・ラームコホモロジー HdRk=kerd/imd とうり二つ。ただし d の代わりに
∂ˉ、次数 k の代わりに二重次数 (p,q)。ド・ラームが「穴の数」(実の位相不変量)を測ったのに対し、
ドルボーは「正則構造の穴」(複素構造まで込めた不変量)を測ります。ホッジ数 hp,q は、複素多様体の
最も基本的な不変量で、後の章(第8–9章)でホッジ・ダイヤモンドとして整理されます。
ドルボーの定理:解析と正則対象の一致
ドルボーコホモロジーの真価は、それが正則な対象で書けることです。q=0 の場合から見ましょう。Hp,0 は
「∂ˉ で閉じた (p,0) 形式」、すなわち正則 p 形式(第3章)の全体です。一般の q については、
層コホモロジーとの一致が成り立ちます。
定理 ドルボーの定理
複素多様体 X について、ドルボーコホモロジーは正則 p 形式の層 ΩXp の層コホモロジーと同型:
H∂ˉp,q(X)≅Hq(X,ΩXp).
とくに H∂ˉ0,q(X)≅Hq(X,OX)(正則関数の層のコホモロジー)。
証明の心は、∂ˉ-ポアンカレ補題——「局所的には ∂ˉ-閉な形式は ∂ˉ-完全」
(∂ˉu=α が局所可解、複素解析の ∂ˉ-方程式の可解性)——です。
これにより、なめらかな (p,q) 形式の複体が、正則 p 形式の層の細層分解(代数幾何で
学んだ層コホモロジーの計算法)になる。左辺は解析的(滑らかな形式と ∂ˉ)、右辺は代数幾何的
(正則な層とそのコホモロジー)。両者が一致するのがドルボーの定理で、多様体論のド・ラームの定理
(HdRk≅Hk(X,R)、滑らかな形式=位相的コホモロジー)の複素版にあたります。
注意 三つのコホモロジーが並ぶ
複素多様体には三種のコホモロジーが住む:
- ド・ラーム HdRk(d、実の位相不変量、ベッチ数)、
- ドルボー H∂ˉp,q(∂ˉ、複素構造の不変量、ホッジ数)、
- 層コホモロジー Hq(X,Ωp)(正則な層、代数幾何)。
ドルボーの定理が後ろ二つを結ぶ。そして一般には ⨁p+q=kHp,q と HdRk の関係は
自明でない——それを結ぶのが、ケーラー多様体でのホッジ分解(第8章)。三者が一致する舞台がケーラー幾何。
例:リーマン面と射影空間
具体例でホッジ数を見ます。抽象的な定義に血を通わせましょう。
例 コンパクトリーマン面(種数 g)
種数 g のコンパクトリーマン面 Σ(複素1次元)では:h0,0=1(定数、正則関数)、
h1,0=g(正則1形式 = アーベル微分、これが種数の解析的な意味)、h0,1=g、h1,1=1。
正則1形式の次元がちょうど種数 g に一致するのが、リーマン–ロッホの芽。
例 複素射影空間 ℂℙⁿ
CPn では hp,q=1(p=q のとき)、0(p=q のとき)。対角だけが 1 の、最も単純な
ホッジ数の配置。ベッチ数は b2k=1,bodd=0 で、CPn の各偶数次元に「一つずつ穴」がある
(CP1=球面、CP2=…)ことに対応。
種数 g のリーマン面で h1,0=g となるのは印象的です。位相的な穴の数(種数)が、正則1形式という解析的な
対象の次元として現れる。位相と解析の一致——複素幾何の中心テーマが、最も簡単な例ですでに顔を出しています。
注意 つまずきポイント
- ドルボーはド・ラームの複素版。d→∂ˉ、次数 k→ 二重次数 (p,q)。ker/im の
作り方は同じ。測る対象が「実の穴」から「正則構造の穴」に変わる。
- Hp,0 = 正則 p 形式。q=0 では分母(∂ˉ の像)がなく、∂ˉ-閉=正則。ホッジ数
hp,0 は正則 p 形式の次元。
- 一般には ⨁Hp,q=HdRk。ドルボーとド・ラームが直接は結びつかない。両者を
結ぶには計量(ケーラー)が要る(第8章)。ここでは別々の不変量として押さえる。
この章のまとめ
- ドルボーコホモロジー H∂ˉp,q=ker∂ˉ/im∂ˉ(∂ˉ2=0 から、
ド・ラームの複素版)。次元がホッジ数 hp,q=複素多様体の基本不変量。
- ドルボーの定理 H∂ˉp,q≅Hq(X,Ωp):解析的なドルボーが、正則 p 形式の層
コホモロジー(代数幾何)と一致。証明は ∂ˉ-ポアンカレ補題。ド・ラームの定理の複素版。
- 複素多様体にはド・ラーム・ドルボー・層コホモロジーの三種が住み、後二者をドルボーが結ぶ。三者が一致する
舞台がケーラー幾何(第8章)。
- 種数 g のリーマン面で h1,0=g(正則1形式=種数)、CPn は対角のみ hp,p=1。位相と解析の
一致の芽。
これで「複素構造と ∂ˉ」(前半)が揃いました。次章から計量を導入します。正則構造と調和する
エルミート計量と、そこから作られるケーラー形式 ω、そして dω=0 というケーラー条件へ進みます。