第7章 調和形式とホッジ分解
前章までで、複素構造()と計量(ケーラー)が揃いました。ここからホッジ理論の核心に入ります。 多様体論のド・ラームコホモロジーでは、一つのコホモロジー類にたくさんの閉形式が属していました ( と は同じ類)。計量を入れると、その中からただ一つの「最良の代表」——エネルギー 最小の調和形式——が選べます。これがホッジの定理です。位相的な穴(コホモロジー)に、解析的に最も美しい姿を 与える——この一般的な仕組みを、まず(複素に限らず)コンパクトリーマン多様体で確立します。
ラプラシアン:エネルギーを測る作用素
計量が入ると、微分形式に内積が定まり、外微分 の「随伴作用素」 が作れます(関数解析の 随伴の発想)。この二つからラプラシアンを組みます。
定義 余微分とラプラシアン
コンパクトリーマン多様体で、計量から微分形式の 内積 ( はホッジ・スター)が定まる。外微分 の随伴を余微分 ()、 をホッジ–ラプラシアンという。 を満たす形式を調和形式という。
ラプラシアンは、フーリエ解析やPDEで見た の、微分形式版・ 曲がった空間版です。調和形式 は「これ以上変形してエネルギーを下げられない、最も“平らな”形式」。 実は かつ (閉じていて、かつ余閉)——調和形式は自動的に 閉形式なので、コホモロジー類を定めます。
ホッジの定理:調和形式 = コホモロジー
ホッジ理論の心臓です。各コホモロジー類に、調和な代表がちょうど一つある。
定理 ホッジの定理・ホッジ分解
コンパクトリーマン多様体で、微分形式の空間は直交分解する(ホッジ分解): ここで は調和 形式の空間。したがって各ド・ラームコホモロジー類は ただ一つの調和形式で代表され、 とくに は有限次元で、(ベッチ数)。
証明
(骨子) は楕円型作用素(PDE)で、コンパクト多様体上ではその解析(楕円型正則性・ スペクトル理論、レリッヒのコンパクト性)から は有限次元、像は閉で上の直交分解が成り立つ。閉形式 ()を分解すると、 成分は -完全でないと消え、 調和成分 。 ゆえに各類に調和代表がちょうど一つ。 の有限次元性が を与える。
この定理の意味を噛みしめてください。コホモロジー類は「閉形式を完全形式の分だけずらした同値類」という、 たくさんの代表を持つ曖昧な対象でした。ホッジの定理は、そこからエネルギー最小の一つを選び出す。位相 (コホモロジー)と解析(調和形式=楕円型 PDE の解)が、ぴたりと一致する。しかもこれは 変分法の精神——「各類の中でディリクレエネルギー を最小化する形式が 調和形式」——そのものです。位相的な穴に、変分的に最良の姿が対応する。
ポアンカレ双対:ホッジ・スターの贈り物
ホッジ理論から、位相の基本的な対称性が透けて見えます。ホッジ・スター作用素 が調和形式を調和形式に写す ことから、位相幾何のポアンカレ双対が自然に出ます。
定理 ポアンカレ双対(ホッジ理論版)
コンパクト向き付き 次元多様体で、ホッジ・スター は同型。ゆえに
は 形式を 形式に写し、 と可換なので調和形式どうしを対応させます。だから と が同型で、ベッチ数が対称になる。位相幾何でカップ積とサイクルの交叉 から示したポアンカレ双対が、ここでは計量(ホッジ・スター)を通して解析的に再現される。位相不変量である ベッチ数の対称性が、計量に依存する調和形式の理論から出てくる——不変量は計量の選び方によらないので、これで よいのです。
注意 ここまでは「複素」を使っていない
本章のホッジの定理・ポアンカレ双対は、複素構造を使わない一般のコンパクトリーマン多様体の話。ラプラシアン と調和形式は実の幾何で意味を持つ。複素構造が本領を発揮するのは次章—— からも同様に ラプラシアン が作れ、ケーラー条件のもとで と一致することで、 ド・ラーム(実)とドルボー(複素)が結びつく。ここはその舞台設定。
注意 つまずきポイント
- 調和形式は各類に一つ。閉形式は無数にあるが、調和なもの()はちょうど一つ。エネルギー 最小の最良代表。
- は楕円型 PDE。有限次元性・分解は楕円型作用素の解析(PDE 発展)による。ホッジ理論は幾何と PDE の合流点。
- 本章は実の多様体の話。複素構造はまだ本質的に使っていない。次章でケーラーが「三つのラプラシアンを一致 させる」ことで、複素の魔法が起きる。
この章のまとめ
- 計量からラプラシアン が作れ、調和形式( 閉かつ余閉)が 定まる。
- ホッジの定理:各コホモロジー類に調和代表がちょうど一つ。、 。位相(穴)と解析(楕円型 PDE の解、変分の最小元)が一致。
- ポアンカレ双対 が、ホッジ・スター から出る。
- ここまでは複素構造を使わない一般論。次章でケーラーが を導き、ド・ラームと ドルボーを結ぶ。
次章は、この調和形式の理論に複素構造を注ぎます。ケーラー多様体では三つのラプラシアンが一致し、 というホッジ分解——位相が複素解析的に分裂する奇跡——が起こります。