第6章 行列式
行列式とは「どれだけ引き伸ばすか」の一つの数
の行列に、たった一つの数を対応させる——それが行列式です。定義の式は複雑に見えますが、 その正体はいたって直感的。**「その行列が、面積(体積)を何倍に拡大するか」**を表す数です。
下の装置で確かめましょう。行列 を動かすと、単位正方形(面積 )が平行四辺形に変形します。 その平行四辺形の面積が 。しかも が負になると平行四辺形の向きが裏返る(色が変わる)。 つまり行列式は「拡大率」と「向きの保存/反転」を同時に担う、一つの符号付きの数なのです。
とくに は「面積が につぶれる」=空間が低次元に潰れることを意味し、 これが「 が正則でない(逆行列を持たない・写像がつぶれる)」ことの判定になります。
性質から定義する:多重線形性と交代性
「面積の拡大率」を、公理として書き下します。面積が満たすべき当たり前の性質を並べるだけです。
定義 行列式の特徴づけ
は各列(または各行)について次を満たす唯一の関数として定まる:
- 多重線形性:各列について線形(一つの列を 倍すれば面積も 倍、列の和には分配)。
- 交代性: つの列を入れ替えると符号が変わる(等しい列があれば )。
- 正規化:(単位正方形の面積は )。
「列を伸ばせば面積も比例(線形)」「同じ列=つぶれて面積 (交代)」——すべて面積の常識です。 この3条件を満たす関数は一つしかなく、それが行列式。ここから具体的な式が出ます。
定理 置換による表示(ライプニッツ)
は 文字の置換全体、 は置換の符号(偶置換 ・奇置換 )。
各項は「各行から重ならないように一個ずつ選んだ積」、符号は選び方の“ねじれ”(交代性の反映)。 群論の対称群 がここに顔を出します。この式から基本性質が芋づる式に出ます。
定理 行列式の基本性質
、、 が正則 (このとき )。
は「合成写像の拡大率=拡大率の積」。面積で考えれば当然で、 行列式が“写像の性質”であること(相似不変:)を裏づけます。
実際に計算する
定義の和は項数 で膨大。実務では次の2つを使います。
定理 余因子展開(ラプラス展開)
一つの行(または列)に沿って は第 行・第 列を除いた小行列式。次数を一つ下げて再帰的に計算できる。
定理 行基本変形による計算
行の入れ替えで符号反転、行の定数倍で も同じ倍、「行に他の行の定数倍を足す」は 不変。 これで上三角形にすれば、 は対角成分の積。大きな行列はこちらが速い()。
余因子展開は小さい行列や理論に、行基本変形は大きい数値計算に向く、と使い分けます。
クラメルの公式
行列式は、連立一次方程式の解を“公式”として書き下すこともできます。
定理 クラメルの公式
のとき、 の解は は の第 列を に置き換えた行列。
各成分を行列式の比で明示できる美しい公式です。ただし計算量は大きく、実務の求解には 掃き出し法(行基本変形)が使われます。クラメルの真価は「解が係数にどう依存するか」を 式で見せる理論的な場面(感度解析や証明)にあります。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- 。 行列式は行列の和には分配しない(多重線形は「各列ごと」の話)。積には が成り立つ。
- は「面積がつぶれる=正則でない」。 逆行列なし・列が一次従属・ が固有値、と同値。
- 行の「定数倍を足す」は 不変だが、行そのものの「定数倍」は をその倍にする。混同しやすい。
この章のまとめ
- 行列式は「符号付きの面積・体積の拡大率」。 は空間が低次元につぶれる=正則でない、と同値。
- 多重線形性・交代性・正規化で一意に定まり、置換の和(ライプニッツ)で書ける。、相似不変。
- 計算は余因子展開(理論・小行列)と行基本変形(大行列)。クラメルの公式は解を行列式の比で明示する。
行列式で「つぶれるか否か」が分かりました。次章は写像の“芯”——固有値と固有ベクトルに踏み込みます。