数学の作り方 How to make Mathematics

第8章 対角化

いちばん簡単な基底で、変換の正体を見る

第4章で「表現行列は基底の選び方で変わる」「だから最も簡単に見える基底を探したい」と予告しました。 第7章で、その最良の候補が見つかっています——固有ベクトルです。

固有ベクトルを基底にとると、各基底方向で変換はただの λ\lambda 倍。混ざり合いが消え、 表現行列は対角成分に固有値が並ぶだけの対角行列になります。対角行列は最強に扱いやすい: kk 乗も指数関数も、対角成分ごとに計算するだけ。複雑な変換を「各固有方向で独立に伸縮しているだけ」 という透明な姿に還元する——これが対角化です。

固有ベクトルを基底にとれば行列は対角化される。変換が「軸ごとの単純な伸縮」に分解される。

対角化の定義と条件

定義 対角化可能

正則行列 PPP1AP=DP^{-1}AP=DDD は対角行列)にできるとき、AA対角化可能という。 このとき PP の各列は AA の固有ベクトル、DD の対角成分は対応する固有値。

P1AP=DP^{-1}AP=D は前章までの相似変換そのもの。PP の列に固有ベクトルを並べれば AP=PDAP=PD、つまり A(固有ベクトル)=λ(固有ベクトル)A(\text{固有ベクトル})=\lambda(\text{固有ベクトル}) が列ごとに成り立つ、というだけです。 問題は「そんな PP が組めるか」=固有ベクトルだけで基底が作れるか

定理 対角化可能条件

n×nn\times n 行列 AA について、次は同値:

  1. AA は対角化可能。
  2. AA の一次独立な固有ベクトルが nn 本とれる(固有ベクトルで基底が組める)。
  3. すべての固有値で幾何的重複度=代数的重複度。 特に、固有値がすべて相異なれば対角化可能(十分条件)。

前章の「重複度のズレ」がここで効きます。ズレが無ければ各固有空間から必要な本数の固有ベクトルが 取れて基底が完成し、対角化できる。ズレがあると固有ベクトルが足りず、対角化は失敗します (その場合が次章のジョルダン標準形)。異なる固有値の固有ベクトルは自動的に独立なので、 固有値が全部違えば無条件で対角化できる、というのが実務でいちばん使う判定です。

命題 対角化の御利益

A=PDP1A=PDP^{-1} なら Ak=PDkP1A^k=PD^kP^{-1}DkD^k は対角成分を kk 乗するだけ。 同様に eA=PeDP1e^{A}=Pe^{D}P^{-1} で、行列の指数関数(→微分方程式の連立線形系)も即座に計算できる。

最小多項式とケーリー–ハミルトン

対角化できるかを、固有ベクトルを求めずに多項式で判定する道具があります。

定理 ケーリー–ハミルトンの定理

どんな正方行列も自身の特性多項式を満たす:φA(A)=O\varphi_A(A)=O

「行列を自分の特性方程式に代入すると零行列になる」。λ\lambdaAA を代入してよい、という 一見あやしい主張ですが、対角化可能な場合は各固有値で φA(λi)=0\varphi_A(\lambda_i)=0 だから φA(D)=O\varphi_A(D)=O、相似で φA(A)=O\varphi_A(A)=O。一般でも成り立ちます。応用として、AnA^n 以上の高い冪や 逆行列 A1A^{-1} を、低次の多項式(I,A,,An1I,A,\dots,A^{n-1})で書き直せます。

定義 最小多項式と対角化判定

mA(A)=Om_A(A)=O となる最低次のモニック多項式 mAm_A最小多項式という。mAm_AφA\varphi_A を割り切る。 AA が対角化可能     mA\iff m_A が重根を持たない(相異なる一次式の積に分解)。

最小多項式が「λλi\lambda-\lambda_i たちの積(重複なし)」なら対角化可能。重根((λλi)2(\lambda-\lambda_i)^2 など)を 含むと対角化できず、その冪の高さがジョルダン細胞の大きさ(第9章)を教えてくれます。

スペクトル分解と同時対角化

対角化を「固有空間への射影の重ね合わせ」として書き直すと、見通しがよくなります。

定理 スペクトル分解

AA が対角化可能で固有値 λ1,,λr\lambda_1,\dots,\lambda_r(相異なる)を持つとき、各固有空間への射影 PiP_i を用いて A=λ1P1++λrPr,PiPj=δijPi, iPi=I.A=\lambda_1P_1+\cdots+\lambda_rP_r,\qquad P_iP_j=\delta_{ij}P_i,\ \sum_iP_i=I.

AA は、各固有空間で λi\lambda_i 倍する射影の足し合わせ」。空間が固有空間の直和 (第5章)に分かれ、各部品で単純にスカラー倍している、という構造がそのまま式になっています。

定理 同時対角化

可換な(AB=BAAB=BA)対角化可能行列たちは、共通の基底で同時に対角化できる

「交換する行列は、固有ベクトルを共有できる」。可換性が「同じ軸を持てる」ことに対応する—— 量子力学で「同時に測れる観測量は交換する」という話の数学的な芯がこれです。

つまずきポイント

注意 よくある誤解

  • 対角化できない行列がある。 固有ベクトルが足りないとき(幾何的重複度 < 代数的重複度)。すべてが対角化できるわけではない。
  • 固有値が重複していても対角化できることはある。 例:単位行列 II。重複=対角化不能ではなく、重複時に幾何的重複度が落ちるかどうかが問題。
  • ケーリー–ハミルトンは「φA(A)=O\varphi_A(A)=O」であって「φA(λ)\varphi_A(\lambda) にスカラー λ\lambda を入れる」話ではない。行列を代入する。

この章のまとめ

  • 固有ベクトルを基底にとると P1AP=DP^{-1}AP=D(対角)。冪や指数関数が対角成分ごとの計算に化ける。
  • 対角化可能     \iff 固有ベクトルで基底が組める     \iff 全固有値で幾何的重複度=代数的重複度。最小多項式が重根を持たないこととも同値。固有値が全部相異なれば自動的に可能。
  • スペクトル分解は対角化を射影の和で表したもの。可換な行列は同時対角化できる。

対角化できない場合はどうするか。次章は、その次善の標準形——ジョルダン標準形です。