第9章 ジョルダン標準形
対角化できないなら、「あと一歩」だけ崩す
前章で、固有ベクトルが足りない行列は対角化できないと分かりました。 のように、固有値は 一つなのに固有方向が 本しかない。 では、こういう行列はどこまで簡単にできるのか?
答えは「完全な対角にはできないが、対角のすぐ隣(右上)に をいくつか置くだけの形には 必ずできる」。これがジョルダン標準形。対角化の“惜しい失敗”を、最小限のズレで受け止めた 標準形です。しかもこの形は本質的に一意なので、どんな正方行列も、相似で一つの決まった姿に 整理できるという、線形代数の分類の到達点になります。
対角化の敗因は「固有ベクトル不足」。足りない分を鎖でつなぎ、対角+右上の の形に落ち着ける。
広義固有空間:足りない固有ベクトルを補う
固有ベクトル が足りないなら、条件を緩めて集めます。「 回で に つぶれる」ではなく「何回かかければ につぶれる」ベクトルまで拾うのです。
定義 広義固有空間
固有値 に対し、ある で となる 全体を 広義固有空間 という。その次元は の代数的重複度に等しい。
固有空間 (幾何的重複度)は足りなくても、広義固有空間 は 代数的重複度ぶんの次元を確保できる。そして——
定理 広義固有空間分解
空間全体は広義固有空間の直和に分かれる:。 各 上で は冪零(何乗かで )になる。
第5章の直和分解が、ここで「空間を固有値ごとに完全に砕く」形で結実します。 各部品では 。あとは冪零部分を標準化すればよい、と問題が縮みます。
ジョルダン鎖とジョルダン細胞
冪零部分を整理する道具が「鎖」です。足りない固有ベクトルを、 で一段ずつ つながる列としてつかまえます。
定義 ジョルダン鎖・ジョルダン細胞
と連なる をジョルダン鎖という( が本物の固有ベクトル)。 この鎖を基底にとると、その部分の表現行列は対角に 、その右上に が並ぶ のジョルダン細胞 になる。
定理 ジョルダン標準形の存在と一意性
(代数閉体上で)任意の正方行列 は、ジョルダン細胞を対角に並べたブロック対角行列 に相似で、この形は細胞の並べ替えを除いて一意。各 の細胞の個数=幾何的重複度、 細胞の大きさの合計=代数的重複度。
対角化はすべての細胞が の特別な場合。細胞が 以上になるのが「固有ベクトル不足」の正体で、 細胞の大きさは の階数の落ち方(=最小多項式での の冪)から決まります。
例 冪零行列の分類
冪零行列(固有値がすべて )のジョルダン標準形は、右上に が並ぶ細胞を の対角に置いた形。 つまり冪零行列は「 と一段ずつ送る」シフト作用の集まりで、 その分類は鎖の長さの組(ヤング図形)で完全に決まる。
応用:行列の指数関数と微分方程式
ジョルダン標準形の実用的な山場が、連立線形微分方程式 の解 です。
定理 ジョルダン細胞の指数関数
( は冪零)と分けると と は可換なので が冪零なので級数は有限で止まる。
対角化できる場合の解は の重ね合わせ(純粋な指数的振る舞い)でした。対角化できない 場合はここに という多項式因子が付く——これが微分方程式で現れる「重解のときの 型の解」の正体です。ジョルダン標準形は、その多項式因子がなぜ・何次まで出るかを きっちり説明します。
注意 発展:単因子・有理標準形(加群論的視点)
ジョルダン標準形は代数閉体(複素数など)を要する。実係数のまま扱うには、 上の加群として を捉え、単因子論で分類する**有理標準形(コンパニオン行列)**が使える。これは 加群論の「PID 上有限生成加群の構造定理」の一例で、ジョルダン標準形と有限アーベル群の 分類が“同じ定理の二つの顔”であることが分かる。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- 細胞の「個数」は幾何的重複度、「大きさの合計」は代数的重複度。 両者を取り違えない。固有値ごとに独立に決まる。
- ジョルダン標準形は代数閉体での話。実行列は複素固有値だと実ジョルダン形/有理標準形を使う。
- 対角化は「すべての細胞が 」の特別な場合。ジョルダン標準形は対角化の一般化であって別物ではない。
この章のまとめ
- 対角化の敗因(固有ベクトル不足)は、広義固有空間で代数的重複度ぶんの次元を回収して受け止める。空間は広義固有空間の直和に砕ける。
- 足りない分をジョルダン鎖でつなぐと、対角+右上の のジョルダン細胞になり、任意の行列は細胞の並びで一意に分類される。
- 指数関数 に付く の多項式因子は細胞の大きさが源。実係数では有理標準形(→加群論)を使う。
前半(写像・標準形)が完結しました。次章から、空間に「長さと角度」を入れる内積空間へ進みます。