数学の作り方 How to make Mathematics

第9章 ジョルダン標準形

対角化できないなら、「あと一歩」だけ崩す

前章で、固有ベクトルが足りない行列は対角化できないと分かりました。 (2102)\begin{pmatrix}2&1\\0&2\end{pmatrix} のように、固有値は 22 一つなのに固有方向が 11 本しかない。 では、こういう行列はどこまで簡単にできるのか?

答えは「完全な対角にはできないが、対角のすぐ隣(右上)に 11 をいくつか置くだけの形には 必ずできる」。これがジョルダン標準形。対角化の“惜しい失敗”を、最小限のズレで受け止めた 標準形です。しかもこの形は本質的に一意なので、どんな正方行列も、相似で一つの決まった姿に 整理できるという、線形代数の分類の到達点になります。

対角化の敗因は「固有ベクトル不足」。足りない分を鎖でつなぎ、対角+右上の 11 の形に落ち着ける。

広義固有空間:足りない固有ベクトルを補う

固有ベクトル ker(AλI)\ker(A-\lambda I) が足りないなら、条件を緩めて集めます。「11 回で 0\mathbf 0 に つぶれる」ではなく「何回かかければ 0\mathbf 0 につぶれる」ベクトルまで拾うのです。

定義 広義固有空間

固有値 λ\lambda に対し、ある kk(AλI)kv=0(A-\lambda I)^k\mathbf v=\mathbf 0 となる v\mathbf v 全体を 広義固有空間 E~λ\tilde E_\lambda という。その次元は λ\lambda代数的重複度に等しい。

固有空間 EλE_\lambda(幾何的重複度)は足りなくても、広義固有空間 E~λ\tilde E_\lambda は 代数的重複度ぶんの次元を確保できる。そして——

定理 広義固有空間分解

空間全体は広義固有空間の直和に分かれる:V=E~λ1E~λrV=\tilde E_{\lambda_1}\oplus\cdots\oplus\tilde E_{\lambda_r}。 各 E~λi\tilde E_{\lambda_i} 上で AλiIA-\lambda_i I冪零(何乗かで OO)になる。

第5章の直和分解が、ここで「空間を固有値ごとに完全に砕く」形で結実します。 各部品では A=λiI+(冪零)A=\lambda_i I+(\text{冪零})。あとは冪零部分を標準化すればよい、と問題が縮みます。

ジョルダン鎖とジョルダン細胞

冪零部分を整理する道具が「鎖」です。足りない固有ベクトルを、(AλI)(A-\lambda I) で一段ずつ つながる列としてつかまえます。

定義 ジョルダン鎖・ジョルダン細胞

(AλI)vk=vk1,,(AλI)v1=0(A-\lambda I)\mathbf v_k=\mathbf v_{k-1},\dots,(A-\lambda I)\mathbf v_1=\mathbf 0 と連なる v1,,vk\mathbf v_1,\dots,\mathbf v_kジョルダン鎖という(v1\mathbf v_1 が本物の固有ベクトル)。 この鎖を基底にとると、その部分の表現行列は対角に λ\lambda、その右上に 11 が並ぶ k×kk\times kジョルダン細胞 Jk(λ)J_k(\lambda) になる。

定理 ジョルダン標準形の存在と一意性

(代数閉体上で)任意の正方行列 AA は、ジョルダン細胞を対角に並べたブロック対角行列 J=(Jk1(λ1)Jks(λs))J=\begin{pmatrix}J_{k_1}(\lambda_1)& & \\ &\ddots& \\ & &J_{k_s}(\lambda_s)\end{pmatrix} に相似で、この形は細胞の並べ替えを除いて一意。各 λ\lambda の細胞の個数=幾何的重複度、 細胞の大きさの合計=代数的重複度。

対角化はすべての細胞が 1×11\times1 の特別な場合。細胞が 22 以上になるのが「固有ベクトル不足」の正体で、 細胞の大きさは (AλI)k(A-\lambda I)^k の階数の落ち方(=最小多項式での λ\lambda の冪)から決まります。

冪零行列の分類

冪零行列(固有値がすべて 00)のジョルダン標準形は、右上に 11 が並ぶ細胞を 00 の対角に置いた形。 つまり冪零行列は「vkvk10\mathbf v_k\to\mathbf v_{k-1}\to\dots\to\mathbf 0 と一段ずつ送る」シフト作用の集まりで、 その分類は鎖の長さの組(ヤング図形)で完全に決まる。

応用:行列の指数関数と微分方程式

ジョルダン標準形の実用的な山場が、連立線形微分方程式 x=Ax\mathbf x'=A\mathbf x の解 x(t)=etAx0\mathbf x(t)=e^{tA}\mathbf x_0 です。

定理 ジョルダン細胞の指数関数

Jk(λ)=λI+NJ_k(\lambda)=\lambda I+NNN は冪零)と分けると λI\lambda INN は可換なので etJk(λ)=eλtetN=eλt(I+tN+t22!N2++tk1(k1)!Nk1).e^{tJ_k(\lambda)}=e^{\lambda t}e^{tN}=e^{\lambda t}\Big(I+tN+\tfrac{t^2}{2!}N^2+\cdots+\tfrac{t^{k-1}}{(k-1)!}N^{k-1}\Big). NN が冪零なので級数は有限で止まる

対角化できる場合の解は eλte^{\lambda t} の重ね合わせ(純粋な指数的振る舞い)でした。対角化できない 場合はここに t,t2,t,t^2,\dots という多項式因子が付く——これが微分方程式で現れる「重解のときの teλtte^{\lambda t} 型の解」の正体です。ジョルダン標準形は、その多項式因子がなぜ・何次まで出るかを きっちり説明します。

注意 発展:単因子・有理標準形(加群論的視点)

ジョルダン標準形は代数閉体(複素数など)を要する。実係数のまま扱うには、K[x]K[x] 上の加群として AA を捉え、単因子論で分類する**有理標準形(コンパニオン行列)**が使える。これは 加群論の「PID 上有限生成加群の構造定理」の一例で、ジョルダン標準形と有限アーベル群の 分類が“同じ定理の二つの顔”であることが分かる。

つまずきポイント

注意 よくある誤解

  • 細胞の「個数」は幾何的重複度、「大きさの合計」は代数的重複度。 両者を取り違えない。固有値ごとに独立に決まる。
  • ジョルダン標準形は代数閉体での話。実行列は複素固有値だと実ジョルダン形/有理標準形を使う。
  • 対角化は「すべての細胞が 1×11\times1」の特別な場合。ジョルダン標準形は対角化の一般化であって別物ではない。

この章のまとめ

  • 対角化の敗因(固有ベクトル不足)は、広義固有空間で代数的重複度ぶんの次元を回収して受け止める。空間は広義固有空間の直和に砕ける。
  • 足りない分をジョルダン鎖でつなぐと、対角+右上の 11ジョルダン細胞になり、任意の行列は細胞の並びで一意に分類される。
  • 指数関数 etAe^{tA} に付く t,t2,t,t^2,\dots の多項式因子は細胞の大きさが源。実係数では有理標準形(→加群論)を使う。

前半(写像・標準形)が完結しました。次章から、空間に「長さと角度」を入れる内積空間へ進みます。