第2章 加群と半単純性
前章で、非可換環は「加群への作用」を通して調べると述べました。この章では、その加群の言葉を整えます。鍵は三つ。 これ以上分けられない既約加群、それらの直和にきれいに分かれる完全可約な加群、そして「既約加群の間の 準同型は か同型しかない」というシューアの補題。この三つが、次章の半単純環と、第6章の表現論の 両方を支える土台になります。表現論で群について見たことを、一般の環へ広げる章です。
加群という舞台:環が作用する空間
加群論で学んだように、環 上の加群 とは「 が作用するアーベル群」——ベクトル空間の 係数を体から環に一般化したものです。非可換環論では、加群を「環 の作用を映すスクリーン」とみなします。 そのものの構造が直接には見えにくくても、 が加群にどう作用するかを見れば、その素性が読める。とくに 群 の表現( が作用するベクトル空間)は、群環 上の加群にほかなりません——表現論と加群論が ここで一つになります。
既約加群:これ以上分けられない部品
環を単純部品に分解したいなら、まず加群の「部品」を定めます。それが既約加群です。
定義 既約(単純)加群
加群 が既約加群(単純加群)とは、部分加群が と だけであること。 真の部分加群を持たない、「これ以上小さく分けられない」加群。
前章の単純環が「両側イデアルを持たない環」だったのと同じ精神です。既約加群は、環 の作用の 「最小単位」——表現論でいう既約表現そのもの。たとえば群 の既約表現は、群環 上の既約加群です。環の構造を調べる問題が、「どんな既約加群があるか」という問題に翻訳されます。
完全可約:既約の直和にきれいに分かれる
部品(既約加群)が定まったら、次は「加群がその部品の組み合わせにきれいに分かれるか」を問います。
定義 完全可約(半単純)加群
加群 が完全可約(半単純加群)とは、既約部分加群の直和 に分解できること。同値な条件:どの部分加群 にも補部分加群 ()が存在する。
「補部分加群がいつでも取れる」という条件が本質的です。一般の加群では、部分加群があってもそれを直和で 補えるとは限りません(加群論の非分裂拡大——たとえば 加群 の部分 に補はない)。補が常に取れる加群だけが、既約部品へ完全に分解できる。この「完全に分解できる」性質が、 次章の半単純環の定義に直結します。
命題 完全可約の三つの同値な顔
加群 について、次は同値:(1) は既約加群の直和、(2) は既約部分加群たちの和(直和でなくてよい)、 (3) どの部分加群にも補部分加群がある。
「和で書ければ、実は直和で書ける」「補がいつでも取れる」——これらが同値なのが完全可約性の要。証明は、 既約部分加群の和から極大な直和を選び、補の存在を使って全体を覆うことでなされます。
シューアの補題:既約の間の準同型は か同型
三つ目の鍵、シューアの補題は、既約加群の“剛さ”を述べる、短いが破壊力抜群の命題です。
定理 シューアの補題
を既約 加群、 を 加群準同型とする。このとき は か同型のいずれか。 とくに、既約加群 の自己準同型環 は斜体( 以外すべて可逆)。 が代数閉体で が 有限次元なら (スカラー倍のみ)。
証明
とする。核 は の部分加群だが、 は既約なので ( より )、 すなわち は単射。像 は の部分加群で 、 既約より 、 は全射。 よって は同型。 なら の でない元はすべて同型=可逆で斜体。代数閉体上有限次元 なら、 の固有値 をとると は同型でない(固有ベクトルで核が非零)から 、 すなわち 、スカラー倍だけ。
証明の心は「核と像はともに部分加群だから、既約ならそれぞれ全か無」。この単純な観察が、絶大な帰結を生みます。 既約加群は、恒等(のスカラー倍)以外に自分をいじる方法を持たない——この剛さが、第4章のウェダーバーン 分解で「各ブロックが斜体上の行列環になる」ことの根拠になります。斜体 が、ちょうど ウェダーバーン分解に現れる斜体 です。
注意 表現論との対応
群 の複素既約表現 に対し、シューアの補題は を与える (代数閉体上)。これが「 と可換な作用はスカラーだけ」という、表現論で指標の 直交関係を導いたシューアの補題そのもの。ここでは一般の環へ、同じ命題を持ち上げている。
注意 つまずきポイント
- 既約(単純)加群と単純環は別物だが呼応する。既約加群=真の部分加群なし、単純環=真の両側イデアルなし。 単純環は自分自身を既約加群に分解する(第3–4章で結びつく)。
- 完全可約は「補が取れる」が本質。既約部分加群があるだけでは不十分で、いつでも直和で補える(分裂する) ことが決定的。この分裂性が半単純性の源。
- シューアは代数閉体で最強()。一般の体では自己準同型環が斜体( でなく など)になりうる。ウェダーバーンに斜体 が現れる理由。
この章のまとめ
- 環は「作用する空間=加群」を通して調べる。群の表現は群環 上の加群。
- 既約加群=真の部分加群を持たない、作用の最小単位(=既約表現)。
- 完全可約(半単純)加群=既約加群の直和。同値に「どの部分加群にも補が取れる(分裂する)」。一般の加群 では補が取れないので、これは特別な良い性質。
- シューアの補題:既約加群の間の準同型は か同型。 は斜体(代数閉体上有限次元なら スカラーのみ)。既約加群の剛さが、ウェダーバーン分解の斜体 を生む。
次章は、これらの加群の言葉で半単純環を定義します。「環が自分自身を(左)加群として見たとき完全可約」—— この一言が、非可換環の構造論の中心概念になります。