数学の作り方 How to make Mathematics

第5章 ジャコブソン根基

前章までは半単純環という「良い環」を調べました。でも現実には半単純でない環もたくさんあります。たとえば 上三角行列の環や、Z/p2Z\mathbb Z/p^2\mathbb Z のような環。これらは既約加群の直和にきれいに分かれない。では、 何が半単純性を邪魔しているのか。その“障害”を一つのイデアルに集めたものがジャコブソン根基です。 根基を潰す(剰余をとる)と半単純になる——一般の環を、前章のウェダーバーンの世界へ引き寄せる道具です。

半単純性を邪魔するもの:冪零な部分

半単純環では、どの部分加群にも補が取れました(分裂した)。半単純でない環では、補が取れない“貼りついた” 部分がある。その典型が冪零な元です。(0100)\begin{pmatrix}0&1\\0&0\end{pmatrix} のように二乗すると消える元 (冪零元)は、既約成分に分けようとしても分けきれず、半単純性を壊します。この「分けきれない冪零な芯」を、 イデアルとして正確に取り出したい。それがジャコブソン根基です。

定義 ジャコブソン根基

RRジャコブソン根基 J(R)J(R) を、次のいずれか(同値)で定める:

  • すべての既約左 RR 加群 SS を殺す元の全体:J(R)={rR:rS=0 for all irreducible S}J(R)=\{r\in R:rS=0\ \text{for all irreducible }S\}
  • すべての極大左イデアルの共通部分。

J(R)J(R) は両側イデアルで、「既約加群にまったく作用しない(見えない)元」を集めたもの。

一つ目の特徴づけが直感的です。既約加群は環の“作用の最小単位”でした(第2章)。J(R)J(R) は、そのすべての 最小単位に対して何もしない元——いわば「表現に映らない影の部分」。表現論の目には見えないが、環の中には 確かに存在する。この見えない部分こそ、半単純性の障害の正体です。

根基を潰せば半単純になる

ジャコブソン根基の最大の効用は、それを剰余で潰すと環が半単純になることです。

定理 根基と半単純性

(アルティン環 RR について)

  1. R/J(R)R/J(R)半単純環である。
  2. RR が半単純 \Leftrightarrow J(R)=0J(R)=0
  3. アルティン環では J(R)J(R)冪零(ある mmJ(R)m=0J(R)^m=0)。

証明

(骨子)J(R)J(R) は極大左イデアルの共通部分。R/J(R)R/J(R) の任意の左イデアルに補が取れることを、極大左イデアルの 交わりの性質から示すと、R/J(R)R/J(R) は完全可約=半単純。RR が半単純なら既約加群を忠実に持ち J(R)=0J(R)=0、逆に J(R)=0J(R)=0 なら上の 11R=R/J(R)R=R/J(R) が半単純。アルティン性(降鎖条件)から J(R)J(R) の冪零性が従う。

これで一般の環の扱い方が見えます。どんな(アルティン)環も、根基 J(R)J(R) を潰せば半単純環 R/J(R)R/J(R) になり、 そこにアルティン–ウェダーバーンが使える。環 RR の構造は「半単純な部分 R/J(R)R/J(R)(=行列環の直積)」と 「冪零な障害 J(R)J(R)」の二層に分けて理解できる。半単純性という理想から現実の環がどれだけずれているかを、 J(R)J(R) が測っているのです。

上三角行列の根基

2×22\times2 上三角行列の環 R={(ab0d)}R=\left\{\left(\begin{smallmatrix}a&b\\0&d\end{smallmatrix}\right)\right\} を考える。既約加群への 作用を調べると、根基は対角成分が 00 の部分 J(R)={(0b00)}J(R)=\left\{\left(\begin{smallmatrix}0&b\\0&0\end{smallmatrix}\right)\right\} (これは二乗すると 00=冪零)。剰余 R/J(R)k×kR/J(R)\cong k\times k(対角成分だけ残る)は可換な半単純環。冪零な 非対角部分がちょうど半単純性の障害だった、と読める。

根基の判定:小さいイデアル・中山の補題

ジャコブソン根基には、計算に使える別の顔もあります。「根基の元は、11 に足しても可逆性を壊さない小さな元」 という特徴づけです。

命題 根基の元は準正則

rJ(R)r\in J(R) \Leftrightarrow すべての a,bRa,b\in R について 1arb1-arb が可逆。とくに rJ(R)r\in J(R) なら 1r1-r は可逆。 根基は「11 を可逆に保つほど小さい」両側イデアルの最大のもの。

この「1r1-r が可逆」という性質は、可換環論で局所環を調べた中山の補題の心臓部でした。 実際、可換環では J(R)J(R) は極大イデアルの共通部分(ジャコブソン根基)で、局所環なら唯一の極大イデアルに一致 します。中山の補題「M=J(R)MM=0M=J(R)M\Rightarrow M=0(有限生成なら)」は、この根基の準正則性から従う——非可換の ジャコブソン根基は、可換のときのその概念を包み込んでいます。

注意 つまずきポイント

  • 根基は「見えない元」。既約加群すべてに 00 として作用する。表現・加群の目には映らないが、環には存在する 障害。半単純環では J(R)=0J(R)=0(すべてが見える)。
  • 潰して半単純に、が使い方。RR 自体が半単純でなくても、R/J(R)R/J(R) は半単純でウェダーバーンが効く。RR を 「半単純部分+冪零な根基」の二層で捉える。
  • 冪零性はアルティン環で。降鎖条件があると J(R)m=0J(R)^m=0。無限次元では根基が冪零とは限らず、より繊細。

この章のまとめ

  • ジャコブソン根基 J(R)J(R)=すべての既約加群を殺す元(=極大左イデアルの共通部分)。半単純性の障害を 集めた両側イデアルで、「表現に映らない影の部分」。
  • R/J(R)R/J(R) は半単純RR が半単純 J(R)=0\Leftrightarrow J(R)=0、アルティン環では J(R)J(R) は冪零。どんな環も 「半単純部分+冪零な障害」の二層に分けて理解できる。
  • 根基の元は準正則1r1-r が可逆)。この性質が可換環論の中山の補題の心臓部で、ジャコブソン根基は 可換の根基概念を包み込む。
  • 上三角行列環では非対角の冪零部分が根基、剰余は対角の可換半単純環。

これで非可換環論の構造論(前半)が一巡しました。次章は、その総仕上げとして最も重要な応用——群環を扱い、 マシュケの定理で群の表現論全体が半単純環論の特別な場合であることを見ます。