数学の作り方 How to make Mathematics

第8章 可解・べき零リー環

リー環の構造論は、まず「両極端」を押さえることから始まります。一方の極はアーベル[X,Y]0[X,Y]\equiv0、 完全に可換)、もう一方の極は次章の半単純(可換性が徹底的に壊れている)。その間を橋渡しするのが、 「どれだけ可換に近いか」を段階的に測る可解べき零という概念です。括弧を繰り返し取って 00 に達するか ——その達し方で階層を作ります。エンゲルとリーの定理が、この抽象的な条件に「行列を同時に上三角化できる」という 具体的な姿を与えます。

二つの降下列:可解性とべき零性

「可換からの遠さ」を測るのに、括弧積を繰り返し取った部分空間の列を作ります。二種類の作り方があります。

定義 導来列とべき零列

リー環 g\mathfrak g に対し、

  • 導来列g(0)=g\mathfrak g^{(0)}=\mathfrak gg(k+1)=[g(k),g(k)]\mathfrak g^{(k+1)}=[\mathfrak g^{(k)},\mathfrak g^{(k)}] (前段どうしの括弧)。これが有限段で 00 に達するとき g\mathfrak g可解
  • 降中心列g1=g\mathfrak g^{1}=\mathfrak ggk+1=[g,gk]\mathfrak g^{k+1}=[\mathfrak g,\mathfrak g^{k}] (全体との括弧)。これが有限段で 00 に達するとき g\mathfrak gべき零

どちらも「括弧を取ると小さくなり、いつか 00 になる」という条件ですが、取り方が違います。べき零は毎回 g\mathfrak g 全体との括弧(きつい条件)、可解は前段どうしの括弧(緩い条件)。だからべき零 ⇒ 可解(逆は 偽)。アーベル([g,g]=0[\mathfrak g,\mathfrak g]=0)は最も強く、一段でべき零。直感的には、可換からの距離を 「括弧を何回取れば消えるか」で測っていて、べき零がより可換に近い階層です。

上三角行列たち

n×nn\times n 上三角行列のリー環 b\mathfrak b(対角を含む)は可解。狭義上三角(対角も 00)のリー環 n\mathfrak nべき零(括弧を取るたび非零成分が対角から遠ざかり、いつか消える)。この二つが、可解・べき零の 典型像。次の定理は「可解・べき零なリー環は、本質的にこの形しかない」と言う。

エンゲルの定理:べき零なら同時に狭義上三角化

抽象的な「べき零」に具体的な姿を与えるのがエンゲルの定理です。鍵は随伴作用 adX\mathrm{ad}_X の冪零性です。

定理 エンゲルの定理

リー環 g\mathfrak g について、すべての XgX\in\mathfrak gadX\mathrm{ad}_X が冪零(ある mm(adX)m=0(\mathrm{ad}_X)^m=0\Leftrightarrow g\mathfrak g はべき零。さらにこのとき、g\mathfrak g を行列で表現すれば、適当な基底ですべての 元が同時に狭義上三角(対角も 00)になる。

「各元が冪零に作用する」という局所的な条件が、「全体がべき零=同時に狭義上三角化できる」という大域的な構造に 化ける。証明の心は「冪零に作用する元たちには共通の固有ベクトル(固有値 00)がある」ことを示し、それで 基底を一段ずつ削っていくこと。狭義上三角行列は対角が 00 =冪零なので、エンゲルは「べき零リー環=狭義上三角 行列のリー環(の部分)」という具体像を与えます。

リーの定理:可解なら同時に上三角化

可解リー環にも、同様の具体像があります。今度は狭義でなく普通の上三角化です(代数閉体・標数 00 が必要)。

定理 リーの定理

代数閉体(標数 00)上の可解リー環 g\mathfrak g の任意の(有限次元)表現は、適当な基底ですべての元が同時に 上三角になる。とくに g\mathfrak g の元は共通の固有ベクトルを持つ。

証明

(骨子)可解性についての帰納法。[g,g]g[\mathfrak g,\mathfrak g]\subsetneq\mathfrak g なので、余次元 11 の イデアル h\mathfrak h が取れる。帰納法で h\mathfrak h の共通固有ベクトル(固有値は線形形式 λ\lambda)が 存在する。その固有空間が g\mathfrak g 全体の作用で保たれることを示し(ここで標数 00・代数閉が効く)、残りの 一方向の元の固有ベクトルを取れば、g\mathfrak g 全体の共通固有ベクトルが得られる。これを繰り返して同時上三角化。

エンゲル(べき零=狭義上三角)とリー(可解=上三角)は、対角成分の違い(00 か否か)で対をなします。 可解リー環は「上三角」、その中でべき零は「対角も 00」。可換からの遠さの階層が、行列の三角化の“深さ”として 目に見える形になりました。この二つの定理が、次章で半単純リー環を「可解でないもの」として切り出す土台に なります。

注意 根基と半単純への布石

任意のリー環 g\mathfrak g には、可解イデアルの中で最大のもの——根基 rad(g)\mathrm{rad}(\mathfrak g)——が 一意に存在する(可換環論・非可換環のジャコブソン根基と同じ「障害を集める」発想)。rad(g)=0\mathrm{rad}(\mathfrak g)=0 の とき g\mathfrak g半単純という(次章)。そして g/rad(g)\mathfrak g/\mathrm{rad}(\mathfrak g) は半単純 ——レヴィ分解 g=rad(g)(半単純)\mathfrak g=\mathrm{rad}(\mathfrak g)\rtimes(\text{半単純}) で、任意のリー環が「可解部分+ 半単純部分」に分かれる。第5章で環を「根基+半単純」に分けたのと同じ構図。

注意 つまずきポイント

  • 可解とべき零の違いは括弧の取り方。べき零は毎回全体と括弧([g,gk][\mathfrak g,\mathfrak g^k])、可解は前段 どうし([g(k),g(k)][\mathfrak g^{(k)},\mathfrak g^{(k)}])。べき零 ⇒ 可解、逆は偽(上三角は可解だがべき零でない)。
  • エンゲルは「ad\mathrm{ad} が冪零」から。元そのものが冪零行列である必要はなく、随伴作用 adX\mathrm{ad}_X が 冪零であることが条件。抽象的なべき零性と行列の狭義上三角性を結ぶ。
  • リーの定理は代数閉・標数 0 が必須。共通固有ベクトルを取るのに代数閉(固有値の存在)、固有空間の保存に 標数 00 が要る。実数体や正標数では形が変わる。

この章のまとめ

  • 可換からの遠さを、括弧を繰り返す降下列で測る。可解(導来列 g(k)\mathfrak g^{(k)}00 に)・ べき零(降中心列 gk\mathfrak g^k00 に)。べき零 ⇒ 可解、アーベルは最強。
  • エンゲルの定理:各 adX\mathrm{ad}_X が冪零 ⟺ べき零 ⟺ 同時に狭義上三角化(対角も 00)。
  • リーの定理:可解リー環の表現は同時に上三角化(代数閉・標数 00)。共通固有ベクトルの存在。
  • 最大可解イデアル=根基、根基 00 が半単純。レヴィ分解で任意のリー環が「可解+半単純」に分かれる (環の「根基+半単純」と同じ構図)。

次章は、いよいよ後半の主役半単純リー環。可解性の対極にあるこの環を、キリング形式という双線形形式で 特徴づけ(カルタンの判定法)、その表現がすべて完全可約になること(ワイルの定理)を見ます。