数学の作り方 How to make Mathematics

第9章 半単純リー環とキリング形式

前章で、リー環は「可解(可換に近い)」と「半単純(可換性が徹底的に壊れた、根基が 00)」に大別されると 分かりました。この章の主役は半単純リー環。その良い性質を捉える魔法の道具が、随伴表現の跡から作る双線形 形式——キリング形式です。カルタンは、この形式が退化するかどうかで可解性と半単純性を完全に判定できることを 発見しました。さらにワイルは、半単純リー環の表現がすべて完全可約になることを示します。前半の 「半単純環=すべての加群が完全可約」が、リー環でも再現されるのです。

キリング形式:随伴作用の跡

半単純性を測る道具を、随伴表現 ad\mathrm{ad}(第7章)から作ります。二つの元の随伴作用を合成して跡を取る、 という一手です。

定義 キリング形式

リー環 g\mathfrak g 上の対称双線形形式 κ(X,Y)=tr(adXadY)\kappa(X,Y)=\mathrm{tr}\big(\mathrm{ad}_X\circ\mathrm{ad}_Y\big)キリング形式という。adX,adY\mathrm{ad}_X,\mathrm{ad}_Yg\mathfrak g 上の線形写像(行列)で、その 合成の跡。κ\kappa は対称(tr(AB)=tr(BA)\mathrm{tr}(AB)=\mathrm{tr}(BA))で、括弧と両立する(不変性 κ([X,Y],Z)+κ(Y,[X,Z])=0\kappa([X,Y],Z)+\kappa(Y,[X,Z])=0)。

キリング形式は、リー環の構造を一つの双線形形式に凝縮したものです。線形代数で 双線形形式の「退化・非退化」(=行列式が 00 か否か)を調べたように、キリング形式が退化するかどうかで リー環の素性が分かる——これがカルタンの慧眼でした。sl2\mathfrak{sl}_2 で計算すると κ\kappa は非退化になり、 上三角(可解)のリー環では退化します。

カルタンの判定法:退化で可解・非退化で半単純

定理 カルタンの判定法

(代数閉体・標数 00)リー環 g\mathfrak g について:

  1. 可解性の判定g\mathfrak g が可解 \Leftrightarrow キリング形式が [g,g][\mathfrak g,\mathfrak g] 上で恒等的に 00κ([g,g],g)=0\kappa([\mathfrak g,\mathfrak g],\mathfrak g)=0)。
  2. 半単純性の判定g\mathfrak g が半単純 \Leftrightarrow キリング形式 κ\kappa非退化κ(X,Y)=0\kappa(X,Y)=0 が全 YY で成り立つのは X=0X=0 のときだけ)。

一つの双線形形式の退化・非退化だけで、リー環の根本的な性質(可解か半単純か)が判定できる——これがカルタンの 判定法の威力です。証明は前章のリーの定理(可解なら同時上三角化)を使います。可解なら ad\mathrm{ad} が 同時上三角、狭義上三角部分の跡は 00 になるので κ\kappa が退化。逆に半単純なら、キリング形式の 根基κ\kappa00 になる部分空間)が可解イデアルになることを示し、半単純性(根基 00)から それが 00、すなわち κ\kappa 非退化。

注意 半単純 = 単純リー環の直和

半単純リー環は、それ以上分けられない単純リー環(真のイデアルを持たない非アーベルなリー環)の直和に 一意分解する:g=g1gr\mathfrak g=\mathfrak g_1\oplus\cdots\oplus\mathfrak g_r。非可換環の 「半単純環=単純環の直積」(第3–4章)と完全に平行な構造。だから半単純リー環の分類は、単純リー環の分類 (第11章のディンキン図形)に帰着する。キリング形式の非退化性が、この直和分解を保証する。

ワイルの定理:半単純なら表現は完全可約

前半で「半単純環の上ではすべての加群が完全可約」(第3章)でした。リー環でも、半単純性から同じ完全可約性が 出ます。これがワイルの定理です。

定理 ワイルの完全可約性定理

半単純リー環 g\mathfrak g(代数閉体・標数 00)の任意の有限次元表現は、既約表現の直和に完全分解される (完全可約)。すなわちどの部分表現にも補部分表現が取れる。

証明

(骨子)キリング形式が非退化なことから、g\mathfrak g の中心にカシミール元(二次のカシミール作用素)が 作れる。これは表現上でスカラー(シューアの補題)として働き、異なる既約成分を固有値で分離する。この作用素を 使って、部分表現の補を構成する。マシュケの定理(第6章)で群作用を平均化して補を作ったのと同じく、ここでは カシミール作用素が「分離・射影」の役を果たす。

ワイルの定理は、リー環版のマシュケの定理です。実際ワイル自身は、コンパクトリー群上の平均化(ハール測度、 リー群)を使う「ユニタリの技法」でも証明しました——マシュケの平均化と同じ精神です。半単純 リー環の表現論は、「既約表現をすべて見つければ、あとは直和で組み上がる」という見通しの良い世界。その既約表現を 分類するために、次章のルート分解へ進みます。

注意 つまずきポイント

  • キリング形式は ad\mathrm{ad} の跡。元そのものの積ではなく、随伴作用 adXadY\mathrm{ad}_X\mathrm{ad}_Y の跡。 リー環の構造(括弧積)が ad\mathrm{ad} を通して形式に反映される。
  • 非退化 ⟺ 半単純が判定の核。双線形形式の行列式が 00 か否かという線形代数の問いに、リー環の性質が 帰着する。カルタンの判定法の実用性。
  • 完全可約は半単純だから。可解リー環では表現は完全可約でない(上三角=非分裂の部分表現がある)。 ワイルの定理は半単純性(キリング形式非退化)が本質的に効く。

この章のまとめ

  • キリング形式 κ(X,Y)=tr(adXadY)\kappa(X,Y)=\mathrm{tr}(\mathrm{ad}_X\mathrm{ad}_Y):随伴表現の跡から作る対称双線形形式。 リー環の構造を一つの形式に凝縮。
  • カルタンの判定法:可解 ⟺ κ\kappa[g,g][\mathfrak g,\mathfrak g] 上で 00、半単純 ⟺ κ\kappa非退化。 形式の退化・非退化だけで根本性質を判定。
  • 半単純リー環=単純リー環の直和(非可換環の「半単純=単純環の直積」と平行)。分類は単純リー環の分類に帰着。
  • ワイルの定理:半単純リー環の表現はすべて完全可約(カシミール作用素で補を構成)。リー環版マシュケ。

これで半単純リー環という「良い対象」が定まりました。次章から、その内部構造を暴きます。カルタン部分環で 随伴作用を同時対角化し、その固有値としてルートが現れる——半単純リー環の設計図が姿を見せます。