第10章 統計的推定
ここまでの確率論は「分布が分かっている前提で、データの振る舞いを予言する」学問でした。統計学は、その矢を逆向きに
します——手元のデータから、背後の分布(母集団)を推し量る。コインを 100 回投げて表 58 回。この p は
本当に 0.5 なのか、それとも 0.58 なのか? 確率論で鍛えた大数の法則・中心極限定理が、そのまま
「なぜ推定がうまくいくか」の保証として効いてきます。
舞台設定:統計モデルと母数
データ X1,…,Xn を、ある分布から独立に取られた標本と見ます。ただしその分布は完全には分からず、
未知の母数(パラメータ)θ で決まる形をしていると仮定する。
定義 統計モデルと推定量
分布の族 {Pθ:θ∈Θ} を統計モデル、θ を母数という。
標本 X1,…,Xn∼Pθ(独立同分布)に基づき θ を言い当てる関数
θ^=θ^(X1,…,Xn) を推定量という。
例:コインの表確率 p(Ber(p) モデル)、製品寿命の平均 λ(Exp モデル)、
測定値の (μ,σ2)(正規モデル)。推定量は「データを入れると母数の推測値が出る関数」——確率変数です。
だから推定量そのものが分布(標本分布)を持ち、その良し悪しを確率論で評価できます。
良い推定量の条件:不偏性と一致性
推定量は無数に作れます。どれが「良い」のか。二つの基準が基本です。
定義 不偏性・一致性
- 不偏:Eθ[θ^]=θ(すべての θ で)。平均的に的の中心を射抜く(系統的な偏りがない)。
- 一致:θ^nPθ(n→∞)。データを増やせば真の値へ収束する。
標本平均 Xˉn を母平均 μ の推定量にすると、両方を満たします。不偏は
E[Xˉn]=μ(線形性、第3章)。一致はまさに大数の法則(第5章)XˉnPμ。
——「なぜ標本平均で母平均を推定してよいのか」という統計の根本問いに、確率論が直接答えているのです。
散らばりの推定には少し注意が要ります。標本分散を n1∑(Xi−Xˉn)2 とすると、平均を取ると
nn−1σ2 で、わずかに小さめ(偏る)。Xˉn をデータから作ったぶん自由度が一つ減るためです。
だから不偏にするには n でなく n−1 で割る:
定義 不偏標本分散
s2=n−11i=1∑n(Xi−Xˉn)2,E[s2]=σ2.
この「n−1 で割る」(自由度の補正)は統計の顔とも言える約束事で、偏りを消すための必然です。
推定量の作り方:最尤法
「良い推定量」を毎回天下り式に思いつくのは大変です。汎用の製造法が最尤推定。発想は素朴で強力:
「観測されたデータが、最も起こりやすくなるような θ を選べ」。
定義 尤度と最尤推定量
データ x1,…,xn に対し、それが得られる確率(密度)を θ の関数と見たものを尤度
L(θ)=i=1∏nf(xi;θ)という。L(θ)(または扱いやすい logL)を最大化する θ^ML を最尤推定量という。
積は微分しにくいので、対数を取って和にする(対数尤度 ℓ(θ)=∑logf(xi;θ))のが定石。
ℓ′(θ)=0 を解けば求まります。
例(コイン): Ber(p) で表が k 回/n 回。ℓ(p)=klogp+(n−k)log(1−p)、
ℓ′(p)=pk−1−pn−k=0 より p^=k/n。表の割合——直感どおりの答えが、最尤法から自動で出ます。
100 回で 58 回なら p^=0.58。正規モデルなら最尤推定は μ^=Xˉn, σ^2=n1∑(Xi−Xˉ)2。
最尤推定量は、緩い条件のもとで一致性を持ち、しかも n が大きいとき漸近正規:
n(θ^ML−θ)dN(0,I(θ)−1)。CLT の香りがここにも漂います。
I(θ) が次のフィッシャー情報量で、精度の限界を決めます。
情報の限界:クラメール–ラオの不等式
「どんなに賢い推定量でも、これ以上は精度を上げられない」という下限があります。データがどれだけ θ の
情報を持つかを測るのがフィッシャー情報量 I(θ)=E[(∂θlogf(X;θ))2]。
定理 クラメール–ラオの不等式
θ^ を(θ の)不偏推定量とすると、緩い正則条件のもとで
Varθ(θ^) ≥ nI(θ)1.
証明
(骨子)スコア U=∑i∂θlogf(Xi;θ) は E[U]=0、Var(U)=nI(θ)。
不偏性 E[θ^]=θ を θ で微分して積分と交換すると Cov(θ^,U)=1 が出る。
これにコーシー–シュワルツ(第3章)を当てると
1=Cov(θ^,U)2≤Var(θ^)Var(U)=Var(θ^)⋅nI(θ)。移項して結論。
∎
第3章で仕込んだコーシー–シュワルツが、推定精度の理論限界を導く——確率論の不等式が統計に直結する好例です。
この下限を達成する(Var=1/(nI))不偏推定量を有効推定量と呼び、最良の証です。
データを圧縮する:十分統計量
100 回のコイン投げの記録は「TH, TT, HH, …」と長大ですが、p を推定するのに本当に要る情報は
表の総数 k だけ。順序は p について何も語らない。この「母数についての情報を余さず持つ要約」が
十分統計量です。
定義 十分統計量
統計量 T(X1,…,Xn) が θ に対し十分とは、T を与えたときのデータの条件付き分布が
θ に依存しないこと。同値な判定(分解定理):尤度が L(θ)=g(T(x);θ)h(x) と分解できること。
コインなら T=∑Xi(表の数)が十分:尤度 pk(1−p)n−k は k=∑xi だけで p 依存部分が書ける。
十分統計量は「データを情報を失わずに圧縮」したもので、良い推定量は必ずこれの関数として作れます
(ラオ–ブラックウェルの定理:任意の推定量を十分統計量で条件づけると分散が下がる——ここでも条件付き期待値が主役)。
注意 つまずきポイント
- 不偏と一致は別。 不偏は「各 n で偏りゼロ」、一致は「n→∞ で収束」。標本分散(n 割り)は偏るが一致はする。
最尤推定は一般に不偏でないが一致する。両立が理想だが、必ずしも同時でない。
- 尤度は θ の関数であって、確率分布ではない。 ∫L(θ)dθ=1 とは限らない。データを固定して
θ を動かす「もっともらしさ」の指標。ベイズ(第12章)で θ に確率を入れる話と混同しない。
- クラメール–ラオは不偏推定量の下限。 偏りを許せば分散はもっと小さくできる(バイアス–バリアンスの取引)。
「絶対的な精度の壁」ではない点に注意。
この章のまとめ
- 統計は確率の矢を逆向きにし、データから母数 θ を推定する。良さの基準は不偏(偏りゼロ)と
一致(n→∞ で収束)。標本平均が母平均の良い推定量である根拠は、線形性と大数の法則そのもの。
- 最尤推定は「データを最も起こりやすくする θ」。一致・漸近正規。クラメール–ラオが分散の下限
1/(nI(θ)) を与え、証明はコーシー–シュワルツ。十分統計量はデータの無損失圧縮。
- 確率論の不等式・収束定理・条件付き期待値が、推定の性能保証としてそのまま働く。
推定は「一点」を当てました。しかし当てた値には必ず誤差がある。次章では、その誤差を区間で表し、
仮説を検定する——中心極限定理が実務の道具になる場面です。