第7章 リッチ曲率とスカラー曲率
曲率を「平均」して粗くする
断面曲率(前章)は、二平面ごとの詳しい情報でした。でも応用では、もっと粗い・平均された曲率が役立ちます。 一つの方向を決めて、それを含む二平面すべてで断面曲率を平均する——これがリッチ曲率。さらに全方向で平均 すれば、一点につき一つの数——スカラー曲率になります。
なぜ平均するのか。リッチ曲率は「体積の増減」を直接支配するからです。細かい方向依存性を均した粗い曲率が、 「測地線に沿って進むと、まわりの体積が縮むか広がるか」という大域幾何・一般相対論に直結する量になります。 アインシュタイン方程式(第12章)の主役は、断面曲率でなくリッチ曲率です。
リッチ曲率=ある方向を含む断面曲率の平均。体積の縮みを支配する。スカラー曲率はさらに全方向の平均。
リッチ曲率とスカラー曲率
定義 リッチ曲率・スカラー曲率
リーマン曲率テンソル を縮約して、
- リッチ曲率:( は に直交する 正規直交基底)。単位ベクトル に対し、 を含む 個の二平面の断面曲率の和(定数倍で平均)。
- スカラー曲率:。全方向のリッチの和=全断面曲率の総和。一点につき一つの数。
階層が見えます。断面曲率(二平面ごと)→ 一方向で平均して リッチ曲率(ベクトルごと、対称二次形式)→ さらに平均して スカラー曲率(一点で一つの数)。情報を段階的に粗くしながら、それぞれが違う幾何を捉えます。
例 定曲率空間での値
断面曲率が定数 の 次元空間では、
球面()で正、双曲()で負。 次元では (スカラー曲率=ガウス曲率の 倍)で、リッチ・ スカラー・断面がすべてガウス曲率に還元される。
リッチ曲率は体積の縮みを測る
リッチ曲率の幾何的意味が、この分野の心臓です。測地線の束(測地錐)に沿って進むと、その断面積・体積が どう変わるかをリッチ曲率が支配します。第8章のヤコビ場が、これを精密にします。
定理 リッチ曲率と体積要素
方向 の測地線に沿って測地錐の体積要素の変化を追うと、その二階変化がリッチ曲率で与えられる。定性的には
正規座標での体積要素の展開 にも現れる。
「リッチが正なら体積が縮む」——正曲率の空間では、平行に出発した測地線たちが互いに寄り集まり、束の体積が 平坦のときより小さくなる。これが第10章ボンネ–マイヤー(正のリッチ → 空間が有限)の原動力です。逆に負なら 広がる。リッチ曲率は、測地線の集団的な収束/発散を測る量なのです。
注意 スカラー曲率は小球の体積のずれ
スカラー曲率 は、小さな測地球 の体積が、同じ半径のユークリッド球の体積からどれだけずれるかを 測る:
( はユークリッド単位球の体積)。 なら小球はユークリッドより小さく、 なら大きい。 一点につき一つの数が、「その点のまわりの空間がどれだけ詰まっているか」を語る。スカラー曲率は、曲率の もっとも粗い・平均的な現れ。
リッチ曲率と一般相対論
リッチ曲率が主役になる最大の舞台が、アインシュタインの重力理論です(第12章で詳述)。予告しておきます。
注意 アインシュタイン方程式の主役はリッチ
一般相対論のアインシュタイン方程式 ( は物質のエネルギー・運動量)は、 リッチ曲率(と スカラー曲率)で書かれる——断面曲率ではない。なぜか。重力が支配するのは「物質が集まると まわりの体積が縮む(測地線=自由落下する物体が寄り集まる)」現象で、それを測るのがまさにリッチ曲率だから。 星の質量が時空のリッチ曲率を生み、それが物体の落下(測地線の収束)を決める。「平均された曲率」が物理の 言葉なのは偶然でない。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- 断面・リッチ・スカラーは粗さの階層。 断面(二平面)→ リッチ(方向、平均)→ スカラー(一点、全平均)。 情報量が減る。リッチが でも断面曲率は非ゼロでありうる。
- リッチ曲率=体積の縮み。 「測地線束が寄り集まるか」を測る。正で縮み、負で広がる。一般相対論の重力の正体。
- スカラー曲率=小球の体積のずれ。 一点の一つの数。ユークリッド球より小さい()か大きい()か。
- 次元まではリッチが曲率を決める。 次元ではリッチから曲率テンソルが復元されるが、 次元以上では リッチだけでは足りない(ワイルテンソルという残りがある)。
この章のまとめ
- リッチ曲率 =方向 を含む断面曲率の和(平均)。スカラー曲率 =全方向の平均(一点で一つの数)。断面→リッチ→スカラーの粗さの階層。定曲率で 。
- リッチ曲率は測地線束の体積の縮みを測る(正で縮み・負で広がる)——ボンネ–マイヤー(第10章)の原動力。スカラー曲率は小球の体積のユークリッドからのずれ。
- 一般相対論の主役はリッチ曲率(重力=体積の縮み=測地線の収束、第12章)。
- 体積の縮み・測地線の収束を精密に記述する道具が、次章のヤコビ場です。曲率が測地線の広がりをどう支配するかを見ます。
次章では、ヤコビ場(測地線の変分)を導入し、曲率が近接測地線の収束・発散を支配する様子()を体感します。