第1章 環とは何か
「足し算と掛け算がある世界」を抜き出す
群論では、演算が一つ(掛け算だけ、または足し算だけ)の世界を調べました。でも私たちが
本当に慣れ親しんだ数の世界——整数 Z——には、足し算と掛け算の両方があり、しかも分配法則
a(b+c)=ab+ac で結びついています。多項式もそう。行列もそう。modn の計算もそう。
この「足し算と掛け算をもち、分配法則で繋がった世界」を抽象化したものが環です。整数で慣れた
「割り切れる」「素数」「余り」といった概念を、もっと広い舞台で通用する形に鍛え直す——それが環論の仕事です。
そして環論は、体論・ガロア理論、代数的整数論、
代数幾何学という数学の主要分野すべての共通言語になります。
環 = 足し算(アーベル群)と掛け算(結合的)が分配法則で結ばれた世界。整数・多項式・行列・modn を統一する。
環の定義
定義 環
集合 R と2つの演算 +, ⋅ の組が環とは:
- (R,+) はアーベル群(単位元 0、a の逆元 −a)。
- (R,⋅) は結合的で、乗法単位元 1 をもつ(1⋅a=a⋅1=a)。
- 分配法則:a(b+c)=ab+ac、(a+b)c=ac+bc。
乗法が可換(ab=ba)のとき可換環という。以後、断らなければ可換環を扱う(行列環など非可換環は必要に応じて明記)。
足し算については「群」の全性質(可換)、掛け算については「結合則+単位元」だけを要求し(逆元は要求しない!)、
両者を分配法則が繋ぐ。掛け算の逆元を要求しないのが群との決定的な違いで、そこから「割り切れる/割り切れない」という
豊かな整除の理論が生まれます。基本的な帰結を確認します。
命題 基本性質
任意の環で 0⋅a=a⋅0=0、(−a)b=−(ab)、(−a)(−b)=ab。
証明
0⋅a=(0+0)a=0⋅a+0⋅a、両辺から 0⋅a を引いて 0⋅a=0。
ab+(−a)b=(a+(−a))b=0⋅b=0 より (−a)b=−(ab)。(−a)(−b)=−(a(−b))=−(−(ab))=ab。∎
∎
「0 を掛けると 0」という当たり前の事実すら、分配法則から証明されます。
例 環の例
- Z,Q,R,C:おなじみの数の環(可換)。Q,R,C は体(後述)。
- Z/nZ=Zn:modn の剰余環(可換)。
- 多項式環 R[x]:係数が環 R の多項式(可換なら可換)。
- 行列環 Mn(R):n×n 行列(n≥2 で非可換)。
- ガウス整数 Z[i]={a+bi:a,b∈Z}(代数的整数論への入口)。
部分環
定義 部分環
R の部分集合 S が部分環とは、S が R の演算で環をなし、1R∈S であること
(S が加法で閉じ・逆元をもち、乗法で閉じ、1 を含む)。
例:Z⊆Q⊆R⊆C、Z[i]⊆C。部分環は「小さい環」ですが、次章のイデアルとは別物です
(イデアルは 1 を含まないことが多く、掛け算で環全体を吸い込む)。混同注意です。
単元・零因子——環を特徴づける2つの現象
環の個性は、掛け算をめぐる2つの現象——「逆数をもつ元」と「掛けて 0 になる非零元」——に現れます。
定義 単元・零因子・整域・体
u∈R が単元(可逆元)とは、uv=vu=1 となる v(= u−1)があること。単元全体 R× は乗法群。
a=0 が零因子とは、ab=0 となる b=0 があること。
零因子をもたない(ab=0⇒a=0 or b=0)可換環で 1=0 のものを整域、
0 以外のすべての元が単元である可換環を体という。体 ⊂ 整域。
Z は整域(掛けて 0 なら片方が 0)ですが体ではありません(単元は ±1 だけ)。Q は体。
Z6 では 2⋅3=0 なのに 2,3=0——2,3 は零因子で、Z6 は整域ではありません。
整域では消去律 ab=ac,a=0⇒b=c が成り立つ(零因子が無いから)——整数の割り算の感覚が使える環です。
下で Zn の乗法表を見てください。n を変えると、単元(青)と零因子(赤)の分布が変わります。
n が素数のときだけ零因子が消え、Zn は体になる——この事実が、次章以降の素イデアル・極大イデアルの原型です。
単元 零因子 0
命題 Z/n が体になる条件
Zn が体 ⟺Zn が整域 ⟺n が素数。一般に a∈Zn が単元 ⟺gcd(a,n)=1。
証明
gcd(a,n)=1 なら、ベズーの等式 ax+ny=1 より ax≡1(modn)、a は単元。gcd(a,n)=d>1 なら
a⋅(n/d)≡0 で n/d≡0 ゆえ a は零因子(可逆でない)。n 素数なら 1,…,n−1 すべて n と互いに素で単元=体。
n 合成なら 1<a<n で a∣n となる a が零因子ゆえ整域でない。∎
∎
有限整域は必ず体になる(有限性が単元性を強制する)という事実の、最も基本的な例です。
標数
環に「1 を何回足すと 0 になるか」という不変量があります。
定義 標数
n1+1+⋯+1=0 となる最小の正整数 n を環 R の標数 char(R) という
(存在しなければ 0)。Z,Q,R は標数 0、Zn は標数 n、素数 p を法とする体 Fp=Zp は標数 p。
証明
標数 n=kl(1<k,l<n)と合成数なら、(k⋅1)(l⋅1)=n⋅1=0 で k⋅1,l⋅1=0(n の最小性)となり零因子。
整域に反する。ゆえに標数は 0 か素数。∎
∎
標数 p の世界(有限体、ガロア理論)では「px=0」が効いて、(a+b)p=ap+bp(フロベニウス!)という
不思議な等式が成り立ちます。標数は体論・数論で決定的な役割を果たす基本量です。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- 環は掛け算の逆元を要求しない。 そこが群との違い。逆元をもつ元が単元で、全非零元が単元なら体。「割れるか」が環論の主題。
- 整域と体は違う。 Z は整域だが体でない。体 ⊂ 整域。有限整域は体になる(特別)。
- 部分環とイデアル(次章)は別物。 部分環は 1 を含む小さい環、イデアルは掛け算で環を吸い込む部分集合(1 を含めば環全体)。
- 零因子は非零元。 0 自身は零因子に数えない。ab=0 でも a,b が両方非零のときだけ零因子。
この章のまとめ
- 環は足し算(アーベル群)+掛け算(結合・単位元)+分配法則。整数・多項式・行列・Zn を統一。掛け算の逆元は要求しない。
- 環の個性は単元(可逆元 R×)と零因子(掛けて 0 の非零元)に現れる。零因子の無い可換環が整域、全非零元が単元なら体。Zn が体 ⟺n 素数。
- 標数(1 を何回足すと 0)は整域では 0 か素数。標数 p の世界がフロベニウス・有限体を生む。
次章は、環を「割る」ための部分集合——イデアルと剰余環を導入します。