第5章 ハミルトンベクトル場と流れ
いよいよ幾何の上に力学を乗せます。変分法のハミルトン力学では、エネルギー関数 (ハミルトニアン)から運動方程式 が出ました。 この章では、それをシンプレクティック幾何の言葉——ハミルトンベクトル場——で語り直します。鍵は前章までの 非退化性。それが「関数 の微分 を、ベクトル場 に変換する」辞書を与えるのです。そしてその流れが、 エネルギーと相空間の体積を保つ——リウヴィルの定理を、まず目で確かめましょう。
非退化性が H を運動に変える
シンプレクティック形式の非退化性(第1章)は、 形式とベクトル場を一対一に対応させます。これを使って、 エネルギー の微分 ( 形式)を、運動を表すベクトル場に翻訳します。
定義 ハミルトンベクトル場
非退化性より、関数 の微分 に対し を満たすベクトル場 が一意に定まる。これを のハミルトンベクトル場という。その流れ (積分曲線)が の定める運動。
ダルブー座標 で書くと、 はちょうど ——ハミルトンの運動方程式そのもの。非退化性という「各点の良さ」(第1章)が、ここで「 から運動を 一意に取り出す辞書」として働いています。エネルギー関数一つを与えれば、相空間のすべての点での運動の向きが 決まる。運動方程式の非対称な符号( と )は、 の反対称性の 現れです。計量なら から勾配(最急降下)が出ますが、シンプレクティックでは で ねじれた 方向——エネルギーを保つ方向——が出る。ここが決定的な違いです。
エネルギー保存
ハミルトン流の第一の性質は、エネルギーを保つことです。しかもほとんど自明に出ます。
命題 エネルギー保存
ハミルトン流に沿って は一定:。
証明
の流れに沿う変化率は ( の反対称性 )。ゆえに は運動に沿って一定。
——自分自身との面積はゼロ、という反対称性の一撃でエネルギー保存が出ます。運動は エネルギーの等位面 の上に閉じ込められる。振り子なら「エネルギー一定の曲線」に沿って動く。 計量の勾配流がエネルギーを下げるのに対し、シンプレクティックのハミルトン流はエネルギーを保つ—— が対称でなく反対称だからこその、力学にふさわしい性質です。
リウヴィルの定理:面積・体積を保つ
第二の、そして決定的な性質。ハミルトン流はシンプレクティック形式そのものを保ち、したがって相空間の体積を 保ちます。まず装置で、相空間の領域が流れでどう変わるかを見ましょう。
初期領域(ブロブ)は、流れとともに大きくずれ・回転しますが、囲む面積は一定に保たれます。振り子で 分離線の近くを流すと、ブロブは細長く引き伸ばされる——それでも面積は変わらない。これがリウヴィルの定理です。
定理 リウヴィルの定理
ハミルトン流 はシンプレクティック形式を保つ:(シンプレクティック 同相)。したがって体積形式 も保存し、相空間の任意の領域の体積( 次元なら面積)は 時間によらず一定。
証明
流れに沿う の変化はリー微分 。カルタンの公式 で、第一項は 、第二項は (閉性)より 。ゆえに 、。体積 も 保たれる。
証明を見ると、 の保存に閉性 が決定的に効いています(第二項を殺す)。第1章で 「閉性=つながり方の良さ」と述べたことが、ここで「流れが を保つ」という形で実る。リウヴィルの定理は 統計力学の基礎です——相空間の“確率の水”は湧きも消えもせず、非圧縮性流体のように流れる。ハミルトン系は 散逸しない(摩擦がない)ことの、幾何的な表現なのです。
注意 つまずきポイント
- はエネルギーを保つ方向。計量の勾配(エネルギーを下げる)と違い、 で ねじれた 「等エネルギー方向」。反対称性の帰結。
- エネルギー保存は 、体積保存は 。前者が非退化+反対称、後者が閉性。 シンプレクティックの二条件がそれぞれ別の保存則を生む。
- リウヴィル = 散逸なし。相空間の体積が保たれる=情報が潰れない。摩擦のある系(散逸)はハミルトンで なく、この性質を持たない。
この章のまとめ
- 非退化性が辞書 を与え、エネルギー からハミルトンベクトル場 が一意に 決まる。座標では (ハミルトンの運動方程式)。
- エネルギー保存 (反対称性)。運動はエネルギー等位面に閉じ込められる。
- リウヴィルの定理:ハミルトン流は を保ち(、閉性が効く)、相空間の 体積・面積を保存。散逸のない力学の幾何的表現、統計力学の基礎。
- 計量の勾配流(エネルギーを下げる)と対照的に、シンプレクティックの流れはエネルギーと体積を保つ。
次章は、ハミルトン力学のもう一つの顔——ポアソン括弧を導入します。二つの関数から新しい関数を作るこの演算が、 保存量を見つけ、リー環構造を持ち、正準変換を統べることを見ます。