第6章 ポアソン括弧
前章で、関数 H からハミルトンベクトル場 XH が作れました。この対応を使うと、二つの関数 f,g から
新しい関数 {f,g} を作る演算が生まれます——ポアソン括弧です。これはハミルトン力学の代数的な顔で、
「保存量かどうか」を一目で判定し、関数全体にリー環の構造を与え、正準変換を統べます。
さらに、量子力学の交換子 [A^,B^] の古典的な祖先でもある——古典と量子を結ぶ、深い演算です。
ポアソン括弧の定義
定義 ポアソン括弧
シンプレクティック多様体上の二つの関数 f,g に対し、
{f,g}=ω(Xf,Xg)=Xf(g)=dg(Xf)
をポアソン括弧という。ダルブー座標では
{f,g}=∑i(∂qi∂f∂pi∂g−∂pi∂f∂qi∂g).
{f,g}=Xf(g)——「g を f のハミルトン流に沿って微分した変化率」。あるいは対称的に ω(Xf,Xg)
(二つのハミルトンベクトル場の面積)。反対称性 {f,g}=−{g,f} は ω の反対称性から直に出ます。
基本的な関係 {qi,pj}=δij、{qi,qj}={pi,pj}=0 は、位置と運動量の“正準”な関係を表し、
量子力学の正準交換関係 [q^,p^]=iℏ の古典版です。
保存量の判定
ポアソン括弧の最も実用的な効用は、保存量を一目で見抜けることです。前章のエネルギー保存を、任意の量へ
一般化します。
定理 保存量とポアソン括弧
関数 f がハミルトニアン H の流れに沿って保存する(dtdf=0)⇔ {f,H}=0。
とくにエネルギー自身は {H,H}=0 で常に保存。
証明
H の流れに沿う f の変化率は XH(f)={H,f}=−{f,H}。これが 0 ⟺ {f,H}=0。{H,H}=0(反対称)
よりエネルギーは常に保存(前章の再確認)。
∎
「H とポアソン可換なら保存量」。角運動量が保存するのは {L,H}=0 だから、というように、保存則の探索が
ポアソン括弧の計算に帰着します。しかも、二つの保存量からさらに保存量が作れます——次のリー環構造の帰結です。
リー環構造:ヤコビ恒等式
ポアソン括弧は、関数のなす無限次元ベクトル空間にリー環の構造を与えます。
定理 ポアソン括弧はリー環をなす
関数全体 C∞(M) はポアソン括弧についてリー環をなす:反対称 {f,g}=−{g,f} かつ
ヤコビ恒等式
{f,{g,h}}+{g,{h,f}}+{h,{f,g}}=0.
さらに f↦Xf はリー環準同型:X{f,g}=[Xf,Xg](ハミルトンベクトル場のリー括弧)。
ヤコビ恒等式は dω=0(閉性)から従う。
ここで非可換環・リー環で学んだリー環が再登場します。ポアソン括弧の反対称性と
ヤコビ恒等式が、関数全体をリー環(ポアソン代数)にする。X{f,g}=[Xf,Xg] は
「関数のポアソン括弧」と「ベクトル場のリー括弧」が対応するという美しい辞書で、閉性 dω=0 が
ヤコビ恒等式を保証します。帰結として、二つの保存量 f,g({f,H}={g,H}=0)のポアソン括弧
{f,g} もまた保存量(ヤコビ恒等式より {{f,g},H}=0)。保存量はポアソン括弧で閉じた集合をなし、
そこに対称性のリー環(第7章のモーメント写像)が宿ります。
正準変換と、量子力学への橋
ポアソン括弧を保つ変換が、力学の「良い座標変換」=正準変換です。
定義 正準変換
ポアソン括弧を保つ(同値に ω を保つ)変換を正準変換(シンプレクティック同相)という。
ハミルトン流はその一例(前章)。正準変換のもとで運動方程式は同じ形を保ち、母関数(第4章)で生成される。
ポアソン括弧は、古典力学と量子力学を結ぶ橋でもあります。ディラックの発見した対応
{f,g} ⟷ iℏ1[f^,g^]
——古典のポアソン括弧が、量子の交換子(iℏ1 倍)に対応する——が正準量子化の指導原理です。
{q,p}=1 が [q^,p^]=iℏ になる。非可換環・リー環の冒頭で見た
「位置と運動量の非可換性」は、古典のポアソン括弧の量子版だったのです。反対称・ヤコビというリー環構造が、
古典から量子へそのまま受け継がれる——ポアソン括弧は、その構造を担う要石です。
注意 つまずきポイント
- {f,H}=0 ⟺ f が保存量。保存則の探索がポアソン括弧の計算に。二保存量の括弧も保存量(リー環で
閉じる)。
- ヤコビ恒等式は閉性から。dω=0 が {,} のヤコビ恒等式を保証。第1章の閉性が、ここでリー環構造を
支える。
- 古典 ↔ 量子:{f,g}↔iℏ1[f^,g^]。ポアソン括弧が交換子の古典的祖先。
反対称・ヤコビの構造が両者に共通。
この章のまとめ
- ポアソン括弧 {f,g}=ω(Xf,Xg)=Xf(g)。座標では ∑(∂qf∂pg−∂pf∂qg)。
反対称で {qi,pj}=δij。
- 保存量の判定:f が保存 ⟺ {f,H}=0。エネルギーは {H,H}=0 で常に保存。
- リー環構造:C∞(M) はポアソン括弧でリー環(反対称+ヤコビ、閉性から)。X{f,g}=[Xf,Xg]。
二保存量の括弧も保存量。
- 正準変換=ポアソン括弧(=ω)を保つ変換。そして {f,g}↔iℏ1[f^,g^] で
量子力学の交換子に対応(正準量子化)。
次章は、この保存量のリー環構造を、対称性(群作用)と結びつけます。モーメント写像——連続対称性から保存量を
自動的に取り出す装置——で、変分法のネーターの定理を幾何の言葉に翻訳します。