第8章 シンプレクティック簡約
前章のモーメント写像 は、対称性から保存量を取り出しました。この章では、それを使って多様体そのものを 縮めます。保存量を固定し( 一定)、さらに対称性で割ると、次元の下がった新しいシンプレクティック 多様体ができる——マースデン–ワインスタインの簡約です。物理では「保存量を使って自由度を減らす」古典的な 手法(角運動量保存で二体問題を一次元に落とすなど)を、幾何的に定式化したもの。対称性を、次元を落とす道具に 変える、シンプレクティック幾何の強力な構成法です。
発想:保存量で固定し、対称性で割る
対称性 を持つシンプレクティック多様体 を小さくしたい。素朴に「 を で割る」だけでは、 商 はシンプレクティックになりません(次元の偶奇が合わない・ が退化する)。ここで二段階の操作が 効きます。まず保存量を固定し、それから割るのです。
定理 マースデン–ワインスタインの簡約
にリー群 がシンプレクティックに作用し、モーメント写像 を持つ とする。 が正則値で が に自由かつ固有に作用するなら、商 は自然なシンプレクティック形式 を持つ簡約空間で、次元は
二段階を読み解きます。(1) に制限——保存量を に固定(等位面をとる)。これで次元が 下がる。(2) で割る——対称性方向を潰す。これでさらに 下がる。合計 下がって、 残った空間がちょうどシンプレクティックになる。 上で は退化するが、退化する方向がちょうど の軌道方向なので、 で割ると退化が消えて非退化な が残る——この「退化方向と対称性 方向が一致する」ことがモーメント写像の定義()から保証されます。 でない 正則値 でも( 不変なら)同様に が作れます。
例:簡約が作る空間
簡約は、重要なシンプレクティック多様体を“製造”します。抽象的な操作に具体例で血を通わせましょう。
例 複素射影空間は簡約で得られる
の標準シンプレクティック構造に が で作用する。モーメント写像は 。(単位球面)を で割ると 複素射影空間が、平坦な のシンプレクティック簡約として得られる。前章のフビニ–スタディ計量 (複素幾何)が、この簡約から自然に出る。
という基本的な空間が、もっと単純な から対称性で割って作れる——これは簡約の 威力を示す好例です。物理では、二体問題が並進対称性の簡約で相対運動だけに、さらに回転対称性(角運動量保存) の簡約で動径方向の一次元問題に落ちる。「保存量で自由度を減らす」という力学の常套手段が、すべてこの シンプレクティック簡約の実例です。ゲージ理論のモジュライ空間(複素幾何・数理物理)も、 無限次元の簡約として構成されます。
簡約が保つもの・トーリックとの関係
簡約は「次元を落としつつシンプレクティック構造を保つ」操作です。前章のトーリック幾何とも自然につながります。
注意 簡約とトーリック多様体
にトーラス を作用させてシンプレクティック簡約すると、 次元のトーリック多様体が 得られ、そのモーメント多面体(第7章)は、 の標準的な多面体(第一象限)を の作用方向で 「切った」ものになる。簡約 = 多面体を切るという組み合わせ的な描像。デルザントの構成は、逆に任意の デルザント多面体からトーリック多様体を簡約で作る手続き。前章の凸多面体と本章の簡約が、一つの絵に収まる。
注意 つまずきポイント
- 二段階が要る。 だけではシンプレクティックにならない。「 で固定()」+ 「 で割る()」で合計 。偶数次元が保たれる。
- 退化方向=対称性方向。 上で が退化する向きが、ちょうど の軌道方向。だから 割ると退化が消える。モーメント写像の定義がこれを保証。
- 物理の「自由度を減らす」の幾何版。角運動量保存で二体問題を落とす等、保存量による簡約が本章の実例。
この章のまとめ
- シンプレクティック簡約(マースデン–ワインスタイン):。保存量を固定() してから対称性で割る二段階で、次元が 下がった新しいシンプレクティック多様体ができる。
- 退化方向と -軌道方向が一致する(モーメント写像の定義)ため、割ると非退化な が残る。
- 例:。二体問題の簡約、ゲージ理論のモジュライも同じ枠組み。「保存量で 自由度を減らす」力学の常套手段の幾何版。
- 簡約は多面体を切る操作としてトーリック幾何(第7章)と結びつく(デルザントの構成)。
前半(基礎)と中盤(ハミルトン力学・対称性)が揃いました。後半は大域シンプレクティック幾何へ。次章は、 シンプレクティック形式と両立する概複素構造 を導入し、複素幾何との接点を作ります。 これが第10章の剛性・第11章の擬正則曲線の道具になります。