数学の作り方 How to make Mathematics

第3章 ヒルベルトの零点定理

辞書を完成させる一手

第1章で、VV(代数→幾何)と II(幾何→代数)が“ほぼ”逆対応だが、I(V(S))SI(V(S))\supseteq S が等号にならない ——V(x2)=V(x)V(x^2)=V(x) なのに x2xx^2\ne x——という“べき乗の曖昧さ”が残ると見ました。この最後のずれを完全に 埋めるのが、代数幾何の礎石ヒルベルトの零点定理(Nullstellensatz、「零点の定理」)です。

零点定理は二つの顔をもちます。弱形は「方程式に解があるか」を代数で判定し、強形は「図形で消える多項式は 何か」を根基イデアルで言い当てる。これで VVII が過不足なく一対一に対応し、幾何と代数の辞書が完成します。 以下、kk は代数閉体(C\mathbb C など)とします。

零点定理:I(V(J))=JI(V(J))=\sqrt J(根基)。図形で消える多項式は「べき乗すると JJ に入る」もの全体。辞書が完成する。

弱形——解があるか

まず「連立方程式に共通解があるか」を代数で言い切る形。解が無い(V=V=\varnothing)のは、方程式が 「1=01=0 を導く」=イデアルが全体になるとき、ちょうどそのときだけ。

定理 ヒルベルトの零点定理(弱形)

kk を代数閉体、Jk[x1,,xn]J\subseteq k[x_1,\dots,x_n] をイデアルとする。

V(J)=      J=(1)=k[x1,,xn]  (1J).V(J)=\varnothing\ \iff\ J=(1)=k[x_1,\dots,x_n]\ \ (1\in J).

すなわち「共通零点がない ⟺ 11 がイデアルに入る(方程式から矛盾 1=01=0 が導ける)」。

「解が無いことは、方程式を多項式で組み合わせて 11 を作れること」——これは連立一次方程式の 「解なし ⟺ 0=10=1 が導ける」の、非線形版です。代数閉性が本質的で、実数だと V(x2+1)=V(x^2+1)=\varnothing なのに (x2+1)(1)(x^2+1)\ne(1) となって崩れます(第1章の複素で考える理由)。

注意 弱形の言い換え——極大イデアルは点

弱形から「k[x1,,xn]k[x_1,\dots,x_n] の極大イデアルは mp=(x1a1,,xnan)\mathfrak m_p=(x_1-a_1,\dots,x_n-a_n)(点 p=(ai)p=(a_i) に対応)の形 しかない」が従う。極大イデアル ↔ 点。これは第10章の Spec\operatorname{Spec}(素イデアルを点とみなす)の原型で、 「イデアルが点である」という発想の出発点。代数(極大イデアル)と幾何(点)が完全に一致する。

強形——根基イデアル

弱形を使うと、“べき乗の曖昧さ”の正体が分かります。図形 V(J)V(J) で消える多項式 ff は、ff そのものが JJ に 入らなくても、あるべき乗 fmf^mJJ に入るもの——これを集めたのが根基イデアルです。

定義 根基イデアル

イデアル JJ根基

J={f:fmJ となる m1 がある}\sqrt J=\{\,f : f^m\in J\ \text{となる }m\ge1\text{ がある}\,\}

と定める(これもイデアル)。J=J\sqrt J=J のとき JJ根基イデアルという。

定理 ヒルベルトの零点定理(強形)

kk を代数閉体、JJ をイデアルとすると

I(V(J))=J.I(V(J))=\sqrt J.

「図形 V(J)V(J) で消える多項式の全体」=「JJ の根基」。

証明

JI(V(J))\sqrt J\subseteq I(V(J)) は易しい(fmJf^m\in J なら V(J)V(J) 上で fm=0f^m=0、体だから f=0f=0)。逆はラビノヴィッチの 技法fI(V(J))f\in I(V(J)) とし、新変数 tt を足して J=(J, tf1)k[x1,,xn,t]J'=(J,\ tf-1)\subseteq k[x_1,\dots,x_n,t] を考える。ffV(J)V(J) 上で 消えるので JJ' は共通零点をもたない(tf=1tf=1 かつ f=0f=0 は不可能)。弱形より 1J1\in J'。この関係式で t=1/ft=1/f を 代入し分母を払うと fmJf^m\in J が出る。∎

証明の技巧「tf1tf-1 を足して弱形に帰着」(ラビノヴィッチ)は、強形を弱形の系にする鮮やかな一手です。結論 I(V(J))=JI(V(J))=\sqrt J が、VVII の対応を完成させます。

辞書の完成——V と I は一対一

零点定理により、第1章のガロア対応が過不足のない一対一になります。根基イデアルに制限すれば、図形と イデアルが完全に対応する。

定理 代数と幾何の辞書(完成形)

代数閉体上で、VVII は次の一対一対応を与える:

{代数的集合}  V, I  {根基イデアル},\{\text{代数的集合}\}\ \xleftrightarrow{\ V,\ I\ }\ \{\text{根基イデアル}\},

包含を逆転。この対応の下で

{既約多様体}{素イデアル},{}{極大イデアル}.\{\text{既約多様体}\}\leftrightarrow\{\text{素イデアル}\},\qquad \{\text{点}\}\leftrightarrow\{\text{極大イデアル}\}.

これが代数幾何の礎石です。図形の階層(点 ⊂ 既約多様体 ⊂ 代数的集合)が、イデアルの階層(極大 ⊂ 素 ⊂ 根基)に そっくり移る。幾何の問いを代数に翻訳し、逆も自由にできる。第2章の「既約 ⟺ 素」も、この辞書の一段として 収まります。以降の章は、この辞書の上で幾何を展開していきます。

注意 なぜ Nullstellensatz が“礎石”なのか

零点定理がなければ、「図形」と「イデアル」は別々の世界のまま。零点定理が両者を厳密に貼り合わせるからこそ、 「幾何の定理を代数で証明する/代数の構造を幾何で見る」が正当化される。ヒルベルト基底定理(有限生成、 環論)が“図形は有限個の方程式で書ける”を保証し、零点定理が“図形とイデアルは同じ”を保証する ——この二つのヒルベルトの定理が、古典代数幾何の土台。

つまずきポイント

注意 よくある誤解

  • 零点定理は代数閉体で成り立つ。 実数では弱形が崩れる(V(x2+1)=V(x^2+1)=\varnothing だが (x2+1)(1)(x^2+1)\ne(1))。C\mathbb C や 代数閉体が前提。
  • I(V(J))=JI(V(J))=J ではなく =J=\sqrt J べき乗のぶんだけ大きい。V(x2)=V(x)={0}V(x^2)=V(x)=\{0\}I=(x2)=(x)I=\sqrt{(x^2)}=(x)。図形は 重複度を見ない。
  • 一対一は「根基イデアル」に限る。 一般のイデアルでは JI(V(J))J\ne I(V(J))V,IV,I の完全対応は根基イデアルの世界で。
  • 点↔極大、既約↔素、代数的集合↔根基。 三段の対応。幾何の階層が代数の階層に移る。

この章のまとめ

  • ヒルベルトの零点定理(弱形)V(J)=    J=(1)V(J)=\varnothing\iff J=(1)(解なし ⟺ 矛盾 1=01=0 が導ける)。極大イデアル ↔ 点。
  • 強形I(V(J))=JI(V(J))=\sqrt J(根基)。図形で消える多項式は「べき乗すると JJ に入る」もの。証明は tf1tf-1 を足すラビノヴィッチの技法
  • 辞書の完成V,IV,I{代数的集合}{根基イデアル}\{\text{代数的集合}\}\leftrightarrow\{\text{根基イデアル}\} の一対一(包含逆転)。点↔極大、既約多様体↔素、代数的集合↔根基。代数幾何の礎石。
  • 図形とイデアルが完全に対応した。次章では、この辞書を「射(写像)」まで拡張し、座標環を通じて幾何と代数の圏同値を確立します。

次章では、座標環 k[X]k[X] を導入し、多様体の間の射が環準同型に対応すること(幾何と代数の反変圏同値)を見ます。