第5章 コーシーの積分公式
境界の値だけで、内部のすべてが決まる
前章のコーシーの積分定理から、複素解析で最も驚くべき公式が生まれます——コーシーの積分公式:正則関数の 円板内部の値は、境界の値だけで完全に決まる。
内部の一点 での値が、境界を一周する積分で書けてしまう。これは実関数では絶対に起こりません(境界の値を 決めても内部は自由)。正則性という強い縛りが、関数の情報を境界に凝縮させるのです。この公式から、 「正則なら無限回微分できる」「有界な整関数は定数(リウヴィル)」「 は代数閉体(代数学の基本定理)」が 次々に流れ出します。第4章の積分定理が種なら、この章はその実り。複素解析の奇跡が一気に開花します。
コーシーの積分公式:内部の値 は境界積分で決まる。ここから無限回微分可能性・リウヴィル・代数学の基本定理が出る。
コーシーの積分公式
定理 コーシーの積分公式
が単連結領域 で正則、 を 内で を正の向きに一周する単純閉曲線とすると
証明
被積分関数 は を除いて正則。 を中心とする小円 (半径 )へ を変形すると (間の領域で正則ゆえコーシーの定理/ホモトピー不変性)。 上 として ( 連続ゆえ 。)よって 。∎
証明の心は「小円に縮めると、 が生む だけが残る」こと。(前章の穴の効果)が、 を取り出す“針”になっています。この公式を で微分すると、高階導関数の公式が出ます。
定理 高階導関数の公式
上の状況で、 は で無限回複素微分可能で
証明
コーシーの公式の右辺は、 について積分記号下で何回でも微分できる(被積分関数 が について 、 上で一様評価できるので微分と積分が交換可能)。 より結論。∎
正則 ⇒ 無限回微分可能
系 正則性の自己増殖
領域で正則な関数は、無限回複素微分可能(、しかも各点でべき級数展開可能=第6章)。 特に が正則なら も正則。
これは実解析ではありえない現象です。実では「 回微分できても 回目はできない」関数が普通にある。ところが 複素では、一度複素微分できれば自動的に無限回。第1章で「複素微分は超強力」と言ったことの、最も鮮やかな帰結です。 グルサが の連続性を仮定しなかった(前章)おかげで、この“自己増殖”が循環論法なしに成立します。逆向きの 定理(積分の消滅から正則性を導く)も成り立ちます。
定理 モレラの定理
領域 で連続な が、 内のすべての三角形で を満たすなら、 は で正則。
証明
三角形積分が消えるので、局所的に原始関数 ()が作れる。 は正則で、正則関数の導関数 も正則 (上の系)。∎
モレラはコーシーの定理の逆で、「積分が消える ⇒ 正則」。極限や積分で作った関数の正則性を示すのに使われます (一様極限の正則性など)。
リウヴィルの定理と代数学の基本定理
高階導関数の公式からコーシーの評価が出て、そこから2つの有名定理が導かれます。
補題 コーシーの評価
が で正則、 なら 。
証明
高階導関数の公式に半径 の円をとり ML 不等式:。∎
定理 リウヴィルの定理
有界な整関数(全平面で正則かつ有界)は定数。
証明
(全平面)とする。任意の で、コーシーの評価を 、任意の に適用:。 で 。全点で ゆえ は定数。∎
「全平面で正則かつ有界なら定数」—— が複素では非有界()なのは、 有界だと定数になってしまうからです。このリウヴィルの定理が、 年の難問に決着をつけます。
定理 代数学の基本定理
係数の次数 の多項式 は、 に根をもつ(ゆえ は代数閉体)。
証明
が根をもたないと仮定すると は全平面で正則(整関数)。 で (最高次項が支配)ゆえ 、有界。リウヴィルより は定数、 も定数—— に矛盾。ゆえ根をもつ。∎
体論・ガロア理論で「代数だけでは証明できない」と述べた代数学の基本定理が、複素解析では リウヴィルの定理から数行で出る。「根が無ければ が有界な整関数=定数」という背理法です。解析(複素微分・積分)の 力が、純粋に代数的な事実(多項式が根をもつ)を証明する——分野を越えた美しい応用です。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- コーシーの積分公式:内部の値が境界積分で決まる。 実関数では起こらない。正則性の強さの現れ。 の が値を取り出す。
- 正則 ⇒ 無限回微分可能(、解析的)。 実解析と決定的に違う。一度複素微分できれば全部。
- リウヴィル:有界な整関数は定数。 だから は複素で非有界、 も非有界。整関数で有界なら定数しかない。
- 代数学の基本定理は複素解析で瞬殺。 リウヴィルの背理法。体論の代数的証明より遥かに短い。
この章のまとめ
- コーシーの積分公式 :内部の値が境界積分で決まる。微分して高階導関数の公式 。
- 帰結:正則 ⇒ 無限回微分可能(自己増殖、実解析と対照的)。逆はモレラの定理(三角形積分が消えれば正則)。
- コーシーの評価からリウヴィルの定理(有界な整関数は定数)、そして代数学の基本定理( は代数閉体)が数行で出る。
次章は、コーシーの公式から「正則 ⇒ べき級数展開可能」を示し、一致の定理という強力な剛性を導きます。