第8章 測地線
曲面の上で「まっすぐ」とは
平面での「まっすぐ」は直線。では球面の上で「まっすぐ進む」とは何でしょう。飛行機は地球上を大円 (赤道のような最大の円)に沿って飛びます。東京からニューヨークへは、地図上では北に膨らんだ弧に見えるのに、 それが最短。この「曲がった面の上でのまっすぐな道」を測地線といいます。
「まっすぐ」の意味を三つの角度から捉えられます。どれも同じ測地線を指します——これが理解の鍵です。
- 面の上で見て曲がっていない(測地的曲率がゼロ)。面上のアリには直進に見える。
- 最短経路(近くの二点を結ぶ最短の道)。ゴムひもを面に張った形。
- 加速度が面に垂直(面内方向には加速しない)。ハンドルを切らずに進む車。
測地線=曲がった面の上の「まっすぐな道」。面上で曲がらない=最短=加速度が法線方向、の三つの顔を持つ。
測地的曲率と測地線の定義
第5章で、面上の曲線の曲率は二つに分かれると触れました——法線方向の法曲率 (面の反りのせい)と、 接平面内の測地的曲率 (面上で経路が曲がるせい)。測地線は後者がゼロの曲線です。
定義 測地的曲率・測地線
面上の弧長曲線 の加速度 を、接平面成分と法線成分に分ける。接平面成分の大きさを 測地的曲率 という。、すなわち加速度が面に垂直()である 曲線を測地線という。
「加速度が面に垂直」の意味を噛みくだきましょう。面上を進む点が加速するとき、その加速には二種類ある—— 「面から浮かないように面が押し返す分」(法線方向、避けられない)と、「面の上で進路を曲げる分」(接平面内、 ハンドル操作)。測地線は後者がゼロ。面が押し返す最小限の加速だけで、面上ではまっすぐ進む。車で言えば ハンドルを切らずアクセルも一定(速さ一定)で走った軌跡です。
例 球面の測地線は大円
球面上で加速度が法線(=中心を向く半径方向)に一致する曲線は、中心を通る平面で球を切った断面=大円。 赤道や経線(子午線)は大円だが、緯線(赤道以外)は大円でない——緯線に沿うにはハンドルを切り続ける() 必要がある。だから緯線は測地線でなく、二点間の最短でもない。飛行機が大円を飛ぶ理由がこれ。
測地線の方程式
「測地的曲率ゼロ」を局所座標 で書き下すと、常微分方程式になります。ここで前章のクリストッフェル記号が 再登場します。
定理 測地線の方程式
測地線 (弧長パラメータ)は、クリストッフェル記号 (第一基本形式だけで決まる)を 用いて
をみたす()。
証明
を微分すると、。測地線条件は「接平面成分=」だから、 の係数がすべて消える。それが上式。∎
この方程式が第一基本形式だけで書ける( が内在的)ことに注目してください。測地線は内在的な概念—— 面の上のアリが、空間を見ずに「まっすぐ進む」ルールとして決められます。前章の驚異の定理と同じく、内在幾何の 住人です。
定理 測地線の存在と一意性
各点・各方向に対して、その点を通りその方向に出発する測地線が(局所的に)一意に存在する。
証明
測地線の方程式は二階の常微分方程式(初期位置と初期速度で決まる)。微分方程式の存在一意性 より、初期値 と を与えれば解が一意に存在。∎
「点と方向を決めれば測地線が一本決まる」——これは平面で「点と向きを決めれば直線が一本決まる」の一般化です。 測地線は曲がった面における直線の役割を果たします。
最短性——測地線は局所的に最短
測地線の三つ目の顔「最短経路」を確認します。厳密には局所的に最短(近い二点なら最短、遠いと必ずしも 最短でない)。
定理 測地線の局所最短性
面上の十分近い二点を結ぶ最短曲線は測地線である。逆に、測地線は十分短い範囲では二点間の最短経路になる。
証明は変分法の考え方(長さ汎関数 を最小にする オイラー–ラグランジュ方程式が、まさに測地線の方程式になる)で行います。ゴムひもを面に張ると、張力で最短に なろうとして測地線の形に落ち着く——これが直感的な像です。
注意 “局所的に”が効く例
球面で、北極と南極を結ぶ経線はどれも測地線で、どれも同じ長さの最短。だが北極から少しずれた二点を大円で 結ぶとき、短い側の弧が最短で、反対回りの長い弧も測地線だが最短ではない。「測地線=最短」は近距離での話。 測地線は「まっすぐ」であって、大域的な最短は別途保証が要る(第9章・リーマン幾何学の ホップ–リノウの定理へ)。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- 測地線=最短、は局所的にのみ真。 遠い二点では測地線でも最短とは限らない(球面の長い方の弧)。定義は 「測地的曲率ゼロ=まっすぐ」であって、最短は帰結(近距離で)。
- 緯線は測地線でない(赤道以外)。 一見まっすぐでも、赤道以外の緯線を辿るにはハンドルを切り続ける ()。大円だけが球面の測地線。
- 測地線は内在的。 方程式が第一基本形式()だけで書ける。面上のアリが空間を見ずに決められる。
- 加速度ゼロではなく「接平面成分ゼロ」。 測地線でも加速度自体は でない(面が押し返す法線方向の加速が ある)。ゼロなのは面内の加速(進路変更)だけ。速さは一定。
この章のまとめ
- 測地線=曲がった面の「まっすぐな道」。三つの同値な顔:測地的曲率ゼロ(面上で曲がらない)・加速度が法線方向(面内で加速しない)・局所的に最短(ゴムひも)。
- 測地線の方程式 はクリストッフェル記号(第一基本形式だけ)で書け、内在的。二階ODEなので点と方向で一意に決まる(直線の一般化)。
- 球面の測地線は大円(緯線は測地線でない)。最短性は近距離でのみ保証(局所的)。
- 曲面論(第4〜8章)はここで一区切り。次章では、局所の曲率 を面全体で積分すると位相不変量(オイラー標数)が現れる——ガウス–ボンネの定理を、測地三角形で体感します。
次章では、局所の曲率と大域の位相を結ぶ金字塔——ガウス–ボンネの定理を、球面の測地三角形の角の過剰とともに見ます。