第11章 モースホモロジー
前章のモース不等式は、臨界点の個数とベッチ数を結びました。でも、まだ CW 構造を経由していました。もっと 直接に——臨界点そのものを基底とし、臨界点をつなぐ勾配の流れ線を境界写像として、ホモロジーを組み立て られないか。それがモースホモロジーです。関数の山谷峠と、それらを結ぶ「水の流れ」だけから、 多様体のホモロジーが復元される。この視点は無限次元へ一般化され(フレアー理論)、現代幾何の一大分野の源に なりました。この分野の締めくくりにふさわしい、微分と位相の最も深い握手です。
勾配の流れで臨界点をつなぐ
モース関数 と、その勾配ベクトル場 (水が低い方へ流れる向き)を考えます。ほとんどの点は、 時間を遡れば(上流へ)ある臨界点から湧き出し、時間を進めれば(下流へ)別の臨界点へ吸い込まれます。 臨界点 (指数 )から出る流れの全体は、 次元の不安定多様体 、 へ吸い込まれる流れは 次元の安定多様体 をなします。
定義 モース・スメール条件と流れ線
勾配(を適当な計量で調整したもの)がモース・スメール条件を満たすとは、すべての不安定多様体と 安定多様体が横断的に交わること。このとき、指数差が の臨界点 (指数 )と (指数 )を結ぶ流れ線( から への勾配の軌道)は有限本で、各々に向きから 符号 が付く。その符号付き本数を とする。
横断性がまた要になります。 と が横断的なら、その交わり( から への流れ線の集まり)は 次元 。指数差が なら 次元——ただし流れは時間方向に自由に動かせるので、 「流れ線の本質的な本数」は 次元=有限個の点。相補次元で交わりが有限個になる、第2章・第6章の主題が、 ここでも「臨界点をつなぐ流れ線は有限本」として現れます。第2–3章のサード・横断性で、モース・スメール条件は 摂動でいつでも満たせます。
モース複体と ∂²=0
定義 モース複体
指数 の臨界点で張られる自由加群を とし、 境界写像を「一つ下の指数の臨界点への流れ線の符号付き本数」で定める:
この をモース複体という。
複体であるためには、 が要ります。これが幾何的に成り立つのが、モースホモロジーの美しさです。
定理 ∂²=0(流れ線の折れ線の勘定)
モース・スメール条件のもとで 。
証明 (着想:折れ線の両端勘定)
の 成分()は、 から中間の (指数 )を経て へ至る 「二段の流れ線(折れ線)」の符号付き総数。指数差 なので、 から への流れ線の集まりは 次元多様体 =弧の集まりで、その両端がちょうどこの折れ線(中間の臨界点でカクッと折れた極限)に対応する。 第4章の端点勘定——「コンパクト 次元多様体の(符号付き)境界は 」——より、 折れ線は符号が逆の対で現れて相殺し、総和 。ゆえに 。
が「弧の両端が対で打ち消す」という、この分野を貫く端点勘定の原理からまた出てくる。 写像度・交叉数・モース複体——すべての不変性が、「 次元多様体の境界は偶数個/符号付きで 」という 一つの事実に還元されます。複体ができたので、ホモロジーが定義できます: 。
モースホモロジー = 特異ホモロジー
定理 モースホモロジーの一致定理
モースホモロジー は、モース関数 にも計量にも依らず、 の 特異ホモロジー に同型である。
「山谷峠と水の流れだけから作ったホモロジーが、位相幾何の特異ホモロジーとぴったり一致する」。証明は、 前章のハンドル分解の CW 構造の境界写像が、まさに流れ線の勘定 で与えられることを確かめる(あるいは、 を動かしたときモースホモロジーが不変なことを連続法で示す)ことによります。この一致は、モース不等式を 再証明します:。前章では CW 経由で示した不等式が、いまや 臨界点だけの複体から直接出る。しかも境界写像 の情報まで込みなので、ねじれも含めた完全な ホモロジーが臨界点から復元されます。
注意 無限次元へ:フレアー理論の芽
モースホモロジーの真価は、その発想が無限次元に持ち上がることにある。「作用汎関数」の臨界点 (=運動方程式の解)を基底、その間の勾配流(=ある偏微分方程式の解)を境界写像とすると、 シンプレクティック幾何やゲージ理論でフレアーホモロジーが構成できる。 臨界点が無限個・指数も無限大になりうる中で、指数差と流れ線の勘定だけは意味を保つ——この一般化が、 アーノルド予想や 次元トポロジー(ドナルドソン・サイバーグ–ウィッテン理論)を切り拓いた。有限次元の モース理論は、その最も透明な原型なのです。
注意 つまずきポイント
- 境界写像は「指数差 の臨界点をつなぐ流れ線の符号付き本数」。 指数差が でこそ流れ線が有限個 (本質的に 次元)。差が や 以上では境界写像に寄与しない。
- は幾何的事実。 代数的な公理でなく、「二段の流れ線= 次元モジュライの端点が対で相殺」という 横断性の帰結。第4章の端点勘定と同じ原理。
- モース・スメール条件(横断性)が前提。 一般の勾配では流れ線が退化しうる。摂動(サード・横断性)で 条件を満たすようにしてから複体を組む——第2章の一般の位置の原理がここでも命。
この章のまとめ
- モース複体:指数 の臨界点を基底、境界写像 を指数差 の臨界点をつなぐ 勾配流れ線の符号付き本数で定める。前提は横断性(モース・スメール条件)。
- は「二段の流れ線= 次元モジュライの端点が対で相殺」という幾何的事実(端点勘定の原理)。
- モースホモロジー ≅ 特異ホモロジー:関数にも計量にも依らず の不変量。モース不等式を境界写像込みで 再証明。発想は無限次元へ持ち上がりフレアー理論を生む。
臨界点と流れだけから多様体のホモロジーが出ました。最終章は視点をさらに上げ、「多様体そのものを、 境界を共有するかどうかで分類する」——コボルディズムと、微分構造の驚異エキゾチック球面で この分野を締めくくります。