第5章 正規直交系とフーリエ展開
無限次元の「座標軸」
有限次元では、正規直交基底 {e1,…,en} を使ってベクトルを x=∑⟨x,ek⟩ek と展開しました。
係数 ⟨x,ek⟩ が「各軸方向の成分」。この座標の考え方を、無限次元へ持ち込みます。無限個の互いに直交する
単位ベクトルを軸に選び、関数をその成分に分解する——それがフーリエ展開の正体です。
定義 正規直交系
ヒルベルト空間 H のベクトル族 {ek} が
⟨ej,ek⟩=δjk(j=k で 1, j=k で 0)をみたすとき正規直交系(ONS)という。⟨x,ek⟩ を x のフーリエ係数という。
代表例が、L2[−π,π] の三角関数系 {2π1, πcosnx, πsinnx}。
これらは互いに直交し(∫sinnxcosmx=0 など)、この系での成分がまさに古典的なフーリエ級数の係数です。
フーリエ展開=無限個の直交軸(正規直交系)への分解。係数 ⟨x,ek⟩ が各軸方向の成分。
部分和は直交射影=最良近似
前章の射影定理が、ここで威力を発揮します。最初の N 個の軸 {e1,…,eN} が張る部分空間への直交射影は、
フーリエ係数を使った有限和で書け、それがその部分空間での最良近似になります。
定理 部分和=射影
正規直交系 {ek} の最初の N 個が張る部分空間 MN への直交射影は
PMNx=k=1∑N⟨x,ek⟩ek.これは MN の中で x に最も近い点(最良近似)で、誤差 x−PMNx は各 ek に直交する。
証明
s=∑k=1N⟨x,ek⟩ek とおくと、各 j≤N で
⟨x−s,ej⟩=⟨x,ej⟩−∑k⟨x,ek⟩⟨ek,ej⟩=⟨x,ej⟩−⟨x,ej⟩=0。
よって x−s⊥MN。前章の射影定理の特徴づけ(誤差が直交)より s=PMNx が最良近似。∎
∎
つまり「フーリエ係数で作った部分和が、その項数で表せる最良の近似」。これを体感しましょう。
項数 N を増やすと、部分和 SN(朱)がターゲット関数(灰)に迫ります。SN は「最初の N 次元部分空間への
射影=最良近似」。エネルギー捕捉率(下の %)は、N 項でどれだけ関数の“エネルギー” ∥x∥2 を拾えたか
——これが次のベッセル・パーセバルの主役です。不連続な波(矩形・のこぎり)では、飛びの近くで振動が消えない
ギブス現象も見えます(項を増やしても 9% ほど行き過ぎ、幅が狭まるだけ)。
ベッセルの不等式とパーセバルの等式
射影は誤差を生むので、係数の二乗和は ∥x∥2 を超えられない——これがベッセルの不等式。等号が成り立つ
(誤差が消える)とき、正規直交系は空間全体を張り切っている(完全)といいます。
定理 ベッセルの不等式
正規直交系 {ek} と任意の x∈H に対し
k∑∣⟨x,ek⟩∣2≤∥x∥2.とくにフーリエ係数の二乗和は収束する(係数は 0 に近づく)。
証明
sN=∑k=1N⟨x,ek⟩ek は射影。ピタゴラス ∥x∥2=∥sN∥2+∥x−sN∥2≥∥sN∥2。
正規直交性より ∥sN∥2=∑k=1N∣⟨x,ek⟩∣2。N→∞ で結論。∎
∎
前章の射影デモで見た ∥v∥2=∥p∥2+∥e∥2(ピタゴラス)が、そのまま働いています。等号が全ての x で成り立つ
ときが特別です。
定義 完全正規直交系(基底)とパーセバル
正規直交系 {ek} が完全({ek} に直交するのは 0 のみ)であるとき、これを
正規直交基底という。このとき任意の x で
x=k∑⟨x,ek⟩ek(収束は ∥⋅∥),∥x∥2=k∑∣⟨x,ek⟩∣2 (<Term>パーセバルの等式</Term>).
定理 完全性の同値条件
正規直交系 {ek} について次は同値:(1) 完全(基底)、(2) 展開 x=∑⟨x,ek⟩ek が全 x で成立、
(3) パーセバルの等式が全 x で成立、(4) {ek} の張る空間が H で稠密。
パーセバルの等式は「エネルギー保存」——関数の大きさ ∥x∥2 が、各成分のエネルギー ∣⟨x,ek⟩∣2
の総和に等しい。フーリエ変換が信号のエネルギーを保つ、という物理的にも重要な事実です。デモの「捕捉率 →100%」
は、三角関数系が L2 の完全な正規直交基底であることの現れ。関数を波に分解して、余さず再構成できる。
注意 収束は L² の意味——各点収束とは限らない
基底展開 x=∑⟨x,ek⟩ek の収束は**ノルム(L2)**の意味。各点で SN(x0)→x(x0) とは限らない
(ギブス現象がその現れ:不連続点で各点収束が乱れる)。「L2 で収束」と「各点で収束」は別物(測度論の
収束の諸相の回収)。関数解析が扱うのは主に前者。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- フーリエ級数は射影=最良近似。 「なぜあの係数なのか」=誤差を直交させる(部分空間への射影)から。天下りの
公式ではなく、幾何の必然。
- 正規直交系 ≠ 基底。 直交・単位なだけでは足りない。完全(張る空間が稠密)で初めて基底=全関数を展開できる。
ベッセルは不等式、パーセバルは(完全なら)等式。
- 収束は L2 の意味。 各点収束・一様収束とは違う。ギブス現象は各点収束の乱れで、L2 収束とは両立する。
- ヒルベルト空間の基底は「線形代数の基底」と違う。 有限線形結合でなく無限級数で表す(位相的な基底)。
ハメル基底(代数的基底)とは別概念。
この章のまとめ
- 正規直交系は無限次元の「直交座標軸」、フーリエ係数 ⟨x,ek⟩ が成分。三角関数系が L2 の代表。
- 部分和 ∑k≤N⟨x,ek⟩ek は N 次元部分空間への直交射影=最良近似(前章の応用)。
- ベッセルの不等式 ∑∣⟨x,ek⟩∣2≤∥x∥2(ピタゴラスから)。完全な系(正規直交基底)では等号=パーセバルの等式(エネルギー保存)が成り立ち、x=∑⟨x,ek⟩ek と展開できる。収束は L2 の意味。
- 次章では、直交射影のもう一つの果実——ヒルベルト空間の双対を完全に決めるリースの表現定理と、随伴作用素を扱います。
次章では、直交射影を使って「有界線形汎関数はすべて内積で書ける」(リースの表現定理)を証明し、随伴作用素・自己共役作用素を導入します。