第6章 リースの表現定理と随伴作用素
「関数を数にする写像」の正体
ヒルベルト空間 上の有界線形汎関数——ベクトルを一つ入れるとスカラーが出る線形写像 ——を考えます。いちばん素朴な例は、あるベクトル を固定して とする「 との 内積をとる」写像。コーシー–シュワルツより で有界です。
リースが示したのは、その逆——有界線形汎関数はこの形しかない。どんな も、ある との内積として 表せる。抽象的な「汎関数」が、具体的な「ベクトル 」と一対一に対応する。これがヒルベルト空間論の要石です。
定理 リースの表現定理
をヒルベルト空間、(有界線形汎関数)とする。すると一意な が存在して
証明
なら 。 とし 。 は有界(連続)なので は 閉部分空間。 より 、前章の直交分解 で 。単位ベクトル をとる。任意の に対し は ゆえ 、よって 。展開すると 、すなわち 。 とおけばよい。一意性: なら を代入して 。 はコーシー–シュワルツの等号から。∎
証明の心臓は、前章の直交分解 。「核 に垂直な方向 が一本ある」ことが、汎関数を 表すベクトルを与えます。射影の幾何が、双対空間の構造をまるごと決めてしまう。
リースの表現定理:ヒルベルト空間の有界線形汎関数はすべて「あるベクトルとの内積」。(双対はそれ自身)。
注意 ヒルベルト空間は自己双対
リースにより、写像 が から への(共役線形な)等長同型を与える。 つまり ——ヒルベルト空間は自分自身が双対。一般のバナッハ空間では双対は別物で、その解析には ハーン–バナッハの定理(第7章)が要る。ヒルベルトでは内積のおかげで双対が“見える”。この差が、ヒルベルト空間を 桁違いに扱いやすくしている。
随伴作用素
リースの表現定理の最初の果実が、随伴作用素です。有限次元で行列の転置(共役転置) を作ったのと同じ操作を、 無限次元の作用素に対して行います。定義の根拠がリースです。
定義 随伴作用素
ヒルベルト空間上の有界作用素 に対し、
をみたす有界作用素 が一意に存在する。これを の随伴作用素という。
証明
を固定すると は有界線形汎関数()。 リースの表現定理より、これを表すベクトル が一意に存在:。 と定めると線形・有界()で、定義式をみたす。∎
随伴の性質:、、。有限次元の共役転置の規則がそのまま成り立ちます。 随伴を使って、特に重要な作用素のクラスを定義します。
定義 自己共役・ユニタリ・正規作用素
- :自己共役(エルミート)。実対称行列の一般化。スペクトルが実(第12章)。
- :ユニタリ。内積を保つ()=無限次元の回転。
- :正規作用素。自己共役・ユニタリを含む。スペクトル分解が効くクラス。
これらは線形代数の対称行列・直交行列・正規行列の無限次元版。自己共役作用素は量子力学の 観測量(オブザーバブル)に対応し、その固有値が観測される物理量になります。第12章のスペクトル理論で、これらの 作用素を「無限次元の対角化」する話へつながります。
例 随伴の計算例
- 掛け算作用素 ( 上): より 。 が実なら自己共役。
- 右シフト ():随伴は左シフト 。 だが ——ユニタリでない(無限次元ならではの現象、第12章で効く)。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- リースはヒルベルト空間だけ。 「汎関数=内積」は内積があってこそ。一般バナッハ空間の双対はもっと複雑で、 ハーン–バナッハ(第7章)が要る。
- は共役線形同型。 複素の場合、 は共役線形( が に)。 実なら普通の線形同型。
- 随伴の存在はリースに依存する。 定義式をみたす が“ある”のは、リースが表現ベクトルを保証するから。 無条件ではない。
- 右シフトの随伴は左シフト、逆ではない。 (等長)だが 。有限次元では等長なら全単射だが、 無限次元では片側だけ——後のフレドホルム・スペクトルで本質的。
この章のまとめ
- リースの表現定理:ヒルベルト空間の有界線形汎関数はすべて「あるベクトル との内積」。証明は直交分解 。ゆえに (自己双対)。
- リースから随伴作用素 ()が一意に定まる。共役転置の無限次元版。
- 自己共役(実固有値・量子力学の観測量)、 ユニタリ(回転)、 正規。右シフトの随伴は左シフト()。
- Part II(ヒルベルト空間)はここまで。次章から一般のバナッハ空間へ戻り、ヒルベルトでは自明だった双対の存在を保証する——ハーン–バナッハの定理へ。
次章では、一般のバナッハ空間で「有界線形汎関数が十分にある」ことを保証するハーン–バナッハの定理を証明します。