第7章 ハーン–バナッハの定理
双対空間は空っぽかもしれない、という不安
前章のヒルベルト空間では、リースの表現定理のおかげで汎関数がたくさんありました()。では、 内積のない一般のバナッハ空間 ではどうでしょう。有界線形汎関数( の元)は本当に十分に存在するのか。 極端な話、(汎関数がゼロしかない)だったら、双対を使う議論が全部無意味になります。
この不安を払拭するのがハーン–バナッハの定理です。「小さな部分空間で定義された汎関数を、ノルムを増やさずに 全空間へ拡張できる」——これを土台に、「汎関数が豊富にある」ことが保証されます。関数解析の三本柱の一つ(残りは 第9・10章の三大定理)で、双対理論すべての出発点です。
ハーン–バナッハ:部分空間の汎関数を、ノルムを保ったまま全空間へ拡張できる。ゆえに双対空間は豊か。
拡張定理
まず核心の拡張定理。実数版を述べます(複素版・ノルム版はここから従う)。
定理 ハーン–バナッハの定理(拡張・ノルム版)
をノルム空間、 を部分空間、 を有界線形汎関数とする。すると を全空間 へ 拡張した有界線形汎関数 で
となるものが存在する(ノルムを増やさずに拡張できる)。
証明
一次元ずつ拡張するのが要。 に含まれない を選び、 へ拡張する。 と置くとき、 を保つように定数 を選べるかが問題。 は任意の で
(劣加法性 から、左辺の ≤ 右辺の ) と同値。だから を両者の間に取れる。この一次元拡張を、ツォルンの補題(選択公理)で 全空間まで極大に押し進める。∎
証明の骨は「一次元ずつ、ノルムを壊さない値 の余地が必ずある」こと。それをツォルンの補題で全体へ 広げます。選択公理を使うので、拡張は具体的に書き下せない(存在のみ)——非構成的な定理です。
汎関数は豊富にある——重要な帰結
拡張定理から、双対空間が豊かであることが次々と出ます。これらが「汎関数を使って点を区別・測定する」議論を 可能にします。
定理 ハーン–バナッハの帰結
をノルム空間とする。
- 各 に対し、 なる が存在する(汎関数で点の長さが測れる)。
- ゆえに なら なる がある(汎関数が点を区別する)。
- (ノルムが双対から復元できる)。
証明
(1) 一次元部分空間 上で と定めると 。ハーン–バナッハで へ ノルム のまま拡張したものが 。(2) に (1) を適用。(3) (1) が下限、 が 上限。∎
(1) の意味は大きい。「どんなベクトルも、それをちょうど長さぶん検出する汎関数がある」。これで、点を汎関数で “座標づけ”して調べられる。第8章の弱位相(汎関数の値で収束を測る)や、双対の双対 への埋め込みが、 すべてここから立ち上がります。
幾何版:凸集合を超平面で分離する
ハーン–バナッハには幾何的な顔もあります。「交わらない二つの凸集合は、超平面(汎関数の等高面)で分離できる」。 最適化・経済学(分離超平面定理)でおなじみの主張が、同じ定理から出ます。
定理 分離定理(ハーン–バナッハの幾何版)
を実ノルム空間、 を交わらない空でない凸集合とする。 が開なら、ある と で
すなわち超平面 が と を分ける。
線形汎関数 の等高面 が「超平面」。凸で交わらない二集合の間には、必ずこの平らな仕切りを差し込める。 「拡張定理」(解析的)と「分離定理」(幾何的)は、劣線形汎関数を介して同値な二つの顔です。凸解析の 基礎(変分法・最適化)がここに立脚します。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- ハーン–バナッハは存在定理(非構成的)。 ツォルンの補題(選択公理)を使い、拡張を具体的に作れない。 「ある」ことだけ保証。
- 拡張の一意性はない。 ノルムを保つ拡張は複数ありうる(ヒルベルトでは直交分解で一意だが、一般には違う)。
- 双対が豊かなのは“定理”。 「汎関数がたくさんある」は当たり前でなく、ハーン–バナッハが保証している。これが ないと双対理論が空回りする。
- 分離には凸性と(片方の)開性が要る。 凸でない集合や閉集合だけだと分離できない例がある。前提を落とさない。
この章のまとめ
- ハーン–バナッハの定理:部分空間の有界線形汎関数を、ノルムを増やさず全空間へ拡張できる。証明は一次元ずつ+ツォルンの補題(非構成的)。
- 帰結:各 を長さぶん検出する ()があり、汎関数が点を区別、。一般バナッハ空間でも双対は豊か。
- 幾何版は凸集合の分離定理(超平面で二つの凸集合を仕切る)。解析版と同値で、凸解析・最適化の基礎。
- 次章では、この豊かな双対を使い、双対空間・反射性・そして無限次元でコンパクト性を取り戻す弱位相を扱います。
次章では、双対空間 ・二重双対 ・反射性、そして弱位相・弱*位相とバナッハ–アラオグルの定理を見ます。