第10章 コンパクト群とハール測度
群の上で「平均をとる」
第2章で「コンパクトかどうかが理論を分ける」と予告しました。ここでその意味が明らかになります。コンパクトな リー群には、群作用で不変な積分——ハール測度——があり、それを使って「群全体にわたる平均」がとれる。 この平均化が、表現論を驚くほどきれいにする魔法の道具です。
なぜ平均化が効くのか。有限群では、 という平均で、任意の対象を「群不変」なものに 均せました(表現論・群論のマシュケの定理)。コンパクト群は、この 有限和を積分 に置き換えることで、同じ議論を連続群へ持ち込みます。
コンパクト群には群作用で不変な積分(ハール測度)がある。「群全体で平均する」ことで、任意の構造を不変化できる。
ハール測度
定理 ハール測度の存在
コンパクトなリー群 には、両側不変な確率測度 (ハール測度)がただ一つ存在する: 任意の と可積分関数 に対し
「 に置き換えても積分が変わらない」——群のどこを基準にしても同じように測れる、平行移動不変な測度 ( 上のルベーグ測度、測度論の平行移動不変性のリー群版)。コンパクトなので 全体の測度を に正規化でき、確率測度になります。これが「群全体の平均」 を可能にします。
例 ハール測度の例
- :(角度の一様測度)。。
- 有限群:(数え上げの正規化)。ハール測度の離散版。
- : 次元球面上の一様測度。
- 非コンパクト群()にも(片側)不変測度はあるが、全体の測度が無限大で確率測度に 正規化できない——ここがコンパクトとの決定的な差。
平均化の魔法——不変内積とユニタリ化
ハール測度の最初の、そして決定的な応用。任意の内積を「群全体で平均」すると、群作用で不変な内積が作れます。 すると群の表現が、内積を保つ(ユニタリな)表現になる。表現論の出発点です。
定理 不変内積の構成(ワイルのユニタリ化)
コンパクト群 の(有限次元)表現 に対し、任意の内積 を 群平均した
は 不変()。ゆえに はユニタリ表現に取り替えられる。
証明
不変性:。ハール測度の右不変性で と置換でき、。∎
平均化の一手で、どんな内積も不変内積に化ける。証明はハール測度の不変性を使うだけ——測度論で 築いた積分の力が、群論に直結します。この不変内積があると、次章の「表現が既約分解する(完全可約)」が保証 されます。
定理 マシュケの定理(コンパクト版)
コンパクト群の有限次元表現は完全可約——既約表現の直和に分解する。(不変内積のもとで、不変部分空間の 直交補空間も不変になるため。)
不変部分空間 があれば、不変内積での直交補空間 も不変( が内積を保つから)。 だから と不変分解でき、これを繰り返せば既約成分に分かれる。平均化 → 不変内積 → 直交補空間も不変 → 完全可約。コンパクト群の表現論がきれいなのは、この一本道のおかげです。
注意 なぜコンパクトが効くのか
すべては「全体で平均できる」=有限な不変測度があることに帰着する。非コンパクト群では測度が無限大で 平均が発散し、この魔法が使えない。だから非コンパクト群( など)の表現論は、無限次元・ 非完全可約と桁違いに難しくなる。「コンパクト=平均化できる=表現がきれい」——第2章の予告の回収。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- ハール測度はコンパクトで確率測度になる。 不変測度自体は非コンパクトにもあるが、全体が無限大で正規化 できない。平均化にはコンパクト性が要る。
- 平均化で内積を不変にできる。 任意の内積を群平均。証明はハール不変性のみ。有限群の の 連続版。
- 完全可約の鍵は「直交補空間も不変」。 不変内積があると が不変になる。内積なしでは補空間が不変とは 限らない。
- 非コンパクトは別世界。 表現が無限次元・非完全可約になりうる。コンパクトの手法は使えない。
この章のまとめ
- ハール測度:コンパクトリー群には両側不変な確率測度 がただ一つ。「群全体で平均 」を可能にする(有限群の の連続版、ルベーグ測度の平行移動不変性のリー群版)。
- 平均化の魔法:任意の内積を群平均すると不変内積ができ、表現がユニタリ化(ワイル)。
- 不変内積のもとで直交補空間も不変 → コンパクト群の表現は完全可約(既約の直和、マシュケ)。コンパクト=平均化できる=表現がきれい。
- 道具が揃った。次章では、この舞台で表現論に踏み込み、最重要例 の既約表現(物理の角運動量・スピン)を調べます。
次章では、表現・既約表現・指標を導入し、 の既約表現の分類(スピン )と角運動量への応用を見ます。