数学の作り方 How to make Mathematics

第3章 リー環 — 単位元の接空間

曲がった群を、単位元で微分する

リー群は曲がった空間(多様体)でした。曲がったものは扱いにくい。でも第1章で見たとおり、リー群は均質—— どの点も単位元と同じ。だから単位元 ee の近くだけを調べれば十分です。そして「なめらかな対象は、一点で 微分すれば平らな線形空間(接空間)で近似できる」——多様体論で学んだこの原理を、単位元に 当てます。

単位元での接空間は、平らなベクトル空間。曲がった群論が、線形代数の問題に化ける入り口です。この接空間を リー環と呼びます。まずは「群の中を通る、なめらかな一本道」——1パラメータ部分群——を通して、接空間を 具体的に掴みましょう。

リー環=単位元での接空間。曲がった群を一点で微分して得る平らなベクトル空間。無限小の対称性。

1パラメータ部分群——群を貫くなめらかな道

定義 1パラメータ部分群

リー群 GG1パラメータ部分群とは、なめらかな準同型 γ:(R,+)G\gamma:(\mathbb R,+)\to G、すなわち

γ(s+t)=γ(s)γ(t),γ(0)=e\gamma(s+t)=\gamma(s)\gamma(t),\qquad \gamma(0)=e

をみたすなめらかな曲線。「実数直線を、群の中へ準同型に流し込んだ道」。

γ(s+t)=γ(s)γ(t)\gamma(s+t)=\gamma(s)\gamma(t) は「時間を足すことが、群の掛け算に対応する」——一定の“速度”で群の中を進み続ける 道です。SO(2)\mathrm{SO}(2) なら γ(t)=\gamma(t)=「角 tt の回転」がそれ。一定の角速度で回り続ける運動です。この道の 単位元での初速度 γ(0)\gamma'(0) が、無限小の対称性を表します。

定義 リー環(接空間として)

リー群 GG の単位元 ee での接空間 TeGT_eG を、GGリー環 g\mathfrak g という。その元は、 ee を通る 1パラメータ部分群 γ\gamma初速度 γ(0)\gamma'(0)——「単位元における無限小の対称性」。 dimg=dimG\dim\mathfrak g=\dim G

リー環 g\mathfrak g は接空間なので、まずベクトル空間(足し算とスカラー倍ができる)。曲がった群が、 一点で平らなベクトル空間に化けた。これが「線形化」です。ただし後の章で見るように、g\mathfrak g には ベクトル空間以上の構造(リー括弧、第4章)が入り、それが群の非可換性を記憶します。

行列群のリー環——具体的に計算する

古典群(第2章)のリー環は、行列の言葉で明示的に書けます。「単位元 II を通る道 A(t)=I+tX+A(t)=I+tX+\cdots が 群の条件をみたすには、XX に何を課せばよいか」を、条件を微分して求めます。

定理 古典群のリー環

行列群のリー環は「A(0)=I, A(0)=XA(0)=I,\ A'(0)=X なる群内の道が存在する XX」の全体。条件を t=0t=0 で微分して:

  • gln={\mathfrak{gl}_n=\{ 全行列 }\}GLn\mathrm{GL}_n には条件なし)。
  • sln={X:trX=0}\mathfrak{sl}_n=\{X:\operatorname{tr}X=0\}detA=1\det A=1 を微分すると trX=0\operatorname{tr}X=0)。
  • so(n)={X:X=X}\mathfrak{so}(n)=\{X:X^\top=-X\}反対称行列AA=IA^\top A=I を微分すると X+X=0X^\top+X=0)。
  • u(n)={X:X=X}\mathfrak{u}(n)=\{X:X^*=-X\}反エルミート行列)、su(n)={X=X, trX=0}\mathfrak{su}(n)=\{X^*=-X,\ \operatorname{tr}X=0\}

証明

so(n)\mathfrak{so}(n) を例に。A(t)SO(n)A(t)\in\mathrm{SO}(n)A(t)A(t)=IA(t)^\top A(t)=I。両辺を tt で微分し t=0t=0A(0)=I, A(0)=XA(0)=I,\ A'(0)=X)を 代入:XI+IX=0X^\top I+I X=0、すなわち X=XX^\top=-X。逆に反対称 XX から exp(tX)\exp(tX)(第5章)が SO(n)\mathrm{SO}(n) の道を 与える。∎

美しい対応です。群の「積で書いた条件」を微分すると、環の「和で書いた線形条件」になるdet=1\det=1(積の 条件)が tr=0\operatorname{tr}=0(線形条件)に、AA=IA^\top A=IX=XX^\top=-X に。非線形な群の方程式が、線形な ベクトル空間の方程式に化ける——これこそ線形化の御利益。so(3)\mathfrak{so}(3) は反対称 3×33\times3 行列で 33 次元、 確かに dimSO(3)=3\dim\mathrm{SO}(3)=3 と一致します。

so(2) と so(3) のリー環

  • so(2)\mathfrak{so}(2):反対称 2×22\times2 行列 (0aa0)=a(0110)\begin{pmatrix}0&-a\\a&0\end{pmatrix}=a\begin{pmatrix}0&-1\\1&0\end{pmatrix}11 次元。基底 X=(0110)X=\begin{pmatrix}0&-1\\1&0\end{pmatrix} が「無限小回転」。
  • so(3)\mathfrak{so}(3):反対称 3×33\times3 行列、33 次元。基底は x,y,zx,y,z 各軸まわりの無限小回転 Lx,Ly,LzL_x,L_y,L_z ——物理の角運動量演算子そのもの。

つまずきポイント

注意 よくある誤解

  • リー環は「環」だが加法の意味の環ではない。 接空間としてまずベクトル空間。名前の「環」は後で入るリー括弧 (第4章)から。掛け算は通常の積でなく交換子。
  • 1パラメータ部分群は準同型。 γ(s+t)=γ(s)γ(t)\gamma(s+t)=\gamma(s)\gamma(t) が命。ただのなめらかな曲線ではなく、時間の和が 群の積に対応する道。
  • 群の積条件 → 環の線形条件。 det=1tr=0\det=1\to\operatorname{tr}=0AA=IX=XA^\top A=I\to X^\top=-X。微分が非線形を線形に 落とす。この翻訳が線形化の核。
  • dimg=dimG\dim\mathfrak g=\dim G リー環はリー群の次元と同じ。so(3)\mathfrak{so}(3)33 次元=SO(3)\mathrm{SO}(3) の自由度。

この章のまとめ

  • リー環 g=TeG\mathfrak g=T_eG=リー群の単位元での接空間。均質性より単位元近傍が群全体を代表し、そこを微分して平らなベクトル空間を得る(線形化)。
  • 元は1パラメータ部分群 γ\gammaγ(s+t)=γ(s)γ(t)\gamma(s+t)=\gamma(s)\gamma(t))の初速度 γ(0)\gamma'(0)=無限小の対称性。
  • 行列群では明示的:sln\mathfrak{sl}_n=トレース 00so(n)\mathfrak{so}(n)反対称行列u(n)\mathfrak{u}(n)=反エルミート。群の積条件を微分すると環の線形条件になる。so(3)\mathfrak{so}(3)=角運動量。
  • ベクトル空間だけでは群の非可換性を記憶できない。次章では、その非可換性を捉える構造——リー括弧 [X,Y][X,Y] を導入します。

次章では、リー環に入る積=リー括弧(交換子)を導入し、それが群の無限小の非可換性を測ることを、3次元回転で体感します。