数学の作り方 How to make Mathematics

第1章 なぜ積分を作り直すのか

リーマン積分は、意外ともろい

微積分の第7章で作った積分——区間を細かく刻んで短冊の面積を足す、あのリーマン積分——は、 多項式でも三角関数でも、たいていの関数をきちんと積分してくれます。日常の計算では、これで何も困りません。

ところが、少し意地悪な関数を持ち出すと、途端にほころびます。有名なのが次のディリクレ関数です。

D(x)={1(x が有理数)0(x が無理数)D(x)=\begin{cases}1 & (x \text{ が有理数})\\ 0 & (x \text{ が無理数})\end{cases}

これを [0,1][0,1] でリーマン積分しようとすると、どんなに細かく刻んでも、各小区間には有理数も無理数も必ずいます。 だから小区間での「いちばん高い値」を採れば 11、「いちばん低い値」を採れば 00。上からの見積り(上積分)は 11、 下からの見積り(下積分)は 00 で、いつまでたっても一致しません。リーマンの意味では積分不可能です。

「そんな病的な関数、実用で出てこないでしょ」と思うかもしれません。でも本当に困るのは、もっと切実な場面です。

本当の弱点:極限と積分が交換できない

現代の解析は、関数を一個ずつ相手にするのではなく、関数の列 f1,f2,f3,f_1, f_2, f_3,\dots の極限を扱います。 近似列を作り、その極限として目的の関数を得る——これが常套手段です。このとき喉から手が出るほど欲しいのが、

limnfn  =  limnfn\lim_{n\to\infty}\int f_n \;=\; \int \lim_{n\to\infty} f_n

という極限と積分の交換です。「近似を積分した極限」=「極限を積分したもの」であってほしい。 ところがリーマン積分では、これが一様収束という強い条件を課さないと保証されません。各点で fn(x)f(x)f_n(x)\to f(x) となるだけでは全く足りない。おまけに、fnf_n が全部リーマン積分できても、極限 ff が リーマン積分可能とは限らない(有理数を数え上げて D(x)D(x) を作れる)。土台が崩れるのです。

リーマン積分の二大弱点:(1) 不連続がひどい関数を積分できない。(2) 極限と積分の交換に強い条件が要る。 どちらも「関数列の極限」を扱う現代解析にとって致命的。

原因は「刻む向き」にあった

ルベーグは、原因を積分の作り方そのものに見ました。リーマンは定義域(横軸)を縦に刻む。 だから、関数が横方向に激しく暴れると、各短冊の中で値がバラバラになり、高さが決まらない。

発想を変えましょう。値域(縦軸)を横に刻むのです。「値がだいたい cc になる xx は、全部でどれくらいの 『大きさ』を占めるか」を測り、c×(その大きさ)c \times(\text{その大きさ}) を足し上げる。ディリクレ関数なら話は一瞬で終わります。 値が 11 になる xx は有理数だけ——これは [0,1][0,1] の中で「大きさ 00」(後の章で厳密にします。可算個の点は測度 00)。 値が 00 になる xx は無理数で「大きさ 11」。だから積分は 10+01=01\cdot 0 + 0\cdot 1 = 0。すっきり値が決まります。

たとえるなら、床にばらまいた大量の小銭を数えるのに、リーマンは「左から順に一枚ずつ拾って足す」ルベーグは「まず同じ額のコインごとに山分けし、各山の枚数を数えて額×枚数を足す」。 コインの並び方(xx の順序)がどんなにぐちゃぐちゃでも、額(値)で仕分ければ勘定は乱れません。

上で二つの刻み方を見比べてください。「縦に刻む」では短冊が段差だらけですが、「横に刻む」に切り替えると、 値の帯ごとにその原像 {x:f(x)}\{x : f(x)\in \text{帯}\}(x 軸上の赤線)を測って足しているのが見えます。 この原像は、非単調な関数だと複数の区間の寄せ集めになります——でも「大きさ(測度)さえ測れれば」構いません。

だから、まず「集合の大きさ」を作る

ここで問題が反転します。ルベーグ積分をやるには、「集合の大きさ」=測度を先に手に入れねばなりません。 {x:f(x)}\{x : f(x)\in \text{帯}\} のような、区間とは限らない複雑な集合の「長さ」を測る仕組みが要る。 これが測度論の主役です。順番はこうなります。

注意 この分野の進み方

  1. 集合を測る(第2〜4章):どんな集合に「大きさ」を割り当てられるか。σ-加法族・外測度・ルベーグ測度。
  2. 関数を積分する(第5〜8章):測度を土台に、値域を刻んで積分を定義。そして極限と積分の交換(収束定理)。
  3. 積分を使いこなす(第9〜12章):多重積分(フビニ)、関数空間 LpL^p、測度の微分(ラドン–ニコディム)。

素朴には「長さ」なんて自明に思えます。ところが第4章で、選択公理を使うと“長さを測れない集合”が作れてしまう という衝撃の事実(ヴィタリ)に出会います。だからこそ「測れる集合とは何か」を慎重に定義する必要があるのです。

つまずきポイント

注意 よくある誤解

  • 「ルベーグ積分はリーマン積分と別物で、値が変わる」わけではない。 リーマン積分できる関数(有界で不連続点が少ない)は、 ルベーグ積分しても同じ値になる(第6章)。ルベーグは「積分できる関数の範囲を広げ、極限の扱いを丈夫にした」拡張版。
  • 「横に刻む」=ただ軸を入れ替えるだけ、ではない。 肝は「値の帯の原像の大きさを測る」点。この原像が複雑でも 測度さえあれば足せる——そこが新しい。だから測度の構成が先に要る。
  • ディリクレ関数が積分 00 なのは、有理数が「少ない」から。 可算個の点は測度 00。これは第2章以降で厳密にする。

この章のまとめ

  • リーマン積分は定義域を縦に刻むため、値が激しく暴れる関数(ディリクレ関数)に弱く、極限と積分の交換に一様収束という強条件が要る。
  • ルベーグは値域を横に刻む:値の帯ごとに、その**原像の大きさ(測度)**を測って「値×大きさ」を足す。並び順に乱されない。
  • そのためには先に「集合の大きさ=測度」を厳密に作る必要がある。次章はその第一歩——どんな集合の集まりなら大きさを測れるか(σ-加法族と測度)から始めます。

次章では、「測れる集合の集まり」が満たすべき条件を洗い出し、σ-加法族と測度の公理を立てます。