第12章 測度の微分 — ラドン–ニコディムとルベーグ分解
「密度」を測度論の言葉にする
物理で「質量=密度×体積」と書くとき、密度 は「体積という測度に対する、質量という測度の“比”」です。 確率で「確率=確率密度関数の積分」と書くのも同じ構図。どちらも、一つの測度をもう一つの測度と密度関数で
と表しています。ここで根本的な問いが立ちます——どんなときに、測度 をこの形( に対する密度 )で 書けるのか。書けるための条件は何か。密度 は一意か。これに完全な答えを与えるのがラドン–ニコディムの 定理で、測度論における「微分」————を確立します。この分野の総仕上げです。
問い:測度 を「密度 × 測度 」で書けるのはいつか。答えがラドン–ニコディムの定理、 が測度の微分。
二つの測度の関係:絶対連続と特異
密度で書けるかどうかを判定する語彙を用意します。二つの極端な関係——「べったり従う」と「まったく別の場所に 乗る」——を定義します。
定義 絶対連続・特異
同じ可測空間上の測度 について、
- が に絶対連続()とは、。 「 が無視する集合を も無視する」。
- が互いに特異()とは、ある可測集合 で かつ 。 「二つの測度が、互いに交わらない場所に乗っている」。
密度で書けた を見れば、 なら積分も で 。つまり 密度で書けるなら必ず絶対連続。ラドン–ニコディムは、この逆——絶対連続なら密度が存在する——を主張します。
例 三つの手触り
- 絶対連続: は ルベーグ測度に絶対連続(密度 )。
- 特異:ディラック測度 (点 に質量 1)はルベーグ測度と特異。 が 。 点質量は「長さ の場所」に全部乗っている。
- どちらでもない混合:。連続な広がりと点質量の和。これを分けるのが ルベーグ分解(後述)。
ラドン–ニコディムの定理
定理 ラドン–ニコディムの定理
をσ-有限測度とし、(絶対連続)とする。すると非負可測関数 が存在して
は -a.e. で一意。この をラドン–ニコディム微分 と書く。
存在証明の道筋は何通りかありますが、ヒルベルト空間 の力を借りるフォン・ノイマンの証明が鮮やかです。 前章で作った の完備性(リース–フィッシャー)と直交射影が、ここで実を結びます。
証明
有限測度の場合を述べる(σ-有限へは分割して貼り合わせる)。 とおく。 汎関数 は 上で有界線形(コーシー–シュワルツで )。 リースの表現定理(ヒルベルト空間の有界線形汎関数は内積で書ける)より、ある で が全 で成り立つ。整理すると 。ここから が -a.e.( を使う)と分かり、 とおくと、 型の代入と単調収束定理で を得る。
一意性: が全 で成り立てば、 上で積分を比べて 、対称に逆も。ゆえに -a.e.。∎
証明の心臓は「 上の有界線形汎関数を内積で表す(リースの表現定理)」——これは** が完備な内積空間 (ヒルベルト空間)だからこそ使える**道具です。前章の完備性がなければこの証明は立ちません。測度論の各章が 最後に一本へ収束していく様子が見えます。
注意 微分らしさ:連鎖律
は記号だけでなく本当に「微分」らしくふるまう。 なら連鎖律 (a.e.)が成り立ち、 なら 。ライプニッツ記法がそのまま計算できるのは偶然ではない。
ルベーグの分解定理
絶対連続でない測度も、絶対連続な部分と特異な部分にきれいに分解できます。混合(例の 密度)を、 成分に還元する定理です。
定理 ルベーグの分解定理
σ-有限測度 に対し、 は
と一意に分解できる。(絶対連続部分)はラドン–ニコディムより密度 をもつ。
証明は上のフォン・ノイマン流の続きで、 となる集合( が消える所)に を、 の所に を 振り分けるだけで出ます。ラドン–ニコディムとルベーグ分解は一つの証明の表裏です。
注意 1次元での姿:分布関数の分解
上では、単調増加関数(分布関数) が測度を定める。ルベーグ分解は を「絶対連続部分(密度= の積分、微積分の基本定理)+跳び(点質量=離散部分)+特異連続部分(カントール関数のように連続だが a.e.)」に分ける話に対応する。カントール関数(悪魔の階段)が、この“特異連続”という第三の住人の実例。
微積分の基本定理の一般化
ラドン–ニコディムは、微積分の基本定理を測度論へ拡張する枠組みでもあります。 上で ()なら、ルベーグの微分定理により
が成り立ち、密度 が「積分してから微分すると戻ってくる」——まさに 。逆に「微分してから 積分すると戻る」 が成り立つのは、 が絶対連続なとき。カントール関数はこれが 破れる( a.e. なのに は から まで増える)——絶対連続性が基本定理の“本当の”前提だったのです。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- 絶対連続 の向きに注意。 「 が消せば も消える」。 が に従う方向。逆ではない。
- 密度が存在する ⇔ 絶対連続。 特異な部分(点質量・カントール型)は密度で書けない。だからまず絶対連続性の 確認が要る。ディラック測度に密度はない。
- ラドン–ニコディム微分は a.e. でしか定まらない。 一点での値には意味がない( の元だから)。 という言い方は本来ナンセンス。
- 「特異連続」という第三の住人を忘れない。 分解は「絶対連続+離散」だけではない。カントール関数のように、連続 なのに特異、という測度が存在する。σ-有限は定理の前提として効いている。
この章のまとめ
- 測度の関係を絶対連続(: の零集合を も無視)と特異(:別の場所に乗る)で捉える。
- ラドン–ニコディムの定理:σ-有限で なら密度 が a.e. 一意に存在。証明は** のヒルベルト空間性(リースの表現定理)**が心臓——前章の完備性が実を結ぶ。
- ルベーグの分解定理:任意の測度は「絶対連続部分+特異部分」に一意分解。1次元では分布関数の「密度+跳び+特異連続(カントール関数)」に対応。
- これは微積分の基本定理の一般化でもあり、基本定理の真の前提が「絶対連続性」だったことを明かす。
- これで測度論・ルベーグ積分は完結。ここで作った ・ヒルベルト空間・収束定理・積測度は、関数解析・フーリエ解析・確率論・偏微分方程式の共通の土台になります。
お疲れさまでした。「集合を測る」から始めて、丈夫な積分・関数空間・測度の微分まで一本の道でつながりました。次は、この土台の上に立つ関数解析や確率論へ進むのがおすすめです。