第1章 無限次元へ — ノルム空間
関数を「点」だと思ってみる
線形代数は、ベクトルと行列の理論でした。ベクトルは矢印、あるいは数の並び 。では、関数 を「無限に長い数の並び」——各点 での値 を全部束ねたもの——だと 思ったらどうでしょう。関数一つが、無限次元空間の**一つの点(ベクトル)**になります。
この視点の変更が、驚くほど強力です。「微分する」「積分する」「方程式を解く」——こうした操作が、すべて 線形作用素(無限次元の行列のようなもの)として捉え直せる。微分方程式や量子力学の問題が、突然 「線形代数の問題」に見えてくる。これが関数解析の出発点です。
関数を無限次元空間の点とみなす。すると解析の操作が線形代数になる。ただし無限次元では新しい注意が要る。
まず「長さ」を測る——ノルム空間
線形代数でベクトルに長さ(ノルム)を入れたように、関数(=点)にも長さを入れます。測度論で ノルムを作りましたが、ここではもっと一般に「ノルムの公理」から始めます。
定義 ノルム空間
ノルムがあれば「点と点の距離」が測れ、「点列が収束する」「関数を近似する」を厳密に語れます。これが関数解析の 舞台です。代表的な例を、有限次元→無限次元の順に並べます。
例 ノルム空間の例(易→難)
- :。おなじみの有限次元。
- 数列空間 : なる無限数列。無限次元。
- 連続関数 :(一様ノルム)。関数が点。
- :(測度論)。 同一視のもとで。
無限次元で、常識が崩れる
さて、ここが関数解析の面白さであり難しさです。有限次元 で当たり前だったことが、無限次元では 成り立たなくなる。まずはその衝撃を味わいましょう。いちばん重要なのはコンパクト性です。
有限次元では「ハイネ–ボレルの定理」(集合と位相)があり、有界閉集合=コンパクトでした。 とくに閉じた単位球 はコンパクトで、どんな有界点列も収束部分列をもった。これが解の存在証明を 支えていました。ところが——
定理 リースの補題と単位球の非コンパクト性
ノルム空間 の閉単位球 がコンパクト は有限次元。 無限次元では単位球はコンパクトでない。
証明
無限次元での非コンパクト性を、正規直交系で見る。ヒルベルト空間 で、 (第 成分だけ )を考える。各 で単位球に乗るが、 で
どの二項も距離 離れているので、 は収束部分列をもてない(コーシー列になりようがない)。 ゆえに単位球はコンパクトでない。∎(一般のノルム空間ではリースの補題で「ほぼ直交」な単位ベクトル列を作る。)
この事実の重みを噛みしめてください。有限次元では「有界な列から収束する部分列を取る」という一手が、存在証明の 黄金パターンでした。無限次元ではそれが使えない。 たちは単位球の中でいつまでも ずつ離れて さまよい、どこにも落ち着かない。「有界だから収束部分列がある」という安心が消えるのです。
注意 だから関数解析は“完備性”と“弱位相”を主役にする
コンパクト性が失われた穴を、関数解析は二つの方法で埋める。一つは完備性(次章のバナッハ空間:コーシー列は 必ず収束する)——「収束先が空間内にある」保証。もう一つは弱位相(第8章:収束の意味を弱めて、有界列から “弱く”収束する部分列を取り戻す)。無限次元の解析は、失われたコンパクト性をどう補うかの物語でもある。
ノルムの同値——有限次元だけの特権
もう一つ、有限次元と無限次元で決定的に違う点。有限次元ではノルムの選び方は本質的に一つでした。
定理 有限次元のノルムはすべて同値
有限次元ベクトル空間では、任意の二つのノルム は同値 (ある定数 で )。ゆえに収束・連続・開集合の概念はノルムによらない。
無限次元ではこれが崩れます。 上で一様ノルム と ノルム は同値でなく、 で収束しても で収束しない列が作れる(逆も)。どのノルムを選ぶかが本質的に効く。 関数空間を扱うとき「どの距離で近いと言っているのか」を常に意識せねばならない理由がこれです。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- 有界+閉 ≠ コンパクト(無限次元)。 ハイネ–ボレルは有限次元だけの特権。無限次元の単位球はコンパクトでない ( が反例)。存在証明の定番が使えなくなる。
- ノルムの選択は本質的(無限次元)。 有限次元では全ノルムが同値だが、関数空間では違う。「収束」がどのノルムの 話かを明示する。
- ノルム空間=距離空間+線形構造。 距離 が平行移動と拡大に整合する特別な距離。だから 幾何(直線・凸性)が効く。
- の点は a.e. 同値類。 測度論同様、一点での値は無意味。関数解析でも同じ約束。
この章のまとめ
- 関数を無限次元空間の点とみなすと、解析の操作が線形代数になる。舞台はノルム空間(長さ 、距離 )。例は 。
- 無限次元では有限次元の常識が崩れる:閉単位球はコンパクトでない( は ずつ離れ収束部分列なし)。存在証明の定番(有界列→収束部分列)が使えない。
- ノルムの同値も有限次元だけ。無限次元ではどのノルムかが本質的。
- 失われたコンパクト性を補うのが完備性(次章)と弱位相(第8章)。
- 次章では、コーシー列が必ず収束する良い空間——バナッハ空間——を導入し、そこで級数や逆作用素を扱えるようにします。
次章では、完備なノルム空間(バナッハ空間)を定義し、絶対収束級数やノイマン級数が使えることを見ます。