第7章 条件付き期待値
ここまでは「一発勝負」の確率でした。ここからは時間とともに情報が増えていく世界へ入ります。
サイコロを振っていく途中、「これまでの目を知ったうえで、次の平均はいくつか」を問いたい。その主役が
条件付き期待値。素朴には高校でも習いますが、連続の世界で通用させるには、
測度論的な再定義が必要です。そしてこの再定義が、マルチンゲール(次章)の言葉そのものになります。
素朴な条件付き確率と、その限界
事象 B(P(B)>0)が起きたと分かったときの A の確率は
P(A∣B)=P(B)P(A∩B).
「B の世界に舞台を絞り、その中での A の割合」。条件付き期待値も同様に E[X∣B] が定まります。
ところが、条件が連続変数だと破綻します。「Y=y が与えられたときの X の平均 E[X∣Y=y]」を
考えたいのに、連続型では P(Y=y)=0。0 で割るので上の定義が使えない。第1章の「一点の確率 0」問題が
また顔を出すのです。密度を使えば形式的に書けますが、密度が無い場合や、より抽象的な「情報」で条件づけたいときには
足りません。条件付き期待値を、確率 0 の割り算に頼らずに定義し直す必要があります。
発想の転換:σ-加法族 = 「持っている情報」
鍵は視点を変えることです。「Y の値を知っている」とは、具体的にはどんな事象の真偽を判定できるかという
情報量のこと。「Y∈[a,b] は起きたか?」に答えられる事象全体——これは一つの σ-加法族 G=σ(Y) を
なします。第1章で σ-加法族を「測れる事象の家族」と呼びましたが、ここでは新しい顔で読み替えます:
σ-加法族 = 手元にある情報の量。 大きい G ほど「見分けられる事象」が多い=情報が豊富。
すると「Y を知ったうえでの X の平均」は「情報 G=σ(Y) のもとでの X の平均」と一般化できます。
求めたいのは、もはや一つの数ではなく、G の情報だけで決まる確率変数——G を通して見える範囲で
X を一番よく言い当てる予測です。これを二つの性質で特徴づけます。
定義 条件付き期待値(一般定義)
E[∣X∣]<∞ とし、G⊂F を部分 σ-加法族とする。条件付き期待値
E[X∣G] とは、次の二条件を満たす確率変数 Z のこと(Z=E[X∣G] と書く):
- Z は G-可測(= G の情報だけで値が決まる)。
- 平均の一致:任意の G∈G に対し ∫GZdP=∫GXdP。
条件1は「予測は手元の情報だけで作れ」、条件2は「どんな G-事象の上でならしても、本物 X と平均が合う」=
不偏。この二つを満たす Z は、確率 1 の違いを除いて一意に存在します。存在の保証は、次の定理そのものです。
存在の正体:ラドン–ニコディム微分=L²射影
なぜ Z が存在するのか。二つの見方があり、どちらも既習の大定理に直結します。
測度論の見方(ラドン–ニコディム)。 集合関数 ν(G)=∫GXdP(G∈G)を作ると、これは
G 上の(符号つき)測度で、P に関して絶対連続です。ラドン–ニコディムの定理より、
G-可測な密度 Z=dPdν が存在する。これがまさに条件2を満たす Z。
条件付き期待値とは、X を G 上へ落とした測度のラドン–ニコディム微分なのです。
関数解析の見方(射影)。 X∈L2 なら、G-可測な二乗可積分関数の全体は L2 の閉部分空間 L2(G)。
関数解析の射影定理より、X からこの部分空間への直交射影が一意に存在します。それが
E[X∣G]。つまり条件付き期待値は「持っている情報で作れる予測のうち、X に L2 距離で一番近いもの」=
最良予測。誤差 X−E[X∣G] が情報 G と直交する、という第3章の内積の幾何がそのまま生きます。
条件付き期待値 = 「手元の情報 G で X を最良近似した予測」。ラドン–ニコディム微分であり、L2 射影。
使いこなす:性質とタワー則
定義から、次が確率 1 で成り立ちます(証明はどれも定義の二条件を確かめるだけ)。
命題 条件付き期待値の性質
- 線形性:E[aX+bY∣G]=aE[X∣G]+bE[Y∣G]。
- 既知量は外へ:Y が G-可測なら E[YX∣G]=YE[X∣G](Y は「もう分かって」いるので定数扱い)。
- 独立なら消える:X が G と独立なら E[X∣G]=E[X](情報が無関係なら普通の平均)。
- タワー則(積の入れ子):H⊂G なら
E[E[X∣G] H]=E[X∣H]。
特に H={∅,Ω}(情報ゼロ)で E[E[X∣G]]=E[X]。
主役はタワー則です。心は「粗い情報での平均は、細かい情報で平均してからもう一度粗く平均しても同じ」。
段階的に情報を明かしていくとき、途中でならしても最後にならしても答えは変わらない——これが次章のマルチンゲール
(「今の最良予測」が時間で繋がる列)の背骨になります。特に最後の系「条件付き期待値をもう一度平均すると元の平均」は、
複雑な期待値を条件で場合分けして計算する万能テクニック(全期待値の公式)として、実戦で最も使う道具です。
具体例で握っておきましょう。Y が離散で {Y=y} が正の確率をもつなら、一般定義は素朴な定義に一致し、
E[X∣σ(Y)] は {Y=y} 上で値 E[X∣Y=y]=∑xxP(X=x∣Y=y) をとる階段状の確率変数。
連続で密度 fX,Y があれば {Y=y} 上で ∫xfY(y)fX,Y(x,y)dx。抽象定義は、これらを
確率 0 の割り算を避けて一括した「情報による最良予測」だと分かります。
注意 つまずきポイント
- E[X∣G] は数ではなく確率変数。 条件 Y=y の y を動かすと値が変わる、G-可測な関数。
E[X∣Y=y](数)と E[X∣σ(Y)](関数)を混同しない。
- 「G が大きい=情報が多い」。 情報が最大(G=F)なら予測は X そのもの、
情報ゼロなら普通の平均 E[X]。条件付き期待値はこの両極の間を補間する。
- 確率 1 を除いて一意。 個々の ω での値は本質でなく、G-事象上の積分(平均)だけが決める。
この章のまとめ
- 連続の条件づけは「確率 0 の割り算」で破綻する。そこで σ-加法族=情報量と読み替え、条件付き期待値を
「G-可測」かつ「G-事象上で X と平均一致」で定義する。
- 存在はラドン–ニコディム微分(測度論)=L2 直交射影(関数解析)=情報 G による X の最良予測。
- タワー則 E[E[X∣G]∣H]=E[X∣H](H⊂G)が要。
「途中でならしても同じ」——マルチンゲールと全期待値の公式の背骨。
次章では、時間とともに情報 Fn が増えていく列を舞台に、「今の最良予測が未来にわたって公平」な過程——
マルチンゲールを定義し、その驚くべき停止定理と収束定理を見ます。