第4章 完備性
「近づいているのに、行き先が無い」を避けたい
微積分第2章で、有理数には穴があると見ました。 は 一点に寄っていくのに、その行き先 は有理数の外。近づいているのに、近づく先が世界に無い。 これでは「極限をとる」という操作が安全に使えません。
距離空間でも同じ心配があります。点列が「互いに密集していく」のに、収束先がその空間に 存在しないことがある。この穴が無い——密集する列は必ず行き先をもつ——という性質が完備性です。 完備性は、方程式の解の存在(次章の不動点定理)や関数空間の良さ(→関数解析)を 支える、解析の背骨になります。
完備 = 穴が無い = 「互いに近づく列(コーシー列)は必ず収束する」。極限を安心して使える土台。
コーシー列と完備性
収束の定義は「行き先 」を名指しする必要がありました。行き先を知らずに「収束しそう」と言うため、 列の内部だけを見る条件を使います。
定義 コーシー列・完備距離空間
点列 がコーシー列とは (番号を進めれば任意の2項が近い)。 すべてのコーシー列が収束する距離空間を完備という。
「収束する ⇒ コーシー」はいつでも成り立ちます(行き先に寄れば互いにも寄る、三角不等式)。 逆が問題で、それを保証するのが完備性。 は完備、 は不完備( の列が穴に落ちる)。 関数空間 は上限距離で完備で、この事実が微分方程式の解の存在などを陰で支えます。
注意 コーシーは「隣が近い」ではない
は だが発散する。コーシーは「番号 以降の任意の2項が近い」で、 隣接項だけの条件よりずっと強い。ここは第2章の数列でも触れた頻出の勘違い。
完備化:穴をすべて埋める
不完備な空間でも、足りない極限を全部付け加えて完備にできます。 に無理数を足して を作る、 あの操作の一般化です。
定理 完備化の存在と一意性
任意の距離空間 に対し、 を稠密に含む完備距離空間 (完備化)が、等長同型を除いて 一意に存在する。作り方は「 のコーシー列たちを、収束先が同じものは同一視して、新しい点とみなす」。
発想が巧妙です。足りない極限そのものを、それに収束するコーシー列で“代理”する。 という点が無いなら、「 に寄っていく有理数の列」を の正体とみなしてしまう。 実数の一つの構成法(コーシー列による構成)がまさにこれで、完備化は「理想の点を列で定義する」 普遍的な手続きです。同じ精神は 空間の構成(→測度論)などでも使われます。
ベールのカテゴリー定理
完備空間には、見た目より深い「豊かさ」があります。それを述べるのが、解析の3大定理 (→関数解析)の源になるベールの定理です。まず言葉を用意します。
定義 疎・痩せた集合
閉包が内部をもたない集合(=どこでも“隙間だらけ”)を疎(そ)という。 疎な集合の可算和で書けるものを第一類(痩せた集合)という。
定理 ベールのカテゴリー定理
完備距離空間は、可算個の疎な集合の和では覆えない(=それ自身は痩せていない)。 同値:完備空間で、稠密な開集合を可算個交わらせても、なお稠密。
直感は「完備な空間は“太っていて”、痩せた集合をいくら可算個かき集めても埋め尽くせない」。 一見地味ですが、破壊力は絶大です。
例 ベールの威力
「 は可算個の点で覆えない」(各点は疎)から の非可算性が再証明できる。さらに 「いたるところ微分不可能な連続関数が“ほとんど”を占める」「関数解析の一様有界性原理・ 開写像定理・閉グラフ定理」——これらはすべてベールの定理が心臓部。完備性という“穴の無さ”が、 存在証明の強力なエンジンになる。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- 完備性は距離に依存する。 同じ集合でも距離を変えれば完備/不完備が変わる( は通常距離で不完備だが、適当な距離で完備にできる)。位相だけの性質ではない。
- 有界閉ならコンパクト、は一般の距離空間では成り立たない(次章)。完備+全有界がコンパクトの正体。完備とコンパクトを混同しない。
- ベールの定理は完備性が条件。不完備な空間()では成り立たない( は可算個の点=疎集合の和)。
この章のまとめ
- 完備 = コーシー列が必ず収束する = 穴が無い。 や は完備、 は不完備。極限を安全に使うための土台。
- 完備化は足りない極限をコーシー列で代理して付け加える普遍的手続き。 がその原型。
- ベールのカテゴリー定理:完備空間は痩せた集合で覆えない。関数解析の3大定理や多くの存在証明のエンジン。
次章は、有限性の抽象化ともいえる最重要概念——コンパクト性へ進みます。