第1章 ホモトピーと位相不変量
ドーナツとコーヒーカップを、どう区別するか
トポロジーの有名な冗談に「位相幾何学者はドーナツとマグカップを区別できない」があります。どちらも穴が1つ。 粘土のように連続変形すれば移り合うから、位相的には同じ、というわけです。逆に球には穴が無いので、 ドーナツとは決して移り合わない。「穴の数」こそが、伸ばしたり縮めたりしても変わらない本質なのです。
でも「穴」を目で数えるのは高次元では不可能です。そこで位相幾何学の戦略はこうです—— 空間から代数的な指紋(群や数)を取り出し、それが連続変形で変わらないようにする。すると「2つの空間が違う形」を 「その指紋が違う」で証明できる。この戦略の第一歩が、「連続変形」を厳密にするホモトピーの概念です。 この章では、ホモトピー・ホモトピー同値・可縮空間を定め、「位相不変量で形を区別する」という分野全体の 土台を据えます。集合と位相で作った連続写像の言葉が、ここで幾何を動かし始めます。
連続変形(ホモトピー)で移り合う空間は「同じ」。変形で変わらない位相不変量(群・数)で形を区別する。
写像のホモトピー
まず「2つの連続写像が連続に移り合う」を定義します。時間パラメータ で一方から他方へ変形します。
定義 ホモトピー
連続写像 がホモトピック()とは、連続写像 で を満たすものが存在すること。 を から へのホモトピーという。
は、 が から へ動くにつれ が へ連続に変形していく途中の写像。ホモトピックは 写像の間の同値関係です(反射・対称・推移)。これを使って、空間どうしの「同じ形」を定めます。
ホモトピー同値
同相(集合と位相第8章:連続な全単射で逆も連続)より緩い、しかしトポロジーで最も本質的な 「同じ」がホモトピー同値です。
定義 ホモトピー同値
空間 がホモトピー同値()とは、連続写像 、 で となるものが存在すること。 をホモトピー同値写像という。
同相なら「往復してぴったり元に戻る」ですが、ホモトピー同値は「往復して連続変形で元に戻ればよい」。だから 同相より緩く、次元の違う空間でも同値になれます(例:中身の詰まった円板と一点)。トポロジーの不変量(基本群・ ホモロジー)の多くは、同相よりさらに緩いホモトピー同値で不変——だからホモトピー同値が主役になります。
変位レトラクトと可縮空間
ホモトピー同値の最も分かりやすい例が、「大きい空間を、その中の小さい部分へ連続に縮める」変位レトラクトです。
定義 変位レトラクト・可縮空間
が の変位レトラクトとは、恒等写像 が、 を各点固定したまま「 を へ 押し込む写像」へホモトピックなこと( が へ連続に縮む)。このとき 。 一点にホモトピー同値な空間(一点へ縮む空間)を可縮という。
例 変位レトラクト・可縮の例
- 円環(アニュラス)は中心円へ変位レトラクト:(半径を へ縮める)。ゆえ円環 。
- 穴あき平面 は へ変位レトラクト(原点からの半径を へ)。。
- 円板 ・ は可縮(一点へ縮む、)。
- アルファベット:(両方 字型=木、可縮)だが、(穴1つ)、。
「円環とドーナツ面の側面は と同じ(穴1つ)」「円板や空間全体は一点と同じ(穴なし)」——ホモトピー同値が、 本質的な形(穴の構造)だけを残して、太さや次元の違いを消し去ります。可縮空間は「トポロジー的に自明」な空間です。
位相不変量という戦略
定義 位相不変量・ホモトピー不変量
空間に対応づけられる量(群・環・数)で、同相なら(あるいはホモトピー同値なら)一致するものを 位相不変量(ホモトピー不変量)という。
戦略の核心はこうです。「2つの空間が同相(同値)だ」は写像を1本作れば示せますが、「同相でない」を示すのは 大変です(あらゆる写像の不存在を言わねばならない、集合と位相第8章)。そこでホモトピー同値なら 必ず一致する不変量を用意し、それが食い違えば「同値でない」と結論する。
この分野が作る主要な不変量は3つです:基本群 (第2章、ループの引っかかりを群で捉える)、 ホモロジー群 (第6章、各次元の穴の数)、コホモロジー環 (第10章、 さらに積構造をもつ)。いずれも「幾何の問題を代数の計算に翻訳する」道具です。次章から、その最初の一つ——基本群——を 組み立てます。
注意 0 次元の不変量:連結成分の数
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- ホモトピー同値は同相より緩い。 同相 ⇒ ホモトピー同値だが逆は偽。円板と一点はホモトピー同値だが同相でない(次元が違う)。トポロジーの不変量はホモトピー同値で不変なものが多い。
- 可縮 = 一点にホモトピー同値。 「穴が無い」トポロジー的に自明な空間(円板・)。可縮でも一点と同相ではない。
- 変位レトラクトは「押し込む」ホモトピー。 円環 → 中心円、穴あき平面 → 円周。太さ・次元を消して本質(穴)を残す。
- 不変量が一致しても同値とは限らない。 不変量が食い違えば「同値でない」と言えるが、一致しても同値の証明にはならない(片方向)。
この章のまとめ
- ホモトピー は写像 を へ連続変形する。空間のホモトピー同値 (往復が恒等写像にホモトピック)は同相より緩く、トポロジーの本質的な「同じ」。
- 変位レトラクト(円環 → 、穴あき平面 → )と可縮空間(円板・、穴なし)が基本例。ホモトピー同値は太さ・次元を消し、穴の構造だけを残す。
- 戦略は位相不変量(ホモトピー同値で不変な群・数)で形を区別すること。(連結成分)→ (基本群)→ (ホモロジー)→ (コホモロジー)と精密化する。
次章は、最初の非自明な不変量——基本群 を、空間のループから組み立てます。