第7章 ポアンカレ–ホップの定理
「球面全体に生えた毛を、つむじなく撫でつけることはできない」——多様体論で 毛玉の定理として出会ったこの事実を、いよいよ完全に証明します。しかも「なぜ球面では 必ずつむじができ、トーラス(浮き輪)ではできるのか」まで、一つの定理が説明します。ベクトル場の零点 (つむじ・湧き出し・沈み込み)の指数の総和が、多様体のオイラー標数に等しい——ポアンカレ–ホップの定理。 前章までの写像度・交叉理論が、ここで結実します。
零点の指数
ベクトル場 の零点——ベクトルが になる点=つむじや泉——の“型”を、局所的な写像度で測ります。 孤立零点 の周りに小さな球面 をとると、その上で は でないので、方向 が定まります。
定義 零点の指数
孤立零点 の指数 を、方向写像 の 写像度で定める。 を囲む小球面上で「ベクトルの向きが何回まわるか(符号付き)」。
平面()の例で握りましょう。湧き出し(放射状に外向き )は、囲む円を一周する間に矢印も ちょうど一周=指数 。沈み込み(内向き )も、矢印が逆向きにやはり一周して指数 。 渦()も 。ところが鞍点(、峠型)は、矢印が逆回りに一周して指数 。 つむじ・泉は 、峠は ——第5章の写像度が、零点の型を整数に翻訳します。前章の 「零切断との横断的交叉の符号」が、この指数と一致します。
ポアンカレ–ホップの定理
定理 ポアンカレ–ホップの定理
コンパクト向き付き多様体 上の、孤立零点のみを持つなめらかなベクトル場 に対し、零点の指数の総和は のオイラー標数に等しい:
特にこの総和は、ベクトル場 の取り方に依らない。
右辺 は を含まない、純粋に の形だけの量(位相幾何の )。左辺は に依る零点勘定。それが一致する——だから「 なら、 どんなベクトル場も必ず零点を持つ」。これが毛玉の定理の一般形です。
証明の要は二段構えです。 総和は に依らない:二つのベクトル場 を線形補間で つなぐと、前章の交叉理論(零点=接束の零切断との交叉、その符号付き総和はホモトピー不変)より、 指数総和は同じ。だから総和は の不変量。 その不変量が に等しい:うまいベクトル場を 一つ選んで両辺を計算すればよい。最良の選択が、次章以降でも主役になるモース関数の勾配ベクトル場です。
証明 (χ に等しいこと:勾配場で計算)
上のモース関数 (臨界点がすべて非退化、第8章)をとり、その勾配ベクトル場 を考える。 の零点は、ちょうど の臨界点。非退化臨界点の指数(この零点の写像度)は、 に等しい( はモース指数=ヘッセ行列の負の固有値の数:極小 で 、 鞍点 で 、極大 ()で …)。よって
ここで は指数 の臨界点の個数。第10章で見るように、この交代和は に等しい (モース理論のオイラー標数公式)。ゆえに総和 。 より一般の でも同じ。
「勾配場の零点=関数の臨界点、その指数の交代和=オイラー標数」。ポアンカレ–ホップは、次章から始まる モース理論への扉でもあるのです。指数 という符号が、モース指数 を通じて オイラー標数の交代和 を生む——この一本の糸が、Part II と Part III をつなぎます。
毛玉の定理を仕留める
定理 毛玉の定理(Hairy Ball Theorem)
偶数次元球面 上には、至る所 でない連続な接ベクトル場は存在しない(必ずつむじができる)。 奇数次元球面 には存在する。
証明
。もし至る所 でない接ベクトル場があれば零点なし、指数総和 。だが
ポアンカレ–ホップより総和 。 で矛盾。ゆえに存在しない。
奇数次元球面 では で、実際
が至る所 でない接ベクトル場を与える。
「球面()には必ずつむじ、浮き輪=トーラス()にはつむじ無しのベクトル場が張れる」。 なぜ球かトーラスかで結論が変わるのか——それは が違うから。多様体論の HairyBall の実演で「指数の総和が 」と見た事実に、ここで完全な証明が与えられました。 地球上の風(球面の接ベクトル場)には、必ずどこかに「無風の目(つむじ)」がある——台風の目の トポロジー的な必然性です。
何を成し遂げたか
ポアンカレ–ホップは、この分野の標語「微分の情報から大域的な形を読む」の完成形の一つです。左辺の ベクトル場の零点は、各点での微分( がどう に近づくか)という局所の情報。右辺のオイラー標数は 多様体の大域の位相。両者が厳密に等しい。同じ精神の定理が微分幾何のガウス–ボンネ (曲率の積分 )で、実はガウス–ボンネはポアンカレ–ホップと双子です(曲率もベクトル場の指数も、 という同じ大域量を別の局所量から復元している)。局所と大域を結ぶ——それが微分位相幾何の心臓部です。
注意 つまずきポイント
- 指数は「写像度」であって零点の個数ではない。 湧き出しも沈み込みも渦も指数 、鞍点は 。 向きの回り方(符号付き)を数える。零点が多くても指数総和は に固定される。
- 総和が不変なのが本質。 個々のベクトル場は零点の位置も個数も違うが、指数の符号付き総和は必ず 。 ベクトル場をいじって零点を減らそうとしても、指数の和は変えられない。
- が零点なしベクトル場の存在条件。 トーラス・奇数次元球面()では至る所非零のベクトル場が 存在。(偶数次元球面など)では不可能。存在・非存在が で完全に決まる。
この章のまとめ
- ベクトル場の孤立零点の指数 =方向写像 の写像度(つむじ・泉 、鞍点 )。
- ポアンカレ–ホップの定理:指数の総和 (ベクトル場に依らない、 の形だけの量)。証明は 「総和が不変(交叉理論)+勾配場で計算()」。
- 毛玉の定理: より偶数次元球面に非零ベクトル場なし。奇数次元・トーラスは で存在。 局所(零点)と大域()を結ぶ、ガウス–ボンネと双子の定理。
証明で「勾配場の零点=関数の臨界点」を使いました。この関数の臨界点そのものを主役にすると、多様体の形を 臨界点から復元できる——それがモース理論。次章から後半、 の形を「山と谷と峠」から読み解きます。