数学の作り方 How to make Mathematics

第6章 リー括弧とフロベニウスの定理

2つの流れは、順番を変えても同じ場所に着くか

22 つのベクトル場 X,YX,Y があり、それぞれの流れに沿って動けるとします。「まず XX の流れで少し、次に YY の流れで 少し」動いた先と、「まず YY、次に XX」動いた先は、同じ場所でしょうか? 平らな空間なら同じ(平行移動は可換)。 でも曲がった空間や絡み合ったベクトル場では、着く場所がずれることがあります。

このずれを測るのがリー括弧 [X,Y][X,Y]——それ自身が新しいベクトル場で、22 つの流れの「非可換性」を捉えます。 [X,Y]=0[X,Y]=0 なら流れは可換(順番を変えても同じ場所)。この括弧が、11 組のベクトル場が「面(部分多様体)を 織りなすか」を判定するフロベニウスの定理の鍵になります。制御理論(到達可能性)・リー群(リー環)・ 偏微分方程式(可積分条件)で中心的な、幾何の非可換性を測る道具です。

リー括弧 [X,Y]=XYYX[X,Y]=XY-YX22 流れの非可換性を測るベクトル場。[X,Y]=0[X,Y]=0 で流れが可換。フロベニウス:分布が可積分     \iff 括弧で閉じる。

リー括弧

ベクトル場は関数への微分作用素でした(第5章)。22 つを合成した XYXY22 階微分で作用素ですが、 差 XYYXXY-YX22 階の項が打ち消し合い、11 階の微分作用素=ベクトル場になります。

定義 リー括弧

ベクトル場 X,YX,Yリー括弧 [X,Y][X,Y] を、関数への作用 [X,Y](f)=X(Y(f))Y(X(f))[X,Y](f)=X(Y(f))-Y(X(f)) で定める。これは (22 階微分の項が消えて)11 階の微分作用素=ベクトル場。チャートでは [X,Y]k=i(XiiYkYiiXk)[X,Y]^k=\sum_i\big(X^i\partial_iY^k-Y^i\partial_iX^k\big)

リー括弧は反対称 [X,Y]=[Y,X][X,Y]=-[Y,X]、そしてヤコビ恒等式 [[X,Y],Z]+[[Y,Z],X]+[[Z,X],Y]=0[[X,Y],Z]+[[Y,Z],X]+[[Z,X],Y]=0 を満たします。 これらはリー環の公理そのもの——ベクトル場全体は無限次元のリー環をなします。 括弧の幾何的意味は、流れの非可換性です。

定理 リー括弧と流れの可換性

X,YX,Y の流れを θt,ψs\theta_t,\psi_s とすると、[X,Y]=0    [X,Y]=0\iff 流れが可換 θtψs=ψsθt\theta_t\circ\psi_s=\psi_s\circ\theta_t(すべての s,ts,t)。 一般に、[X,Y][X,Y] は「XXttYYttXX で逆に ttYY で逆に tt 動いたときの t2t^2 次のずれ」を測る。

XYX1Y1XYX^{-1}Y^{-1} の流れで元に戻らないずれ」が [X,Y][X,Y]群論の交換子 xyx1y1xyx^{-1}y^{-1}の、流れ版です。 非可換性が括弧に凝縮される。関連して、YYXX の流れで“引き戻して”微分するのがリー微分です。

定義 リー微分

ベクトル場 YYXX に沿ったリー微分 LXY=[X,Y]\mathcal L_XY=[X,Y]XX の流れで運んだ YY の、時間微分。 一般のテンソル場 TT にも LXT=ddt0(θtT)\mathcal L_XT=\dfrac{d}{dt}\big|_0(\theta_t^*T)(流れによる引き戻しの微分)で拡張される。 「XX の流れに沿って TT がどれだけ変化するか」を、接続なしで測る微分。

分布とフロベニウスの定理

各点で「接空間の一部(kk 次元の部分空間)」を指定したものが分布です。それが部分多様体の接空間になるか(可積分か)を、 リー括弧が判定します。

定義 分布・可積分・対合的

MM の各点 ppTpMT_pMkk 次元部分空間 DpD_p をなめらかに割り当てたものを分布という。DD可積分とは、各点を通る kk 次元部分多様体(積分多様体)で、その接空間が DD に一致するものがあること。 DD対合的(involutive)とは、DD に属す任意のベクトル場 X,YX,Yリー括弧 [X,Y][X,Y]DD に属すこと。

「分布 DD が可積分」=「DD の方向に張られる面(積分多様体)で、多様体が層状に葉分けされる」。それが成り立つ条件を、 フロベニウスが完全に決定しました。

定理 フロベニウスの定理

分布 DD が可積分     \iff 対合的(リー括弧で閉じる、[X,Y]D[X,Y]\in D)。

証明

\Rightarrow)積分多様体があれば、DD の場 X,YX,Y は積分多様体に接し、その括弧も積分多様体に接する(積分多様体上の ベクトル場の括弧)ので [X,Y]D[X,Y]\in D。(\Leftarrow)対合的なら、DD の局所的な基底ベクトル場を「互いに括弧が 00 になる」 座標場 /x1,,/xk\partial/\partial x^1,\dots,\partial/\partial x^k にとれる(可換な流れで座標を作る)。すると {xk+1=\{x^{k+1}= 定数,},\dots\} が積分多様体。∎

「リー括弧で閉じる(対合的)    \iff 面に貼り合わせられる(可積分)」。kk 個の方向を指定したとき、それらが本当に kk 次元の面を織りなすには、方向どうしの非可換性(括弧)がその方向の中に収まっている必要がある——括弧が 外へはみ出すと、動き回るうちに kk 次元からはみ出て面にならない。フロベニウスは、この可積分性の判定を リー括弧という計算可能な条件に翻訳します。

フロベニウスの応用

  • 偏微分方程式の可積分条件:連立11階PDE iu=fi(x,u)\partial_iu=f_i(x,u) が解 uu をもつ条件(両立性 jfi=ifj\partial_jf_i=\partial_if_j 込み)が、 対応する分布の対合性=フロベニウス条件。微分方程式の完全形 My=NxM_y=N_xの一般化。
  • 制御理論:制御ベクトル場の括弧が張る分布が全体なら、任意の状態に到達可能(チョウ–ラシェフスキー)。「ハンドルと アクセルの括弧」で車庫入れ(横移動)ができる——非可換性が新しい方向を生む。
  • 接触幾何:対合的でない(最大限に非可積分な)分布が接触構造。

つまずきポイント

注意 よくある誤解

  • リー括弧はベクトル場(22 階の項が消える)。 XYXY は作用素だがベクトル場でない。差 XYYXXY-YX11 階になる。非可換性の測度。
  • [X,Y]=0    [X,Y]=0\iff 流れが可換。 順番を変えても同じ場所。座標場 /xi\partial/\partial x^i どうしは可換([i,j]=0[\partial_i,\partial_j]=0)。
  • フロベニウス:可積分     \iff 対合的。 分布が面になる条件が、括弧で閉じること。括弧が外へはみ出すと面にならない。
  • リー微分は接続を要さない。 流れによる引き戻しの微分。共変微分(接続)とは別物。

この章のまとめ

  • リー括弧 [X,Y]=XYYX[X,Y]=XY-YX はベクトル場で、22 流れの非可換性を測る([X,Y]=0    [X,Y]=0\iff 流れが可換)。反対称+ヤコビ恒等式でリー環をなす。リー微分 LX=[X,]\mathcal L_X=[X,\cdot]
  • 分布(各点の kk 次元部分空間)が可積分(面に葉分け)    \iff 対合的(リー括弧で閉じる)——フロベニウスの定理
  • 応用:偏微分方程式の可積分条件、制御理論の到達可能性、接触・シンプレクティック幾何。非可換性が幾何を支配する。

次章は、多様体の上で「積分するもの」——テンソル場と微分形式を導入します。