数学の作り方 How to make Mathematics

第1章 偶然を測る — 確率空間

「確率」は、本当は何を数えているのか

サイコロで 33 が出る確率は 1/61/6。理由を聞かれたら「66 通りのうち 11 通りだから」と答えます。 コインなら 1/21/2、トランプで絵札を引くなら 12/5212/52。どれも**「起こりうる場合を数えて割る」**だけ。 中学以来おなじみのこのやり方で、たいていの確率は計算できます。

ところが、ほんの少し設定を変えるだけで、この足場は崩れます。たとえばこう問われたら?

区間 [0,1][0,1] から「無作為に」実数を一つ選ぶ。それが 0.30.3 ちょうどになる確率は?

「起こりうる場合」は [0,1][0,1] の中の実数すべて——非可算無限個あります。「11 通り ÷ 無限通り」は 00 にしかなりません。ではどの一点も確率 00。でも「どこかには必ず落ちる」のだから、00 を全部足すと 11 に ならないといけない。00 を無限個足して 11?——素朴な数え上げは、ここで完全に行き詰まります。

では「[0.2,0.5][0.2,\,0.5] に落ちる確率は?」なら答えられます。区間の長さ 0.30.3 です。つまり連続の確率で本当に 効いているのは「場合の数」ではなく、**その事象が占める『大きさ』**でした。長さ、面積、体積——これらを厳密に 測る理論を、私たちはすでに持っています。測度論です。

確率とは「事象という集合の大きさ」。数え上げは有限のときのご利益にすぎない。本質は測度。

舞台を三つ道具で組む:標本空間・事象・確率

偶然の実験を数学にするには、まず「何が起こりうるか」を集合として書き出します。

起こりうる結果すべての集合を標本空間 Ω\Omega と呼びます。サイコロなら Ω={1,2,3,4,5,6}\Omega=\{1,2,3,4,5,6\}、コイン 22 回なら Ω={HH,HT,TH,TT}\Omega=\{HH,HT,TH,TT\}[0,1][0,1] から一点なら Ω=[0,1]\Omega=[0,1]Ω\Omega の要素一つ一つ ω\omega が「一回の実験結果」です。

次に事象。「偶数が出る」は {2,4,6}\{2,4,6\}、「表が少なくとも 11 回」は {HH,HT,TH}\{HH,HT,TH\}。 つまり事象とは Ω\Omega の部分集合です。そして確率 PP は、各事象にその「起こりやすさ」= [0,1][0,1] の数を 割り当てる関数。「事象 → 大きさ」という対応、まさに測度と同じ形です。

ここで一つ、意外な落とし穴があります。「Ω\Omega のすべての部分集合に確率を割り当てられる」とは限らないのです。 Ω=[0,1]\Omega=[0,1] のとき、測度論の第4章で見たヴィタリ集合——長さを測れない集合——が 存在します。そんな集合に確率を与えようとすると矛盾が起きる。だから「確率を測ってよい事象」だけを、あらかじめ きちんと選んでおく必要があります。その「測ってよい事象の家族」がσ-加法族 F\mathcal{F} です。

定義 σ-加法族(事象の家族)

Ω\Omega の部分集合の集まり F\mathcal{F} が次を満たすとき、F\mathcal{F} を σ-加法族という。

  1. ΩF\Omega \in \mathcal{F}(全体は事象)
  2. AFAcFA \in \mathcal{F} \Rightarrow A^c \in \mathcal{F}(「起こらない」も事象)
  3. A1,A2,Fn=1AnFA_1,A_2,\dots \in \mathcal{F} \Rightarrow \bigcup_{n=1}^{\infty} A_n \in \mathcal{F}(可算個の「または」も事象)

条件はどれも自然です。「偶数が出る」が事象なら「偶数が出ない」も事象であってほしい(AcA^c)。 「22 が出る」「44 が出る」がそれぞれ事象なら「2244」も事象(和集合)。可算無限個の和まで許すのが ミソで、これが「[0,1][0,1] の全部の点をいっぺんに扱う」連続の議論を可能にします。有限や可算の Ω\Omega なら、 F\mathcal{F} は「全部分集合」で構いません。連続だと、区間から生成されるボレル集合族を使います。

コルモゴロフの公理:たった三つで確率論が建つ

道具がそろいました。19331933 年、コルモゴロフは確率をこう定義しました——測度論の言葉、そのままで。

定義 確率空間(コルモゴロフの公理系)

(Ω,F,P)(\Omega,\mathcal{F},P)確率空間であるとは、F\mathcal{F}Ω\Omega 上の σ-加法族で、 関数 P ⁣:F[0,1]P\colon \mathcal{F}\to[0,1] が次を満たすこと。

  1. 非負性:任意の事象 AA に対し P(A)0P(A)\ge 0
  2. 全確率P(Ω)=1P(\Omega)=1
  3. 可算加法性:互いに排反な事象 A1,A2,A_1,A_2,\dotsiji\ne jAiAj=A_i\cap A_j=\varnothing)に対し
P ⁣(n=1An)=n=1P(An).P\!\left(\bigcup_{n=1}^{\infty}A_n\right)=\sum_{n=1}^{\infty}P(A_n).

これだけ。測度論の測度の定義と見比べてください。唯一の違いは条件2「全体の大きさが 11」だけ。 つまり確率測度=全質量を 11 に正規化した測度にすぎません。測度論で証明した性質は、そっくり確率でも成り立ちます。

命題 公理から自動的に出る性質

P()=0P(\varnothing)=0P(Ac)=1P(A)P(A^c)=1-P(A)ABP(A)P(B)A\subset B \Rightarrow P(A)\le P(B)、 そして包除原理 P(AB)=P(A)+P(B)P(AB)P(A\cup B)=P(A)+P(B)-P(A\cap B)

証明

AAAcA^c は排反で和が Ω\Omega だから、可算加法性(有限版)より P(A)+P(Ac)=P(Ω)=1P(A)+P(A^c)=P(\Omega)=1。 これで P(Ac)=1P(A)P(A^c)=1-P(A)A=ΩA=\Omega とすれば P()=0P(\varnothing)=0ABA\subset B なら B=A(BA)B=A\sqcup(B\setminus A) と 排反に分かれ、P(B)=P(A)+P(BA)P(A)P(B)=P(A)+P(B\setminus A)\ge P(A)。包除は AB=A(BA)A\cup B=A\sqcup(B\setminus A)B=(AB)(BA)B=(A\cap B)\sqcup(B\setminus A) から差し引きで出る。

素朴な数え上げは、Ω\Omega が有限で「どの結果も同様に確からしい」特別な場合、 P(A)=AΩP(A)=\dfrac{|A|}{|\Omega|} として、この公理系にきちんと収まります。数え上げは一般論の一例だったわけです。

確率変数 = 可測関数、分布 = 押し出された測度

実験で本当に知りたいのは、結果そのもの ω\omega より「そこから読み取る数値」——サイコロの目、 コインの表の回数、株価——であることが多い。この「結果に応じて決まる数」を確率変数と呼びます。 名前は「変数」ですが、正体は**Ω\Omega 上の関数** X ⁣:ΩRX\colon\Omega\to\mathbb{R} です。

ただし何でもよいわけではない。「XX が区間 [a,b][a,b] に入る確率」を問える必要があるので、 逆像 {ω:X(ω)[a,b]}\{\omega : X(\omega)\in[a,b]\} が**必ず事象(F\mathcal{F} の元)**でなければなりません。この条件を満たす関数、 それが測度論でいう可測関数です。

定義 確率変数

確率空間 (Ω,F,P)(\Omega,\mathcal{F},P) 上の確率変数とは、可測関数 X ⁣:ΩRX\colon\Omega\to\mathbb{R}、すなわち 任意の aRa\in\mathbb{R} について {ω:X(ω)a}F\{\omega : X(\omega)\le a\}\in\mathcal{F} となる関数のこと。

確率変数 XX があると、R\mathbb{R} 上に新しい確率を作れます。「XX が集合 BB に落ちる確率」を

PX(B)=P({ω:X(ω)B})=P(XB)P_X(B)=P\big(\{\omega : X(\omega)\in B\}\big)=P(X\in B)

と定めるのです。これは R\mathbb{R} 上の立派な確率測度で、XX分布(法則)と呼びます。 Ω\Omega という抽象的な舞台から XX を通して R\mathbb{R} 上へ確率を「押し出した」もの——測度論の像測度そのものです。

ここが視点の転換点です。一度分布 PXP_X が手に入れば、もとの Ω\Omega が何だったかはもう忘れてよい。 「サイコロの目の分布」さえ分かれば、それがどんな物理的サイコロだったかは計算に要りません。 確率論の主役は、この先ずっと「分布」になります。次章はその分布を扱う道具立てから始めましょう。

つまずきポイント

注意 よくある誤解

  • Ω\Omega の全部分集合を事象にすればいい」ではない。 連続の Ω\Omega ではヴィタリ集合が邪魔をする。 だから σ-加法族で「測ってよい事象」を絞る。有限・可算なら全部分集合でOK、という違いを押さえる。
  • 「確率 00 = 起こらない」ではない。 [0,1][0,1] から一点を選べばどの特定の値も確率 00。でも何かは必ず起こる。 「確率 00」と「空事象(不可能)」は別物。同様に「確率 11」と「全事象(必然)」も別。
  • 確率変数は「変数」でも「確率」でもなく、関数。 ω\omega を入れると数が出る写像。ここを混同すると先で必ず迷う。

この章のまとめ

  • 連続の偶然では数え上げが破綻する。確率の本質は「事象という集合の大きさ」=測度である。
  • 舞台は確率空間 (Ω,F,P)(\Omega,\mathcal{F},P)標本空間σ-加法族(測れる事象)確率測度。 コルモゴロフの公理は「全質量 11 の測度」というだけで、測度論の全性質を継承する。
  • 確率変数=可測関数 XX。その像測度 PXP_X分布。以後は Ω\Omega を忘れ、分布を主役に据える。

次章では、分布を具体的に記述する道具(分布関数・密度)と、確率論に固有の最重要概念——独立性を導入します。