第8章 分解と基本等式
指標理論の道具箱を完成させる
前章までで、指標表と直交関係が揃いました。この章では、それらを使って表現論の基本等式を一望します——正則
表現の分解、次元の二乗和、列の直交、そして与えられた表現から既約成分を取り出す射影公式。これらは、
具体的な計算(第9章で指標表を作る)の道具箱になります。
すべては第6章の直交関係の応用です。指標を既約指標で展開する——というただ一つの発想が、表現論のあらゆる
計算を統一的に片づけます。
直交関係を使えば、正則表現の分解・次元の二乗和・射影公式がすべて出る。表現の分解を自在に計算できる。
正則表現の分解を指標で確認する
第4章で「正則表現は各既約を次元回含む」(C[G]≅⨁diVi)と述べました。指標で計算すると、
これが一瞬で確認でき、重複度公式の典型例になります。
定理 正則表現の指標と分解
正則表現 C[G] の指標は
χreg(g)={∣G∣0(g=e)(g=e)(g=e は基底を固定点なしに置換するのでトレース 0)。よって重複度は
mi=⟨χreg,χi⟩=∣G∣1⋅∣G∣⋅χi(e)=χi(e)=di.すなわち C[G]≅⨁idiVi。e での値を比べて ∣G∣=∑idi2。
正則表現の指標は「e で ∣G∣、他はすべて 0」という極端な形。だから重複度の内積 ⟨χreg,χi⟩ は
e の項だけが生き残り、χi(e)=di。各既約が次元回含まれるという第4章の事実が、指標の内積で
数行に確認できました。g=e で両辺を比べれば ∣G∣=∑di2(次元の二乗和公式)。
基本等式の一覧
指標理論の基本等式を、直交関係から導かれる系としてまとめます。これらが計算の中心公式です。
定理 指標理論の基本等式
G の既約表現を V1,…,Vr(次元 di、指標 χi)とする。
- 既約の個数:r=(共役類の数)。
- 次元の二乗和:∑i=1rdi2=∣G∣。
- 第一直交(行):⟨χi,χj⟩=δij。
- 第二直交(列):∑iχi(C)χi(C′)=δCC′∣G∣/∣C∣。
- 次元は ∣G∣ を割る:di∣∣G∣(各既約の次元は群位数の約数)。
等式 5「di∣∣G∣」は特に強力な制約です——既約表現の次元は、必ず群位数の約数。∣G∣=∑di2 と
合わせると、既約次元の候補が大きく絞られます。たとえば位数 6 なら、6=∑di2 かつ各 di∣6 かつ
1 が必ず含まれる(自明表現)ので、6=1+1+4(S3:d=1,1,2)か 6=1×6(Z/6)に限られる。
指標表を“手探りで”作れるのは、これらの制約のおかげです(第9章)。
射影公式——既約成分を取り出す
与えられた表現から、特定の既約成分だけを取り出す射影を、指標で書き下せます。分解を実際に実行する道具です。
定理 等質成分への射影
表現 V の中で、既約 Vi に対応する等質成分(Vi のコピーすべて)への G 不変な射影は
Pi=∣G∣dig∈G∑χi(g)ρ(g).Pi は V の Vi-等質成分への射影で、∑iPi=id。
証明
Pi が Vj-等質成分上で δijid に作用することを、シューアと直交関係で確認する。既約 Vj 上
∣G∣di∑gχi(g)ρj(g) はスカラー(シューア)で、そのトレースが di⟨χi,χj⟩=diδij、
dimVj=dj で割って δij。∎
∎
射影公式 Pi=∣G∣di∑gχi(g)ρ(g) は、「指標で重み付けた群平均」——マシュケの平均化
(第2章)を、特定の既約に狙いを定めて精密化したものです。これで、表現空間の中の
「どのベクトルがどの既約に属するか」を計算で分離できる。物理(分子振動・量子状態の対称性分類)では、この
射影で状態を対称性の種類ごとに分けます。
注意 表現論は「対称性で分類する」道具
基本等式と射影公式が揃うと、表現論は実用の道具になる。振動する分子の基準振動、結晶中の電子状態、量子系の
エネルギー準位——対称群 G が作用する空間を、既約成分に分解すれば、状態が対称性の“種類”ごとに分類され、
どの遷移が許されるか(選択則)まで分かる。「複雑な系を対称性の既約成分に分ける」——リー群の
SU(2) 表現がスピンを分類したのと同じ精神。有限群でも連続群でも、表現論は対称性を計算可能にする
共通言語。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- 正則表現の指標は e で ∣G∣、他で 0。 固定点なしの置換だから。だから重複度 =di、∣G∣=∑di2。
- 既約次元は ∣G∣ を割る(di∣∣G∣)。 強い制約。∑di2=∣G∣ と合わせて次元候補が絞れる。
- 射影公式は指標で重み付けた群平均。 Pi=∣G∣di∑χi(g)ρ(g)。特定の既約を取り出す。
- 基本等式はすべて直交関係の系。 指標を既約指標で展開する、という一つの発想の応用。
この章のまとめ
- 正則表現の指標は e で ∣G∣・他で 0。重複度 mi=di(各既約を次元回)、∣G∣=∑di2。
- 基本等式:既約の個数=共役類の数、∑di2=∣G∣、第一・第二直交、di∣∣G∣(次元は位数を割る)。これらが指標表構成の制約。
- 射影公式 Pi=∣G∣di∑gχi(g)ρ(g)(指標で重み付けた群平均)で、既約成分を取り出せる。物理の対称性分類の道具。
- 道具箱が完成した。次章では、これらを使って S3,S4,Q8 などの指標表を実際に手で構成します。
次章では、直交関係と基本等式を駆使して、S3⋅S4⋅Q8 の指標表を具体的に構成する手順を追います。