数学の作り方 How to make Mathematics

第11章 比較定理II — カルタン–アダマールと体積比較

負曲率は空間を単純に開く

前章のボンネ–マイヤーは「正曲率が空間を閉じ込める」でした。今度はその逆——非正曲率は空間を単純に開かせる。 断面曲率が 0\le0 の完備単連結多様体は、Rn\mathbb R^n とまったく同じ位相(微分同相)をもち、任意の二点を結ぶ 測地線がただ一つ。穴もねじれもなく、どこまでも素直に広がる空間です。

直感は再びヤコビ場(第8章)です。非正曲率では J=tJ=tJ=sinhJ=\sinh で、測地線は発散する一方・共役点を決して 作らない。測地線が二度と交わらないので、expp\exp_p が全単射になり、接空間 Rn\mathbb R^n をそのまま多様体に 広げられる。局所の曲率の符号が、大域の位相型を決定します。

カルタン–アダマール:断面曲率 0\le0 の完備単連結多様体は expp\exp_p が大域微分同相で、Rn\mathbb R^n に微分同相。二点間の測地線は一意。

カルタン–アダマールの定理

定理 カルタン–アダマールの定理

MM を完備・単連結な nn 次元リーマン多様体で、断面曲率が

K  0(すべての二平面)K\ \le\ 0\qquad(\text{すべての二平面})

をみたすとする。すると任意の ppexpp:TpMM\exp_p:T_pM\to M微分同相。したがって MMRn\mathbb R^n に微分同相で、 任意の二点はただ一つの測地線で結ばれる。

証明

非正曲率ではヤコビ場 JJJ(0)=0J(0)=0)が J(t)|J(t)| 単調増加(J=KJ0J''=-KJ\ge0第8章)—— つまり共役点がない。共役点がないことは expp\exp_p局所微分同相dexppd\exp_p がどこでも可逆)であることと 同値。さらに MM が完備なので expp\exp_p は全域定義で、被覆写像になる。MM が単連結だから被覆は自明=expp\exp_p微分同相。二点間の測地線の一意性も、二本あれば共役点や測地的二角形ができて非正曲率と矛盾することから。∎

証明の連鎖が美しい:非正曲率 → 共役点なし(ヤコビ場が単調)→ expp\exp_p が局所微分同相 → 完備で被覆写像 → 単連結で大域微分同相。第8章のヤコビ場・第9章の完備性・位相幾何の被覆理論が一本に 編まれます。曲率の符号という一つの局所条件が、空間全体を Rn\mathbb R^n に確定させる。

双曲空間と非正曲率多様体

  • 双曲空間 Hn\mathbb H^nK=1K=-1第6章):カルタン–アダマールの典型。Rn\mathbb R^n に 微分同相だが、計量は負曲率で、二点間の測地線は一意(ポアンカレ円盤で確かめられる)。
  • ユークリッド空間 Rn\mathbb R^nK=0K=0):自明な場合。
  • 応用:非正曲率の空間には「穴」がない。だから負曲率のコンパクト多様体の普遍被覆は Rn\mathbb R^n——種数 2\ge2 の 曲面(双曲計量をもつ)の普遍被覆が双曲平面 H2\mathbb H^2 なのがその例。

体積比較——ビショップ–グロモフ

比較定理のもう一つの柱が体積比較です。曲率の下界から、測地球の体積が定曲率空間の体積で上から抑えられる。 ヤコビ場が体積要素を支配する(第7章)ことの、大域版です。

定理 ビショップ–グロモフの体積比較

完備多様体でリッチ曲率が Ric(n1)k\mathrm{Ric}\ge(n-1)k をみたすなら、測地球の体積は定曲率 kk の空間の球の体積 Vk(r)V_k(r) で上から抑えられ、さらに比

volB(p,r)Vk(r)は r について単調非増加.\frac{\mathrm{vol}\,B(p,r)}{V_k(r)}\quad\text{は }r\text{ について単調非増加}.

とくにリッチ下界 k>0k>0 なら vol(M)vol(Skn)\mathrm{vol}(M)\le\mathrm{vol}(S^n_k)(球面が体積の上界)。

体積要素はヤコビ場の積で書け(第7・8章)、ヤコビ方程式の比較(Ric(n1)k\mathrm{Ric}\ge(n-1)k なら JJ は定曲率 kk の 解より速く 00 へ向かう)から、体積が定曲率空間で抑えられます。**「曲率が大きい → 測地線が寄る → 体積が 小さい」**という第7章の直感の、精密な大域定理です。ビショップ–グロモフは、グロモフのコンパクト性定理など、 現代のリーマン幾何・幾何解析の基礎になっています。

注意 比較幾何の全体像——曲率が形を挟む

比較定理の思想は「一般の空間を、定曲率の標準空間(球面・ユークリッド・双曲)と比べる」こと。

  • 曲率の下界Ric(n1)k\mathrm{Ric}\ge(n-1)k)→ 直径・体積が上から抑えられる(ボンネ–マイヤー、ビショップ– グロモフ)。「これ以上大きくなれない」。
  • 曲率の上界K0K\le0)→ 空間が下から広がる(カルタン–アダマール、測地線が一意で発散)。「これ以上 縮まらない」。 局所の曲率が、大域の大きさ・体積・位相を上下から挟み込む。リーマン幾何の大河が、ここに合流する。

つまずきポイント

注意 よくある誤解

  • カルタン–アダマールは「単連結」が必須。 非正曲率でも単連結でないと Rn\mathbb R^n でない(トーラス TnT^nK=0K=0 だが穴がある)。単連結なら普遍被覆=Rn\mathbb R^n
  • 必要なのは断面曲率 0\le0(上界)。 ボンネ–マイヤーはリッチの下界、カルタン–アダマールは断面の上界。 下界と上界で結論の向きが逆(閉じる vs 開く)。
  • 非正曲率 ⇒ 共役点なし ⇒ 測地線一意。 ヤコビ場が単調増加。二点間の最短測地線がただ一つ。
  • 体積比較の比は単調非増加。 半径を大きくすると、定曲率空間に対する体積比は減る一方。曲率下界が体積を 抑える。

この章のまとめ

  • カルタン–アダマールの定理:断面曲率 0\le0 の完備単連結多様体は expp\exp_p大域微分同相Rn\mathbb R^n に微分同相、二点間の測地線は一意。証明は「非正曲率→共役点なし→局所微分同相→完備で被覆→単連結で大域微分同相」。双曲空間が典型。
  • ビショップ–グロモフの体積比較:リッチ下界 Ric(n1)k\mathrm{Ric}\ge(n-1)k なら測地球の体積が定曲率空間の球で上から抑えられ、体積比が単調非増加。第7章の「曲率→体積の縮み」の大域版。
  • 比較幾何の思想:曲率の下界は空間を上から抑え(閉じる)、上界は下から広げる(開く)。局所の曲率が大域の形を挟む。
  • 幾何の大河が合流した。最終章では、この舞台がそのまま物理になる——一般相対論への橋を渡り、リーマン幾何全体をまとめます。

次章では、リーマン幾何が一般相対論の言語であること(時空・測地線=自由落下・アインシュタイン方程式)を見て、分野を総括します。