第12章 ネーター環とヒルベルトの基底定理
「イデアルが有限で書ける」という有限性
第8章の一意分解の存在証明で、「イデアルの昇鎖が止まる」という有限性が効きました。この有限性を 公理として抽出したのがネーター環です。ネーター環では、どんなイデアルも有限個の元で生成される—— 無限に複雑なイデアルは存在しない。この一見地味な条件が、現代の可換環論・代数幾何の土台になります。
なぜ重要か。代数幾何では、図形を「多項式の零点集合」として扱います。もし多項式環が ネーターでなければ、図形を定義するのに無限個の方程式が要るかもしれない。ヒルベルトの基底定理—— 多項式環はネーター——が、「どんな代数的図形も有限個の方程式で定義できる」ことを保証するのです。 この章で環論を締めくくり、可換環論・ホモロジー代数・代数幾何へ橋を架けます。
ネーター環=イデアルが有限生成(昇鎖条件)。ヒルベルトの基底定理:多項式環はネーター。図形は有限個の方程式で定義できる。
ネーター環の同値な特徴づけ
定理 ネーター環の同値条件
可換環 について、次は同値。これらを満たす をネーター環という。
- (昇鎖条件 ACC)イデアルの任意の昇鎖 は止まる。
- イデアルの空でない任意の集合は、包含に関する極大元をもつ。
- すべてのイデアルが有限生成。
証明
(1)⇒(2):極大元がなければ、真に増大する無限昇鎖が作れ (1) に反する。 (2)⇒(3):イデアル の有限生成な部分イデアルの集合に極大元 をとる。 なら で が (2) の極大性に反する。ゆえ は有限生成。 (3)⇒(1):昇鎖 の和 はイデアルで、(3) より有限生成 。 各 はある に属すので、 で全部 に入り 、昇鎖は止まる。∎
3つの顔——昇鎖が止まる・極大元がある・有限生成——が同値。とくに「有限生成」が実用的で、「無限に複雑なイデアルは ない」ことを意味します。(PID、全イデアルが単項=1元生成)や体はネーター。では多項式環は?
ヒルベルトの基底定理
定理 ヒルベルトの基底定理
がネーター環なら、多項式環 もネーター環。
証明
の任意のイデアル が有限生成であることを示す。 は自明なので とする。
各 について、 に属す次数 の多項式の先頭係数全体(と )を とおく。これは のイデアル ( の先頭係数を考えると閉じている;次数を 倍で揃える)。しかも (次数 の に を掛ければ次数 で先頭係数同じ)。 ネーターゆえ、この昇鎖は止まる:ある で 。
各 について、 は ネーターより有限生成 。各 を先頭係数にもつ次数 の 多項式 をとる。これら有限個の ()が を生成することを示す。
とおき、 と仮定して の最小次数の元 (次数 、先頭係数 )をとる。
- のとき: なので 、 は次数 ・先頭係数 。 は次数 で に属し、最小性より 、ゆえ ——矛盾。
- のとき: なので、 が次数 ・先頭係数 。同様に が 次数 で に属し矛盾。
いずれも矛盾。ゆえ で、 は有限個の で生成される。∎
証明の核心は「先頭係数のイデアル 」の導入です。 のネーター性( が有限生成・昇鎖が止まる)を、 多項式の次数に沿って組み上げ、 のイデアルの有限生成性を引き出す。次数という「もう一つの有限性」と 係数のネーター性を噛み合わせる、美しい帰納的構成です。系は絶大です。
系 多変数多項式環・有限生成代数はネーター
帰納的に ネーターなら もネーター。特に 、 はネーター。 ネーター環上の有限生成代数、その剰余環もネーター。
「体上の多変数多項式環はネーター」——これがほぼすべての代数幾何の舞台がネーターである理由です。
代数幾何への扉
注意 図形は有限個の方程式で定義できる
注意 準素分解(ラスカー–ネーター)
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- ネーター=有限生成(イデアルが)。 環そのものが有限という意味ではない。 は無限だがネーター。「イデアルが無限に複雑にならない」有限性。
- 基底定理の「基底」はイデアルの生成系。 線形代数の基底とは別。イデアルが有限個の生成元をもつこと。
- PID・UFD とネーターの関係。 PID ⇒ ネーター(単項=1元生成)。UFD はネーターとは限らない(無限変数多項式環 は UFD だが非ネーター)。ネーターは「有限生成」、UFD は「一意分解」で別の有限性。
- 証明の要は先頭係数のイデアル。 次数のネーター性と係数のネーター性を噛み合わせる。
この章のまとめ
- ネーター環は「イデアルの昇鎖が止まる = 極大元がある = 全イデアルが有限生成」(三者同値)。無限に複雑なイデアルが無い有限性。
- ヒルベルトの基底定理:ネーター環上の多項式環はネーター。証明の核心は先頭係数のイデアル 。系として 、有限生成代数はネーター。
- 帰結:代数的集合は有限個の方程式で定義できる——代数幾何・ザリスキ位相・零点定理の土台。準素分解(ラスカー–ネーター)も成り立つ。
これで環論は一区切りです。環とイデアルから始め、素・極大イデアル、整域の階層と一意分解、多項式環、対称式、 ネーター性まで——「足し算と掛け算のある世界」の構造を辿りました。ここで培ったイデアル・剰余環・素イデアルの視点は、 体論・ガロア理論・代数的整数論・代数幾何学・可換環論へと受け継がれていきます。おつかれさまでした。