第2章 バナッハ空間と完備性
「収束先が空間の中にある」保証
前章で、無限次元では単位球がコンパクトでなく、「有界列→収束部分列」が使えないと知りました。では、無限次元で 解の存在をどう保証するのか。第一の武器が完備性です。集合と位相で に穴が空いている ( に迫る有理数列の極限が外にある)のを、完備化して を作った——あの話の関数空間版です。
関数空間でも同じ心配があります。近似列(コーシー列)を作ったのに、その極限が空間の外へ飛び出したら、 「近似で解を作る」戦略が使えない。完備性は「コーシー列の極限が必ず空間の中にある」保証。これがある空間を バナッハ空間と呼びます。
定義 バナッハ空間
ノルム空間 が完備——すべてのコーシー列()が の点に収束する ——であるとき、 をバナッハ空間という。
バナッハ空間=完備なノルム空間。コーシー列が必ず空間内で収束する。近似・極限操作が空間の中で完結する。
どの空間がバナッハか
前章のノルム空間の例が、完備かどうかを確認します。完備性の有無が、その空間の“使い勝手”を決めます。
定理 代表的なバナッハ空間
- (有限次元)はすべてバナッハ。
- はバナッハ。
- (一様ノルム )はバナッハ。
- はバナッハ(リース–フィッシャーの定理、測度論)。
が一様ノルムで完備なのは、「連続関数の一様収束極限は連続」(微積分)という事実そのもの。 一方、同じ に ノルムを入れると完備でない——連続関数のコーシー列の極限が不連続関数になり、 空間の外へ出てしまう。ノルムを変えると完備性が変わる(前章のノルム非同値の帰結)。だから を作るには ルベーグ積分が必要でした——リーマン積分では穴が埋まらないのです。
注意 完備でない例と、その完備化
に ノルムを入れた空間は完備でない。その「穴」を埋めた完備化がまさに 。 と同じ構図で、ルベーグ積分は「関数空間の穴を埋める」役割を果たす。関数解析が測度論を 土台にする理由がここにある(測度論第11章の回収)。
完備性の御利益:絶対収束は収束する
完備性が具体的に何を可能にするか。いちばん基本的で強力なのが「級数の扱い」です。有限和なら問題ないですが、 無限級数 (各 )が収束するか——これを保証する簡単な判定条件が、完備性から出ます。
定理 絶対収束判定
バナッハ空間 で、(ノルムの和が有限=絶対収束)ならば、級数 は の点に収束する。
証明
部分和 を考える。 で三角不等式より 。右辺は収束級数 の しっぽで、 で 。よって はコーシー列。完備性より は収束する。∎
「ノルムの和(普通の実数の級数)が収束するかを見るだけで、ベクトルの級数の収束が言える」——完備性のおかげで、 無限次元の収束問題が、一次元の実数の級数の問題に帰着します。この判定は次章の逆作用素(ノイマン級数)で 決定的に効きます。
例 指数関数を作用素で作る
バナッハ空間上の有界作用素 (次章)に対し、 は より絶対収束し、作用素 を定める。行列の指数関数(微分方程式)が無限次元へ拡張 される。完備性が「無限級数で新しい作用素を作る」ことを許す。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- 完備性はノルムに依存する。 同じベクトル空間でも、ノルムを変えると完備だったり不完備だったり ( は で完備、 で不完備)。「空間が完備」とは常に「このノルムで」の話。
- 絶対収束 ⇒ 収束、は完備性が必要。 実数では当たり前だが、不完備空間では絶対収束しても極限が外へ出る。 逆に「絶対収束 ⇒ 収束」が全級数で成り立つことは完備性と同値。
- コーシー列 ⇒ 収束、が完備性。 「収束 ⇒ コーシー」は常に真で無意味。完備性は逆向き(穴がない)。
- の完備性はルベーグ積分あってこそ。 リーマン積分で作った関数空間は不完備。だから測度論が土台に要る。
この章のまとめ
- バナッハ空間=完備なノルム空間。コーシー列が必ず空間内で収束し、近似・極限操作が完結する。 がバナッハ。
- 完備性はノルム依存: は で完備、 で不完備(その完備化が )。ルベーグ積分が関数空間の穴を埋める。
- 完備性の御利益:絶対収束 ⇒ 級数収束。無限次元の収束を実数の級数に帰着。作用素の指数関数 もこれで作れる。
- 次章では、この舞台の上で「無限次元の行列」=有界線形作用素を導入し、作用素ノルムとノイマン級数で逆作用素を作ります。
次章では、有界線形作用素・作用素ノルム・作用素の空間 を定義し、ノイマン級数で逆作用素を構成します。