第12章 Tor・Extと総まとめ
壊れた完全性を測る
第9章で、テンソルとHomが完全性を片側で壊すのを見ました。ここで発想を転換します——壊れを嘆くのでなく、
壊れ具合を測る新しい不変量を作る。それが導来関手 Tor⋅Ext です。テンソルの右完全性の
破れが Tor、Homの左完全性の破れが Ext。前章の射影加群による「良い分解」を使って計算します。
これは圏論・ホモロジー代数で一般的に学ぶ導来関手の、加群論に
おける原型です。Tor は「ねじれ」を、Ext は「拡大」を検出する——名前どおりの幾何的意味を
もちます。
導来関手=関手が壊した完全性を測る。テンソルの破れが Tor(ねじれ)、Homの破れが Ext(拡大)。
Tor と Ext
作り方は共通です。加群 M を射影加群で分解(射影分解)し、関手を当ててからホモロジー(像と核のずれ)をとる。
分解の取り方によらず一意に定まります。
定義 Tor と Ext
M の射影分解 ⋯→P1→P0→M→0(Pi 射影、第11章)をとる。
- ToriR(M,N)=複体 ⋯→P1⊗N→P0⊗N→0 の第 i ホモロジー
(−⊗N の左導来関手)。
- ExtRi(M,N)=複体 0→Hom(P0,N)→Hom(P1,N)→⋯ の第 i
コホモロジー(Hom(−,N) の右導来関手)。
Tor0=⊗、Ext0=Hom で、高次が完全性の破れを測る。
0 次は元の関手(⊗・Hom)に戻り、高次 Tori, Exti が破れを段階的に
捉えます。M が射影(や平坦)なら高次はすべて消える——完全性が壊れないから。だから Tor⋅Ext の
非消滅が、加群の“非自由さ”の証拠になります。
Tor はねじれを、Ext は拡大を検出する
導来関手の名前は伊達ではありません。それぞれ具体的な幾何的意味をもちます。
定理 Tor はねじれを測る
Tor1Z(Z/m,Z/n)≅Z/gcd(m,n)。より一般に、Tor1R(R/aR,M)≅{x∈M:ax=0}(M の a-ねじれ)。M が平坦なら Tor1=0。
定理 Ext は拡大を分類する
ExtR1(C,A) は、短完全系列 0→A→B→C→0(拡大)の同値類全体と一対一に対応する。
Ext1(C,A)=0 ⟺ すべての拡大が分裂(B≅A⊕C しかない)。
Tor1(Z/2,Z/2)=Z/2 は、第9章で −⊗Z/2 が
単射を壊した“傷”そのもの——ねじれの検出です。Ext1 は「A,C から B がどう組み上がるか」の分類
(第9章の分裂しない拡大)。Ext1(Z/2,Z)=0 が、
0→Z2Z→Z/2→0 が分裂しない理由を数値化します。関手が壊した完全性の
破れが、こうして「ねじれ」「拡大」という意味ある不変量に転じます。
定理 短完全系列は長完全系列を生む
短完全系列 0→A→B→C→0 に導来関手を施すと、長完全系列
⋯→Tor1(C,N)→A⊗N→B⊗N→C⊗N→0(連結準同型で接続、第9章の蛇の補題の一般化)が得られる。Ext も同様。
長完全系列——短完全系列に Tor⋅Ext を接続したもの——が、導来関手の計算の要です。
位相幾何のホモロジー長完全系列とまったく同じ構造で、連結準同型が破れを次の段へ
繰り越します。これで、一つの完全系列から芋づる式に Tor⋅Ext が計算できます。
加群論の全体像
長い旅を振り返ります。一貫していたのは第1章の一言——「加群=環の上のベクトル空間、
係数を体から環へ広げると線形代数と群論が統一される」——の展開でした。
注意 この分野の地図
- 加群の基本(1〜4章):加群(Z 加群=アーベル群、K[x] 加群=線形変換つき空間)、部分/剰余/準同型定理、
直和・自由加群・普遍性、階数・ねじれ・表示行列。
- 構造定理(5〜7章):スミス標準形、PID上有限生成加群の構造定理(単因子形・初等因子形)、二つの顔
(有限アーベル群の分類 = ジョルダン標準形)。
- テンソルと完全性(8〜10章):テンソル積(双線形を線形に)、完全系列・分裂、テンソル ⊣ Hom(完全性の左右)。
- 加群の特殊類(11〜12章):射影・入射・平坦、導来関手 Tor⋅Ext(ねじれ・拡大)。
三つの果実:(1) 係数環を変えるだけで線形代数・群論・線形変換論が統一される(構造定理)、(2) テンソル・Hom・
随伴が加群の圏の基本構造をなす、(3) 完全性の破れさえ不変量になる(Tor⋅Ext)。
他分野とのつながり
注意 回収と展望
- 回収:線形代数(ベクトル空間・ジョルダン標準形)、群論(アーベル群)、環論(イデアル・
PID・局所化・中国剰余定理)、圏論(普遍性・随伴・完全系列)を横断・統一した。
- 展望:可換環論・ホモロジー代数(導来関手の一般論・スペクトル系列)、表現論(群環上の
加群=表現)、代数幾何(連接層=局所的に加群、平坦射)、代数的整数論(デデキント環上の
加群)。加群は、現代代数のあらゆる分野の共通言語。
「ベクトル空間の係数を体から環へ広げる」という素朴な一般化が、構造定理による二大定理の統一、テンソルと随伴、
そして Tor⋅Ext を経て、現代代数の基盤言語にまで届きました。線形代数と群論を一つにまとめ、
表現論・代数幾何・数論の土台になる——それが加群論のもつ射程です。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- 導来関手=完全性の破れの測定。 Tor0=⊗、Ext0=Hom に戻り、高次が破れ。
射影/平坦なら高次消滅。
- Tor はねじれ、Ext は拡大。 Tor1(Z/m,Z/n)=Z/gcd、
Ext1(C,A)=拡大の分類。名前どおりの意味。
- 射影分解の取り方によらず一意。 導来関手は well-defined。分解は計算手段。
- 長完全系列が計算の要。 短完全系列+連結準同型。位相幾何のホモロジーと同じ構造。
この章のまとめ
- 導来関手:射影分解に関手を当ててホモロジーをとり、完全性の破れを測る。Tori(−⊗N の破れ)・Exti(Hom(−,N) の破れ)。射影/平坦なら高次消滅。
- Tor はねじれ(Tor1(Z/m,Z/n)=Z/gcd)、Ext は拡大を分類(Ext1=拡大の同値類、分裂の判定)。短完全系列は長完全系列を生む。
- 加群論の精神は「係数を体から環へ広げ、線形代数と群論を統一」。構造定理(二大定理の統一)・テンソルと随伴・Tor⋅Ext を柱に、表現論・代数幾何・数論の共通言語。
- 加群論(全12章)はこれで完結。ベクトル空間の素朴な一般化から、現代代数の基盤まで一本でつながりました。
お疲れさまでした。「環の上のベクトル空間」の旅は、構造定理による二大定理の統一、テンソルと随伴、そして完全性の破れを測る Tor⋅Ext まで辿り着きました。