⟐ 数学の作り方 How to make Mathematics

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第11章 射影・入射・平坦加群

「良い加群」の三つの型

前章の随伴の視点で、加群の三つの重要な特殊類を導入します。関手(Hom・テンソル)は一般に完全性を壊しますが、 相手の加群が特別なら壊れない——射影加群(Hom⁡(P,−)\operatorname{Hom}(P,-) を完全に)、入射加群(Hom⁡(−,I)\operatorname{Hom}(-,I) を 完全に)、平坦加群(−⊗F-\otimes F を完全に)です。どれも自由加群のさまざまな一般化で、次章の導来関手 (Tor⋅Ext\mathrm{Tor}\cdot\mathrm{Ext})を計算する道具になります。

三つは、テンソル–Hom随伴(第10章)のもとで互いに関係します。射影と入射は矢印を逆に した双対、平坦は射影の親戚。「完全性を回復する加群」という一つの発想の、三つの現れです。

射影・入射・平坦=関手の完全性を回復する加群。自由加群の一般化で、導来関手の計算の土台。

射影加群

自由加群は、写像が生成元の行き先で決まる自由さをもちました(第3章)。その自由さの一部 ——「全射を通して持ち上げられる」——だけを取り出したのが射影加群です。

定義 射影加群(同値な特徴づけ)

RR 加群 PP について次は同値。これをみたす PP を射影加群という。

  1. Hom⁡R(P,−)\operatorname{Hom}_R(P,-) が完全(全射 B↠CB\twoheadrightarrow C に対し Hom⁡(P,B)→Hom⁡(P,C)\operatorname{Hom}(P,B)\to\operatorname{Hom}(P,C) も全射)。
  2. 全射 B↠CB\twoheadrightarrow C と写像 P→CP\to C に対し、持ち上げ P→BP\to B が存在する。
  3. PP を含む短完全系列 0→A→B→P→00\to A\to B\to P\to0 が必ず分裂する。
  4. PP はある自由加群の直和因子(P⊕Q≅P\oplus Q\cong 自由)。

条件 2「持ち上げ」が直感的です——CC への写像を、全射 B→CB\to C を通して BB へ持ち上げられる。自由加群は 生成元を自由に送れるので持ち上げ可能=射影的。条件 4 が構造を明かします——射影加群=自由加群の直和因子。 だから射影加群は「ほぼ自由」。PID上では射影=自由ですが、一般の環では自由でない射影加群が存在します。

例 射影だが自由でない例

R=Z/6≅Z/2×Z/3R=\mathbb Z/6\cong\mathbb Z/2\times\mathbb Z/3(中国剰余定理)で、Z/2\mathbb Z/2 は RR 加群として 射影的(R≅Z/2⊕Z/3R\cong\mathbb Z/2\oplus\mathbb Z/3 の直和因子)だが自由でない(自由なら位数が 66 の倍数)。 「射影=ほぼ自由だが自由とは限らない」の典型。PID・局所環では射影=自由(自由でない射影は現れない)。

入射加群

射影加群の矢印をすべて逆にすると入射加群になります(圏論の双対)。「単射を通して 拡張できる」加群です。

定義 入射加群

RR 加群 II が入射加群であるとは、Hom⁡R(−,I)\operatorname{Hom}_R(-,I) が完全であること。同値に、単射 A↪BA\hookrightarrow B と写像 A→IA\to I に対し、拡張 B→IB\to I が存在する(射影の持ち上げの双対)。

定理 入射加群の判定(ベーアの判定法)

RR 加群 II が入射的   ⟺  \iff 任意のイデアル J⊆RJ\subseteq R と写像 J→IJ\to I が R→IR\to I に拡張できる (イデアルだけ調べればよい)。Z\mathbb Z 加群では、可除群(Q, Q/Z\mathbb Q,\ \mathbb Q/\mathbb Z など、任意の nn で 割れる群)がちょうど入射的。

入射加群は射影の双対ですが、姿はかなり違います。Z\mathbb Z 加群では、入射的=可除(Q\mathbb Q や Q/Z\mathbb Q/\mathbb Z——どんな nn で割っても元がある群)。射影(自由の直和因子)が「下から生成」の感覚なのに対し、 入射(可除)は「上へ拡張・割り切れる」感覚。任意の加群は入射加群に埋め込める(入射的包絡)——この双対性が、 第12章の Ext\mathrm{Ext} を入射分解でも計算できることの根拠です。

平坦加群

テンソルを完全にする加群が平坦加群。テンソルは右完全でしたが、左端の単射も保つ(完全になる)相手が平坦 加群です。

定義 平坦加群

RR 加群 FF が平坦であるとは、−⊗RF-\otimes_R F が完全(単射 A↪BA\hookrightarrow B に対し A⊗F→B⊗FA\otimes F\to B\otimes F も単射)であること。すなわちテンソルしても完全性が壊れない加群。

定理 包含関係

自由 ⇒ 射影 ⇒ 平坦.\text{自由}\ \Rightarrow\ \text{射影}\ \Rightarrow\ \text{平坦}.

(自由は射影の特別な場合、射影は平坦。)逆は一般に成り立たない。Q\mathbb Q は Z\mathbb Z 加群として平坦だが 射影でない(自由でない)。

平坦加群は「テンソルしても情報を壊さない」加群です。第8章で −⊗Z/2-\otimes\mathbb Z/2 が単射を 壊した(×2\times2 がゼロに)のは Z/2\mathbb Z/2 が平坦でないから。Q\mathbb Q や自由加群は平坦——テンソルで完全性を 保ちます。平坦性は代数幾何で決定的です(平坦射=ファイバーが連続的に変化する“良い”族)。 包含 自由 ⊂ 射影 ⊂ 平坦 が、加群の“良さ”の階層をなします。

注意 なぜ三つの特殊類が要るのか——導来関手の材料

射影・入射・平坦は、次章の導来関手(Tor⋅Ext\mathrm{Tor}\cdot\mathrm{Ext})を計算するための「良い分解」の材料になる。 一般の加群 MM を射影加群で分解(射影分解 ⋯→P1→P0→M→0\cdots\to P_1\to P_0\to M\to0)し、関手を当ててホモロジーを とると導来関手が出る(圏論・ホモロジー代数)。射影・入射・平坦は 「関手が完全にふるまう良い加群」なので、分解の各段で関手の破れを制御できる。だから三つの特殊類は、 完全性の破れ(Tor⋅Ext\mathrm{Tor}\cdot\mathrm{Ext})を測る道具立ての中心。

つまずきポイント

注意 よくある誤解

  • 射影=自由の直和因子(ほぼ自由)。 自由とは限らない(Z/6\mathbb Z/6 上の Z/2\mathbb Z/2)。PID・局所環では射影=自由。
  • 入射は射影の双対(可除)。 矢印を逆に。Z\mathbb Z 加群では入射=可除(Q,Q/Z\mathbb Q,\mathbb Q/\mathbb Z)。射影とは 見た目が違う。
  • 平坦=テンソルを完全にする。 自由⇒射影⇒平坦だが逆は偽(Q\mathbb Q は平坦だが射影でない)。代数幾何で 重要。
  • 三つとも「関手を完全にする加群」。 射影(Hom(P,-))・入射(Hom(-,I))・平坦(-⊗F)。導来関手の材料。

この章のまとめ

  • 射影加群=Hom⁡(P,−)\operatorname{Hom}(P,-) を完全に=全射を通して持ち上げ可能=自由加群の直和因子(ほぼ自由、PIDでは自由)。
  • 入射加群=Hom⁡(−,I)\operatorname{Hom}(-,I) を完全に=単射を通して拡張可能(射影の双対)。Z\mathbb Z 加群では可除群(Q,Q/Z\mathbb Q,\mathbb Q/\mathbb Z、ベーアの判定)。
  • 平坦加群=−⊗F-\otimes F を完全に=テンソルで情報を壊さない。包含 自由 ⊂ 射影 ⊂ 平坦(逆は偽、Q\mathbb Q は平坦だが射影でない)。代数幾何で重要。
  • 三つは導来関手の「良い分解」の材料。最終章では、これらを使って完全性の破れを測る Tor⋅Ext\mathrm{Tor}\cdot\mathrm{Ext} を導入し、加群論を総括します。

次章では、射影分解による導来関手 Tor⋅Ext\mathrm{Tor}\cdot\mathrm{Ext} を導入し、ホモロジー代数への橋を架けて分野を総括します。